四条金吾殿御返事 弘安二年(1279年)四月二十三日 聖寿五十八歳御著作


 (前欠)

 なによりも人には不孝がをそろしき事に候ぞ。
 とののあにをととは、われと法華経のかたきになりて、とのをはなれぬれば、か
れこそ不孝のもの、とののみにはとがなし。
 をうなるいどもこそ、とののはぐくみ給はずば一定不孝にならせ給はんずらんと
をぼへ候。所領もひろくなりて候わば、我がりゃうえも下しなんどして一身すぐる
ほどはぐくませ給へ。
 さだにも候わば過去の父母定んでまぼり給ふべし。
 日蓮がきせいもいよいよかない候べし。いかにわるくとも、きかぬやうにてを
はすべし。 
 この事をみ候に申すやうにだにもふれまわせ給ふならば、なをなをも所領もか
さなり、人のをぼへもいできたり候べしとをぼへ候。
 さきざき申し候ひしやうに、陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ、
主もいかんぞをぼせしかども、わどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつら
むとをもう心がうじゃうにして、すねんをすぐれば、かかるりしゃうにもあづか
らせ給ふぞかし。此は物のはしなり。大果報は又来るべしとをぼしめせ。
 又此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつ
ばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし。
 上に申す事は私の事にはあらず。外典三千、内典五千の肝心の心をぬきてかきて
候。あなかしこあなかしこ。恐々謹言。

 卯月二十三日                         日蓮 花押 

 御返事 


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