富木尼御前御書の「あとがき」 


■あとがき

 今回より、『富木尼御前御書』を連載致します。
   
 『富木尼御前御書』の対告衆は、富木常忍殿の奥様です。 
 『富木尼御前御書』の御真蹟は、中山法華経寺に現存しています。

 この御書の“背景と大意”は、後日、お伝えすることに致します。   了



■あとがき

 今回をもちまして、『富木尼御前御返事』の連載は終了しました。
 連載の最終回に際しまして、『富木尼御前御返事』の“背景と大意”を申し上げます。

 建治二年(1276年)の二月下旬に、90歳を越えられた富木常忍殿のお母様が
お亡くなりになっています。

 その直後に、富木常忍殿は、お母様の御遺骨を携えて、下総(千葉県)から身延(山
梨県)の地まで、日蓮大聖人の許を御訪問されます。

 身延において、日蓮大聖人は、御本尊の御宝前に御遺骨を安置された後に、富木常
忍殿のお母様の追善供養をなされていらっしゃいます。
 
 そして、富木常忍殿が身延からお帰りになる直前に、日蓮大聖人が富木常忍殿の奥
様に対して、銭一貫・酒一筒を御供養頂いたことへの御礼をお書きになられた上で、
「富木殿(富木常忍殿)がお越し頂いた事は、ひとえに、尼御前(富木常忍殿の奥様)
の御力である。」と、お讃えになられた御書が、『富木尼御前御返事』になります。

 『富木尼御前御返事』に曰く、「鵞目一貫並びにつつひとつ給び候ひ了んぬ。やの
はしる事は弓のちから、くものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちか
らなり。いまときどののこれへ御わたりある事、尼ごぜんの御力なり。」と。

 ここで、読者の皆様に、着目して頂きたい点がございます。

 それは、「間もなく、富木常忍殿が下総(千葉県)にお帰りになるのであれば、日
蓮大聖人が『奥様に、宜しくお伝え下さい。』と、口頭でお伝えになられるだけでも、
決して、失礼ではない。しかも、当時の貴重品であった『紙』を用いて、わざわざ、
富木常忍殿の奥様に、御礼と激励の御書をお認めになられている。我々は、その御慈
悲の深さを拝していく必要があるのではないか。」
ということです。

 『折伏』『国家諫暁』『法華経の行者』等の御振舞によって、巷間、日蓮大聖人に
対しては、“剛毅”の印象をお持ちになっている方が多いようです。

 しかし、その一方では、『富木尼御前御返事』のように、お心遣いの細やかさと思
いやりの深さに溢れている御書も、多数存在しています。

 筆者としては、このメルマガの連載を通して、日蓮大聖人の意外な一面(?)を、
読者の皆様にお伝え出来れば、とても嬉しく思います・・・。

 ちなみに、富木常忍殿が下総(千葉県)へお帰りになる際に、ちょっとしたアクシ
デントが発生しています。

 その内容は、『富木尼御前御返事』の3日後にお書きになられた、『忘持経事』に
お記しになられています。

 その『忘持経事』を、次回から、連載することに致します。  了



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