撰時抄の「あとがき」


■あとがき

 本日より、日蓮大聖人の『五大部』の一つ、『撰時抄』を連載させて頂きます。

 「日蓮大聖人は、駿河国(静岡県)の由井氏に対して、『撰時抄』をお与えにな
られた。」と、云われています。
 富士川と芝川が合流する場所である、『河合』の地でお育ちになられた日興上人
と由井氏は親族の関係にあったようです。

 なお、『撰時抄』の御真蹟は、静岡県三島市の玉沢妙法華経寺に、全百十紙のう
ち百七紙が現存しています。
 残り三紙の御真蹟は、玉沢妙法華経寺以外の四つの寺に散在しています。  了 


 
■あとがき

 あけましておめでとうございます。本年も、宜しくお願い申し上げます。

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 『いろはにほへと』

いろはにほへと ちりぬるを (色は匂へど 散りぬるを)

 わかよたれそ つねならむ  (我が世誰ぞ 常ならむ)

 うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山 今日越えて)

 あさきゆめみし ゑひもせす (浅き夢見じ 酔ひもせず)

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 新年に際しまして、読者の皆様の御多幸と御健勝を祈念します。 了



          
■あとがき

 今回配信分の「月支に入って十九年が間」と仰せの御金言は、日蓮大聖人
のお書き誤りであります。
 正しくは、「月支に入って十七年が間」となります。

 勿論、上記のお書き誤りは、日蓮大聖人の“ケアレスミス”です。
 上記の参考文献に引用させて頂いたとおり、『開目抄』においては、玄奘三蔵が
月支(インド)に入国していた期間を、日蓮大聖人が『十七年間』とお記しになら
れていたことも、付言させて頂きます。

 ご参考までに、『示同凡夫の故に不慮の書き謬り(あやまり)ならんか』 という
文書において、それらの事情の説明をしております。

 宜しかったら、お読みになってください。 了



           
■あとがき

 「いいか、断っとくけどなぁ~。かわいい子供たちの時代のために、自民党がある
ってことを忘れるな!お前らのためにだけ、自民党があるんじゃないぞ!」

 1979年の『自民党40日抗争』の際に、自民党の反主流派が築いたバリケード
を、浜田幸一氏が強行突破して、見栄を切った名場面です。

 たとえ、今をときめく市川海老蔵が彼の役を演じたとしても、ここまで見事に、見
栄を切れないのではないか・・・。 

 そうなんです。
 筆者は、浜田幸一氏(親愛の念を込めて、”ハマコーさん”と呼ばせて頂きます。)
みたいな人が、大好きなんですね。功罪は、別として。 (笑)

 どこかの政権与党の幹事長みたいな”トッちゃん坊や”と、ハマコーさんみたいな
叩き上げの”政界の暴れん坊”とは、”役者”が違います。”存在感”が違います。

 選挙で大負けしても、その地位に恋々とする輩と違って、ハマコーさんは、折角、
苦心して、手中にした衆議院予算委員長のポストを、共産党の宮本顕治氏への「人○
し」発言によって、潔く、辞任されています。

 一人ぐらい、こういう破天荒な政治家がいても、いいと思うんです。政策にも、数
字にも、強かった方でしたし。

 まぁ、コンプライアンスが重視される現代社会において、こういうタイプの政治家
がのし上がっていくのは、大変でしょうが。 (笑)

 筆者の知人に、千葉県在住の古参信者の方がいらっしゃって、ハマコーさんが政治
家になる前の逸話・創価学会との関わり・凄まじい選挙活動の実態等を、お伝え聞い
たことがあります。

 本当は、それらの武勇伝を「あとがき」で書きたいんですけど、『名誉棄損』にな
ると嫌なので、泣く泣く、止めておきます。 (笑)

 ところが、皆様、御承知の通り、ハマコーさんが、先日、逮捕されました。
 テレビの映像を見ると、『自民党40日抗争』で大見栄を切った威勢のよさは、ど
こへやら。

 ハマコーさんがお年を召されたご様子に、筆者はショックを受けました。
 そして、新聞報道で、ハマコーさんの年齢を確認すると、昭和3年生まれで、今年
82歳になるそうです・・・。

 そういえば、創価学会の池田大作氏も、昭和3年生まれで、今年82歳。
 そして、宗門の前管長・阿部日顕師に至っては、大正11年生まれで、今年88歳。

 このご老体のお二人が、未だに、宗門と創価学会を牛耳って、権力の絶頂と栄華を
欲しい侭にしています。

 そして、平成2年、このお二人の喧嘩(少なくとも、教義上の見解の相違ではあり
ません。)に端を発した、宗門と創価学会との不毛な争い事は、二十年を経過した今
も、続いています・・・。

 昨日配信分の御書と参考文献において、日蓮大聖人が『主・師・親』の三徳を具備
された末法の御本仏(人法一箇の大御本尊)であることをお示しになられている箇所
を、御紹介させて頂きました。

 そして、明日以降に配信する御書では、日蓮大聖人が『法華経の行者』に関して、
お述べになられている箇所がございます。

 本来、富士門流の教義において、『人法一箇の大御本尊』や『法華経の行者』の御
尊称は、日蓮大聖人のためのものです。

 ところが、今もなお、阿部日顕氏は「戒壇の大御本尊と不二の尊体」、池田大作氏
は「第二の法華経の行者」を詐称し続けています。

 嗚呼、何という増上慢。嗚呼、何という似た者同士・・・。

 上野殿御返事に曰く、「南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心、人の中の神の
ごとし。此にものをならぶれば、きさきのならべて二王をおとことし、乃至きさきの
大臣已下になひなひとつぐがごとし。わざわひのみなもとなり。正法・像法には此の
法門をひろめず、余経を失はじがためなり。今、末法に入りぬれば余経も法華経もせ
んなし。但南無妙法蓮華経なるべし。かう申し出だして候もわたくしの計らひにはあ
らず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計らひなり。此の南無妙法蓮華経に余
事をまじへば、ゆゆしきひが事なり。」と。

 種々御振舞御書に曰く、「法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照らし給ふ、
かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし。」と。

 月日は、淡々と、流れていきます。

 如何なる人気を博した者であったとしても、如何なる権力や栄華を築いた者であっ
たとしても、『時』の移ろいだけは、誰にも、逆らうことが出来ません。

 「政界の暴れん坊」のハマコーさんであっても。「第二の法華経の行者」の池田大
作氏であっても。「戒壇の大御本尊と不二の尊体」の阿部日顕氏であっても。



■あとがき

 昨日、八月十九日は、総本山26世の日寛上人の祥月命日でした。謹んで、御報恩
謝徳を申し上げます。

 旧暦の八月十九日は、新暦に換算すると、約一ケ月遅れの九月十九日頃となります。
 日寛上人は、秋のお彼岸辺りに、亡くなられたのでしょう。

 上州・前橋でお生まれになった日寛上人は、19歳の時に、江戸常在寺で出家・得
度されます。
 そういえば、御書全集を編纂された、総本山59世の日亨上人も、青年期に得度さ
れています。
 大石寺の生意気な坊さん風に云うと、『青徳(青年得度)』ということですね。 (笑)

 他門の僧俗からも尊敬された、富士門流を代表する学僧が、お二人とも、『青徳(青
年得度)』というのは、興味深い一致点です。
 ある程度、世間の常識を弁えてから、法門を学んだ方が、更に俯瞰出来ることがあ
るのかも知れません。

 阿部日顕師が巨費を投じて設立した、『法教院』という”なんちゃって大学”に通
っている純粋培養の僧侶の子弟が、「日顕上人は、戒壇の大御本尊と不二の尊体。」
という”なんちゃって御本仏”の邪義を、大真面目に崇拝している状況をご覧になら
れたら、おそらく、日寛上人は、失笑かつお怒りになることでしょう・・・。

 一方、「日寛上人の教判は、時代遅れだ。もう、『六巻抄』は、現代に通用しない。」
等の愚論を、最近、大真面目に主張している輩がいます。

 そういう御仁に限って、『六巻抄』をお読みになっていない。 (笑)
 もしくは、「いや、『六巻抄』ぐらいは読んでいる。」と反論しても、細かいとこ
ろをツッコまれると、もう、チンプンカンプン。 (笑)

 せめて、『六巻抄』を隅から隅までお読みになられてから、具体的かつ明確な根拠
を以って、日寛上人の御著作を批判して頂きたいものです・・・。

 ところで、筆者は、最近、陶芸を始めました。勿論、趣味の域を超えない、下手の
横好きですが。

 不思議なことに、陶芸を習うようになると、それまでには、認識出来なかった焼物
の上手・下手に、目が行くようになりました。

 以前、茶道を習っていた頃には、茶碗の『拝見』をしても、全く気付かなかった箇
所が、今になって、「あぁ、プロは、こういう細部の技術が違うんだなぁ。」と、思
い知らされます。

 筆者にとって、日寛上人の『文段』(御書の解説書)とは、そういう存在です。
 御書の訳文を配信する立場になると、改めて、日寛上人の偉大さを、嫌というほど、
思い知らされます。

 筆者が御書の解釈に迷った時、『文段』を拝読すると、憎いぐらいに、「ここは、
そういう風にも読めるけど、ホントは、こういう風に読まないといけないんだよ。」と、
前もって、正答が書かれているんですね。
 この悦楽にも似た感覚は、当事者にしか、わからないと思いますが。 (笑)

 大学匠の日寛上人の御功績には、到底、及ばないものの、パソコンやインターネッ
ト等を通して、情報処理・通信・検索が行いやすくなった現代社会に生きる筆者は、
”教学のプラットホーム”としての御書全編の現代語訳を目指しています。

 おかげ様で、当メルマガで配信した御書の訳文は、全体の約5分の1に達していま
す。まぁ、こういう地味な作業を、8年近くも、やっていますからね。 (笑)

 ただし、小心者の筆者には、御本仏日蓮大聖人の御書を訳することが、色々な意味
で、怖くなる時があります。大変な時もあります。

 それでも、まだ、日寛上人が『文段』を残されている御書に関しては、安心出来る
のです。
 しかし、日寛上人が『文段』を残されていない御書に関しては・・・。

 それでも、勇気を振り絞って、怠慢を排して、未熟ながらも、訳文を配信する作業
を進めようと決意しました。

 今後は、このメルマガの形態を、「平日に『御法門』の御書・週末に『御消息文』
の御書」を配信する方式に改めます。
 場合によっては、『御法門』の御書を、ブログ等を用いて、”訳文草稿・一括掲載”
することも検討しています・・・。

 日蓮大聖人の御書には、「邪宗教に対する折伏の剛毅さ」と「信仰を持って生きる
人々に対するやさしさ」の双方が存立しています。

 「巷間、日蓮大聖人のイメージは、前者の側面で捉えられることが多いため、この
メルマガでは、後者の側面にも、光を当てたい。」と思っていたものの、『五大部』等
の『御法門』の連載は、200回近くに及ぶ場合もあるんですね。

 もしかすると、お読みになっている方にも、飽きが来ているかも知れません。それ
以上に、訳文を配信する側も、ヘトヘトになっています。 (笑)

 お口直しの意味も込めて、明日から、”ウィークエンド・バージョン”として、『国
府尼御前御書』(御消息文)の配信を行います。
 そして、月曜日から金曜日までの平日は、『撰時抄』(御法門)の連載を行います。

 その旨、ご了解ください。



■あとがき

 二日間ほど、お休みを頂きました。ご了承ください。

 この御書のメルマガでは、出来る限り、平明かつ簡潔な訳文を心掛けています。
 但し、一番困るのが、今回配信分の『中論』のように、出典の内容そのものが難解
である場合なんです・・・。

 竜樹菩薩の『中論』は、ある意味において、仏教哲学の精髄とも云える文献です。
 膨大なる天台大師の御法門も、竜樹菩薩の『中論』を基にしている箇所が多々あり
ます。
 それを、わずか数行の注記で説明するのは、至難の業なんですよ、結構。 (笑)

 上記の説明で納得出来ない方は、一度、竜樹菩薩の『中論』をお読みになってくだ
さい。
 そうすれば、筆者の心境が理解出来るかも知れません・・・。  

 明日・明後日は、『国府尼御前御返事』の連載を配信します。  了


■あとがき

 『羅什三蔵』のお名前は、『鳩摩羅什(くまらじゅう・Kumarajiva)』
と云います。

 鳩摩羅什は、西暦344年に生まれています。鳩摩羅什の父は、インドの宰相・
鳩摩羅炎。鳩摩羅什の母は、キジ国王の妹・ギバです。

 鳩摩羅什が七歳の時、母と共に出家して、諸国を遊歴しながら仏法を学び、再び、
キジ国に戻ってから、大乗仏教を弘めていました。

 その後、キジ国を攻略した前秦(中国)の王・符堅に迎えられて、鳩摩羅什が前秦
(中国)へ向かう途中、前秦(中国)が滅亡に至ります。

 鳩摩羅什は、その際に、前秦の将軍・呂光の捕虜となったものの、呂光父子の保護
を受けて、約18年間ほど、軍師としての役割を果たしながら、凉州の地に留まって
います。

 その後、鳩摩羅什は、後秦(中国)の王・姚興に迎えられて、西暦401年に、長
安(現・西安)の都へ入り、その保護の下に、国師の待遇を得ます。

 けれども、長安に入った翌年(西暦402年)、鳩摩羅什は、不本意ながら、後秦
(中国)の王・姚興の意向によって、妻帯(破戒・女犯)することになります。

 それから、西暦409年に御逝去するまでの約八年間、鳩摩羅什は、長安において、
梵語(サンスクリット語)の経典の漢訳に従事します。

 鳩摩羅什の訳経数は、三十五部・二百九十四巻とも七十四部・三百八十四巻とも、
云われています。
 鳩摩羅什の代表的な訳典には、「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「中
論」四巻、「百論」二巻、「十二門論」一巻等があります。

 このような背景を踏まえながら、日蓮大聖人の『羅什三蔵』に関する御記述をお読
みになって頂けると、幸いです。

 そして、もう、御一方、『臨終に際しての御予言』のエピソードを紹介します。
 その御方は、総本山二十六世・日寛上人です。

 『羅什三蔵』の故事に倣って、日寛上人は、「平素、私は蕎麦を好んでいる。そこ
で、好物の蕎麦を食してから、一声、大いに笑い、題目を唱えてから、臨終を迎える
ことにしよう。もし、その通りになったならば、私の講説に対して、疑惑を生じては
ならない。」と、日頃から、言明されていました。

 ちなみに、日寛上人は、「臨終の際に、蕎麦を打つ心得とせよ。」と、洒落っ気を
込められながら、二首の和歌を残されています。

 【 ふるそばこ ぼうのごとくは いなに候 とがなきわれを 打つやころさん 】

 【 ひきたての 糸の如くの 蕎麦ぞよく 我が命をば つなぎとどむれ 】

 享保十一年(西暦1726年)八月十八日の深夜、日寛上人は、御自身の最期を覚
知されます。

 そして、御本尊を床に掛け奉り、香華灯明を捧げてから、侍者に対して、「私は、
間もなく、死を迎えるであろう。しかし、絶対に、狼狽してはならない。騒ぐような
ことがあれば、臨終の大事を誤ることになるからだ。」と、お命じになります。

 その直後、日寛上人は、辞世の句をお詠みになられます。

  本地水風 (本地の水風)
  凡聖常同 (凡聖常に同じ)
  境智互薫 (境智互いに薫じ)
  朗然臨終 (朗然として終に臨む)

 【 松の世に 咲くは色香は 及ばねど 種はむかしに 替らざりけり 】

 それから、日寛上人は、侍者に蕎麦を打たせて、七箸、お召し上がりになられまし
た。
 そして、「嗚呼、面白や、寂光の都は。」と、日寛上人は御笑いになりました。

 それから、お水を口に含まれて、うがいをなさった日寛上人は、御本尊に向かって、
題目を唱えます。
 すると、間もなく、半眼半口の相を以って、日寛上人は、眠るが如き、安祥とした
臨終を迎えられます。
 享保十一年(西暦1726年)八月十九日御逝去・享年六十二歳の御生涯でした。

 『妙法尼御前御返事』に曰く、「先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」と。 

 筆者は、心より、日寛上人と鳩摩羅什を尊敬申し上げております。 了



■あとがき

 熊本ラーメンの老舗である『桂花』が、11月1日に、民事再生法の適用を申請し
ました。

 現在、『桂花』の店舗数は、直営11店・フランチャイズ2店、計13店。
 2010年3月期の売上高は、9億6600万円。負債総額は、12億5800万
円。

 近年のラーメンブームによる競争激化や、本社工場への設備投資に伴う資金負担が
過剰になったことで、経営が悪化したそうです。

 そして、「中国等への多店舗展開で知られる、『味千ラーメン』の重光産業が『桂
花』の経営再建を支援する方向で、調整中。」とのことです・・・。

 筆者が十代の頃、新宿東口の紀伊国屋書店近くの狭いお店で、『桂花』の看板メニ
ューの「太肉麺(ターローメン)」を食べたことを思い出します。
 熊本で開業した『桂花』が東京へ進出したばかりの頃でしょうか。

 あの小さなお店のラーメン屋だった『桂花』が12億5800万円の負債を出すと
は・・・。
 良きにつけ、悪しきにつけ、隔世の感があります。 了




■あとがき

 今年の日本シリーズは、とにかく、長かったですね。 (笑)

 2005年に、ロッテが日本一になった頃、筆者は、千葉マリンスタジアムやテレビ
中継で応援していました。

 けれども、その当時から、終盤になると、試合が縺れることが多くて、とにかく、試
合時間が長いんです。
 勝負弱いと云うか、決めきれないと云うか・・・。

 一方、筆者は、以前、名古屋に在住していたこともあって、中日ドラゴンズも応援し
ていました。
 加えて、筆者の知人の娘さんが通っていた小学校のPTA会長が、中日ドラゴンズの
監督に就任する以前の落合博満氏だったんですね。 (笑)

 更に、報道によると、「中日監督の落合氏は、日蓮正宗の信徒。ロッテ監督の西村氏
は、創価学会員。」とのことです。
 そういう点でも、親近感を持ちながら、今回の日本シリーズを観戦していました。 (笑)

 色々な見方はあるのでしょうが、結果として、近年、稀に見る、『好勝負』だったと
思いますよ。

 それに、日本シリーズ最終戦の延長12回に決勝打を放った、推定年俸440万円の
岡田選手・・・。

 栃木県の野球名門校・作新学院から、日本大学へ進学するものの、故障で中退。
 ガス会社の契約社員として、ガスボンベの配達を行いながら、地元クラブチームの『全
足利クラブ』で野球を続けて、育成枠でロッテに入団をした際には、既に、奥様と二人
のお子さんがいらっしゃったそうです。

 そういう選手が、日本シリーズの大舞台で決着を付けるんですね・・・。

 「岡田選手の勝負強さの源は、不遇な環境から這い上がってきた精神力にあるのだろ
う。それが、今一つ、勝負弱かったロッテを、日本シリーズ優勝へ導いたのかも知れな
い。」と、筆者は思いました。 了




■あとがき

 今回連載分の御金言の如く、比叡山の座主においても、そして、大石寺の貫首にお
いても、時々、訳のわからない邪義(己義)を唱える輩が出没してしまうものです。 

 そういえば、比叡山第六十一代の顕真座主と大石寺第六十七代の日顕貫首。
 何だか、名前も似ていますね。 (笑)

 日本天台宗を『念仏の邪義』に塗れさせた、顕真座主。
 日蓮正宗を『法主本仏論の己義』に塗れさせた、日顕貫首。

 (法主本仏論の破折に関しましては、下記のサイトをご参照ください。)
 http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/atogaki-sanmiittai.html

 『日興遺誡置文』をお遺しになられた日興上人は、後年、不届き者の貫首が登場す
ることを御予見されていらっしゃったのでしょう。

 改めて、久遠元初の僧宝・日興上人の御賢察の鋭さに、深く感銘する次第でござい
ます。
 了




■あとがき

 明日・11月18日(新暦)は、旧暦の10月13日に該当します。

 日蓮大聖人は、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の地頭・池上宗仲殿の館に
おいて、弘安5年(1282年)10月13日の辰の刻(午前8時頃)に、三世常住
・現滅非滅の相をお現しになられて、御入滅なされています。

 そして、「その瞬間、大地が振動して、季節外れの桜が花を咲かせた。」と、伝え
られています・・・。

 謹んで、御報恩謝徳の御祈念を申し上げます。

 ところで、明日・11月18日は、『ボジョレー=ヌーヴォー』の解禁日でもある
んですね。 (笑)

 バブルの頃、『ボジョレー=ヌーヴォー』と云えば、何万円もする『出来たてワイ
ン』を、有り難がって飲んでいる人が多くいました。

 ところが、最近では、過剰なブームも落ち着いて、『ボジョレー=ヌーヴォー』の
解禁日辺りでも、御手頃なワインが出回るようになりました・・・。

 『生臭信者』の筆者としては、明日、御宝前にワインをお供えしようと思っていま
す。 了




■あとがき

 昨日の『あとがき』でも申し上げた通り、本日・11月18日は、旧暦の10月1
3日に該当します。
 日蓮大聖人の御正当会(祥月命日)に際して、謹んで、御報恩謝徳を御祈念申し上
げます。

 さて、本日・11月18日は、『ボジョレー=ヌーヴォー』の解禁日でもあります。 (笑)

 今年は、大手スーパーのイオンが大々的に広告して、500円のペットボトルの『ボ
ジョレー=ヌーヴォー』を販売しているようです。

 けれども、フランス国内から、「ガラス瓶に入った『ボジョレー=ヌーヴォー』で
なければ、とても、エレガントなワインとは云えない。」という反対意見が出されて
いるため、来年以降は、ペットボトルの『ボジョレー=ヌーヴォー』が販売出来なく
なるかも知れないそうです。

 それ故に、筆者は、近所の酒店で、1000円のペットボトルの『ボジョレー=ヌ
ーヴォー』を買ってきました。 

 「もしかしたら、今年が、最初で最後のペットボトルの『ボジョレー=ヌーヴォー』
になるかも知れない。ならば、これも、『記念』になるだろう。」と、考えたからで
す・・・。 了



■あとがき

 今日、テレビを点けたら、鈴木宗男氏の『収監』のニュースが報じられていました。
 
 「如何なる人間であったとしても、100パーセント完璧という事は、あり得ない。
たとえ、鈴木宗男さんに、若干の個人的な問題があったとしても、それを上回るだけ
の圧倒的な長所があれば、再度、政治家として御活躍頂いた方が、国益に適うのでは
ないか。鈴木宗男さんは選挙に強いだけでなく、政策にも強い。中でも、『外交通』
であるが故に。」と、筆者は考えています。

 ましてや、鈴木宗男氏が『収監』される原因となる、『やまりん事件』においては、
贈賄側の製材会社『やまりん』の社長御自身が、明確に、鈴木氏への『賄賂』の提供
を否定されています。

 筆者は、「畢竟、『やまりん事件』は、『冤罪』以外の何物でもない。厚生省の村
木さんを起訴した一件と、同様に。」と、判断しています。

 巷間では、「浪人・大病・監獄が、人生の三大試練である。」と、云われています。
 衆議院議員の地位を剥奪されながらも、ガンの手術を終えてから、潔く監獄へ向か
われた、鈴木宗男氏の『再起』を願っています。

 ところで・・・。

 2002年12月6日から、このメルマガを開始して、ちょうど丸八年が経過しま
した。本日から、九年目となります。
 今後とも、宜しくお願い申し上げます。 了




■あとがき

 つくづく、「インターネットって、便利だなぁ。」と思うのは、仏教の文献等の調
べ物をする時です。

 わざわざ、本屋や図書館に行かなくても、上記御書における、『大日経』の『入真
言門住心品』『入曼荼羅具縁真言品』等を見ることが出来るのですから・・・。

 上記御書において、勿論、『大日経』-『印と真言』=『法華経』が真意ではない
ですよ。
 それは、あくまでも、善無畏三蔵の『戯言』です。誤解のないように。 (笑)

 メルマガの連載分量の兼ね合いから、パラグラフを上記箇所で切りました。
 明日以降の連載分の御記述を、ご確認ください。 了



■あとがき

 『参考文献』に提示させて頂いた、日寛上人の『文段』にも記されているように、善
無畏三蔵は、現身に鉄縄七節を付けられ、臨終に悪相を現じています。

 そして、一行阿闍梨の晩年は、楊貴妃との密通の疑いを掛けられて、火羅国(中央ア
ジアのアム・ダリヤ地方の一国)に流されています。
 その際に、一行阿闍梨は、無念のあまり、右の指を食いちぎって、その血で、左の袖
に、九曜の曼荼羅を描き写したそうです。
 その模様が、『平家物語・一行阿闍梨之沙汰』に綴られています・・・。

 真言宗を信奉して、正法を誹謗した、善無畏三蔵・一行阿闍梨・玄宗皇帝・楊貴妃は、
皆、悲惨な最期を遂げています。

 ならば、『本門の本尊』に対する本尊模刻・『本門の戒壇』に対する正本堂建立・『本
門の題目』に対する商標登録事件を犯した池田大作氏は、如何なる最期を遂げるのでしょ
うか。
 そして、日蓮正宗教学部長・管長として、池田大作氏の邪義に与同した阿部日顕師は、
如何なる最期を遂げるのでしょうか。

 教団内において、自らの存在を、『第二の法華経の行者→池田大作氏』『戒壇の大御
本尊と不二の尊体→阿部日顕師』として、御本仏日蓮大聖人と『一味』に位置付けさせ
るような大バカ者どもには、相応の鉄槌が下ることでしょう。 了




■あとがき

 市川海老蔵さんの事件に関しては、読者の皆様も、色々な御意見をお持ちでしょう。

 筆者は、「初代団十郎は舞台上で殺害されて、八代目は自殺、現海老蔵の祖父・十
一代目団十郎も酒癖が悪かった。とにかく、代々の『成田屋』には、暴力沙汰や女性
問題が多い。『成田山新勝寺』との関係性から鑑みても、やはり、『真言亡国』の為
せる業なのだろうか。」と、感じています。

 それはともかく、市川海老蔵さんの会見に同席していた、深沢直之弁護士。
 先日の記者会見は、『危機管理』のお手本のような対応でした。
 さすが、『民暴対策』の第一人者です・・・。

 「阿部日顕さんのセックス・スキャンダル裁判において、世間知らずで聞き分けの
ない『ご老人』を諌める側近や有能な弁護士がいなかったことが、自ら提訴した裁判
を、一審敗訴の上で『和解』せざるを得なかった要因だろう。」と、筆者は考えてい
ます。

 良い弁護士と会計士と医師の知人を持つことが、現代社会を生きる上では、必須な
のかも知れませんね。
 けれども、有能な人材を使いこなすだけの知性と度量がなければ、『豚に真珠』と
なってしまいますが・・・。 了



■あとがき

 都合により、二日間、連載を休ませて頂きました。ご了承ください。

 作家の加藤廣氏が、本日の日本経済新聞のスポーツ欄において、コラムを投稿さ
れています。その一部を抜粋して、転載します。

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 ということで、筆者の名監督論は、以下3つになる。

 条件1. プロ野球入団時、1.5流か2流選手。

 条件2. 1の条件に加え、一途な努力で1.2流まで登りつめた選手。

 例外として、
 条件3. 現役選手としては失格、あるいは目立たなかったが、前記の2つの条件
を満たす名監督やダメ監督の下で、じっくり人間観察を繰り返した結果、変身した男。

 筆者は、スター選手を名監督に挙げない。自分がスイスイ投げたり、苦もなく打
ってきた成功体験が災いして、選手が、なぜ(自分のように)投げられないのか、
打てないのかの苦労を、選手と同じレベルの感覚で理解できないからだ。それでは
本当に選手と一緒になって泣いたり笑ったりして野球が楽しめない。

 それなのに日本で監督に元スター選手が多いのは(米国と違って)プロ野球が企
業体の宣伝媒体であること。そのオーナーが有名人好きだからに過ぎない。

 もっともスター選手が名監督になれることも、稀にある。ある時期、どん底に落
ち、挫折を味わった場合だ。前回激賞した三原脩がその典型である。三原にしても
巨人を追われ、西鉄に行くことがなかったら、あの変身はなかった。

 たしか、松永安左ヱ門だったが、人間の成長の条件に『大病・浪人・投獄』を挙
げた。名監督も同じだろう。

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 先日の『あとがき』で申し上げた、「人生の三大試練→大病・浪人・投獄」の言
いだしっぺは、“電力の鬼”の松永安左ヱ門さんだったんですね・・・。

 (松永安左ヱ門さんに関しては、『まかり通る』という小説があります。なかな
か、面白い本です。宜しかったら、御一読ください。)

 『御曹司』として生まれて、世間知らず・苦労知らずのまま育った『お坊ちゃん』
が、『世襲』で権力のトップの座に就けば、遅かれ早かれ、その組織体が『破滅』
に向かっていくのは、ビジネスの世界でも、政治の世界でも、宗教の世界でも、そ
して、北朝鮮でも、共通の理です。

 そういえば、病に倒れた後の金正日の顔は、一層、阿部日顕さんに似てきた・・・。 (笑)

 ちなみに、上記の『名監督の3条件』を、世界トップクラスの『サッカーの名監
督』に準えると、「条件1.は、アーセナルのヴェンゲル監督。条件2.は、マン
チェスターユナイテッドのファーガソン監督。条件3.は、レアルマドリードのモ
ウリーニョ監督。」ということでしょうか。

 日本代表をワールドカップでベスト16入りさせた岡田監督は、辛うじて、『条
件2.』に入るかも知れません。 (笑)
 やはり、「運も実力の内」ですから・・・。 了



■あとがき

 昨日の深夜、テレビを点けた瞬間、「あっ、ロストロポーヴィッチだ!」と、思
いました。
 その時、テレビの再放送では、チェロの巨匠・故ロストロポーヴィッチ氏と、小
澤征爾さんが指揮するサイトウ・キネン・オーケストラの映像が流れていました・・・。

 『交響詩ドン・キホーテ』のリハーサル風景やロストロポーヴィッチ氏へのイン
タビュー、そして、素晴らしい演奏。
 これが、『最後の演奏』だったようです。

 アゼルバイジャン出身のロストロポーヴィッチ氏は、作家のソルジェニーツィン
氏を擁護したことにより、ソビエト連邦当局から『反体制』の烙印を押されて、音
楽活動を停止させられます。
 その後、ロストロポーヴィッチ氏は、ソビエト連邦から『亡命』しています。

 ゴルバチョフ政権になって、『国籍剥奪』の処分が解かれるまでの16年間、ロ
ストロポーヴィッチ氏には、様々な思いがあったのでしょう。
 『交響詩ドン・キホーテ』の主人公に、御自身の姿を重ねられているようでした。

 現在活躍中の世界的チェリストである、ラトビア出身のミッシャ=マイスキー氏
も、旧ソ連時代に拘留されて、強制労働を強いられています。

 ロストロポーヴィッチ氏も、ミッシャ=マイスキー氏も、バッハの無伴奏チェロ
組曲が『十八番』ですが、確かに、この曲は、演奏者に、深い精神性が求められる
のかも・・・。

 一方、その番組に出演していた小澤征爾さんが、ガンの手術後、ほぼ1年ぶりに、
本日、カーネギーホールにおいて、ブラームスの交響曲第一番を指揮されたそうで
す。
 演奏が終わった後に、聴衆が総立ちとなって、満場の拍手が鳴り響いていました。

 何だか、本日の『あとがき』も、「大病・浪人・投獄」がテーマになってしまい
ましたね。 (笑)

 そう云えば、ヴァイオリン奏者の樫本大進さんが、ベルリン・フィルの『コンサ
ートマスター』に就任されたニュースも、昨日、目にしました。

 これって、ニューヨーク・ヤンキースで『四番』を打ったり、FCバルセロナで
『10番』を着けるような事と同等か、もしくは、それ以上の名誉なんですよ。

 だけど、長年、ベルリン・フィルの『コンサートマスター』を務められた、前任
の安永徹さんと同様に、日本では、ほとんど、知られていないんです。
 残念、残念。     了



■あとがき

 涅槃経においては、牛乳を精製する際の『五段階の味』に譬えられながら、『五
味』の教理が説かれています。

 大雑把に申し上げると、「『乳味』は、搾りたての乳の味。『酪味』は、バター
やチーズの味。『生蘇味』は、コンデンスミルクの味。『熟蘇味』は、乳酸菌飲料
の味。『醍醐味』は、『熟蘇味』を精製して得られた液体であり、濃厚甘美で薬用
にも用いられる。」
ということでしょうか。

 『醍醐味』は、現代の日本でも、用いられる表現ですね。
 「最高の教え」とか「覚りの境地」とか「心髄」のような使われ方もされていま
す。

 ちなみに、サンスクリット語では、『醍醐味』を「サルピルマンダ」、『熟蘇味』
を「サルピス」と云います。

 「カルピス」の創業者の三島海雲氏は、音楽家の山田耕筰氏やサンスクリット語
学者の渡辺海旭氏と相談しながら、「サルピルマンダ」「サルピス」を言いやすく
した上で、商品名を「カルピス」と命名したそうです。

 なお、天台大師は、『五味』を『五時の教判』に配して、釈尊御一代の経典を御
判釈なさっています。
 「華厳時」は『乳味』、「阿含時」は『酪味』、「方等時」は『生蘇味』、「般
若時」は『熟蘇味』、「法華・涅槃時」は『醍醐味』です。 

 以上、上記御書の『五味』に関して、一言、補足を申し上げました。 了



■あとがき

 上記御書に登場する周公旦は、『礼』を基盤とした、『周』の時代の政治家です。
 そのため、孔子からも、深く、尊敬されています。

 上記御書の周公旦のエピソードは、『史記』が出典です。その原文を訳しておき
ます。

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 周公旦は、その子である伯禽を戒めて、こう云った。

 「私は、文王の子であり、武王の子であり、そして、成王の叔父でもある。

 そして、今、天下において、必ずしも、賤しい身分ではない。(高い地位にある。)

 それでも、なお、私は、一度の髪を洗う間に、三度も髪を握り、一度の食事の間
に、三度も口の中の食べ物を吐き出して、起立しながら、士を待ち受ける。

 それは、天下の賢人を失うことを、恐れるからである。

 息子よ。魯の国へ行ったら、身を慎みなさい。国の力を以って、人に対して驕る
ような事があってはならない。」と。

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 このエピソードは、『握髪吐哺(あくはつとほ)』の四字熟語になっています。
 『握髪吐哺』とは、「すべてを差し置いてでも、賢人を熱心に求める様子。」と
いう意味です。ご参考まで。 了




■あとがき

 ウィキリークスのアサンジ氏が釈放されたと思ったら、今度は、大桃美代子さん
のツイッター騒動。 

 先日の海上保安庁職員のユーチューブ投稿事件と合わせると、世の東西を問わず
に、何だか、「秘密の暴露」が流行っているようです。

 それにしても、「悪いのは私です。」なんて台詞を、男だったら、一度ぐらいは、
言ってみたいですね。モテる男って、辛い・辛い。 (笑)

 大桃さんや麻木さんのプライベートな問題に言及するほど、無粋な事はしません
が、ツィッター等のネットメディアを用いれば、瞬時に、しかも、お手軽に、自ら
が発信したい情報を、国の内外へ伝える事が出来るようになったことに、改めて、
驚かされます・・・。

 仏教においては、『付法蔵の二十四人』という方々がいらっしゃいます。
 『付法蔵の二十四人』とは、釈尊からの付嘱を順次に受け継がれて、仏法を弘め
られた二十四人の仏弟子のことです。

 『波木井三郎殿御返事』においては、「第八の仏駄密多・第十三の竜樹菩薩等は、
赤き旛を捧げ持ちて、七年・十二年王の門前に立てり。」と、仰せになられていま
す。

 つまり、「付法蔵の第八番目の仏駄密多と第十三番目の竜樹菩薩等は、外道の教
えを信じていた王を教化するために、赤い旗を掲げながら、七年間・十二年間も、
王城の門前に立たれて、抗議の姿勢を示された。」ということです。

 もう、三十年近くも前になりますが、筆者は、本尊模刻の大謗法を知った時、『付
法蔵の二十四人』の故事に倣って、「信濃町の学会本部と大石寺の三門の前で、赤
い旗を掲げて、自費出版の小冊子を配布しようか。」と、真剣に検討したことがあ
ります。 (笑)

 しかし、今では、そんな事をしなくても、ネットのメディアを使えば、容易に、
全世界へ、自らの主張が伝えられるんですね。
 
 筆者は、「様々な問題はあっても、インターネットの発明は、古代中国における
紙の発明・グーテンベルグの活版印刷術の発明と並んで、『世界史上に残る、三大
メディア革命』であろう。」と、考えています・・・。

 そして、筆者が驚いたのは、麻木さんの記者会見にも、弘中惇一郎弁護士が同席
されていたことです。

 弘中惇一郎弁護士は、ロス事件の三浦和義氏や厚労省の村木厚子氏の無罪等を、
勝ち取っています。
 「刑事事件を扱わせれば、当代随一の敏腕。」という評判が高く、これから、
小沢一郎氏の裁判も担当されるようです。

 山路氏との関係について、「最高裁でも判例がある。婚姻関係が破綻していれば、
不倫・不貞ということは、ないんですよ。」と、弘中惇一郎弁護士が強調されてい
た時、麻木さんの安堵した表情が印象的でした。

 ちなみに、精神科医で東大合格法等の著書等でも知られる和田秀樹氏は、弘中惇
一郎弁護士について、「裁判に勝つまでの間、依頼者が経済的に苦しい時には、費
用を立て替えたりしているようだ。」というエピソードを明かされています。

 先日の『あとがき』で記しておりますが、市川海老蔵さんの事件を担当している、
『カリスマ民暴弁護士』の深沢直之氏と同様に、よい弁護士の知己を得ておく事は、
とても大切なんですね。つくづく、そう思いました・・・。 

 明日・明後日は、『大学三郎殿御書』を配信します。 了




■あとがき

 2日ほど、連載を休ませて頂きました。ご了承ください。

 長い間、創価学会の池田名誉会長が公の場に姿を現していないため、一部の関係
者は、『池田大作重病説・死亡説』を唱えています。
 しかしながら、真相は、『藪の中』ですし、筆者としては、興味も関心もありま
せん。

 おそらく、『第二の法華経の行者』を詐称する池田大作氏を失った後の創価学会
は、求心力を失って、四分五裂するでしょう。
 そして、その渦中で、池田大作氏に対する、『総括と批判』が行われるでしょう。
『スターリン批判』や『四人組裁判』のように。

 『戒壇の大御本尊と不二の尊体』を詐称する阿部日顕師と同様に、多くの人々か
ら、『生身の仏』と仰がれている『大謗法の輩』の末路は、三階禅師の故事の如く、
悲惨なものとなるでしょう。

 それにしても、これだけの情報化社会において、『戒壇の大御本尊と不二の尊体』
『第二の法華経の行者』という名の『生身の仏』の虚言を、未だに、本気で信じて
いる連中がいるんですね。

 そういう連中の魂は、『生身の仏』という名の『大蛇』によって、既に、飲み尽く
されていたり、食い尽くされているのかも知れません。 了




■あとがき

 大晦日の夜となりました。にも拘らず、筆者は、発熱してしまいました。
 日頃の心掛けが欠如しているからでしょうか・・・。 

 本年は、『電子書籍元年』と云われています。
 いずれ、筆者は、作成した御書の訳文の電子書籍化を検討しています。

 そのためにも、まずは、風邪を治して(笑)、生活の基盤を整えながら、日々、
継続出来る事を、淡々と、行って参ります・・・。

 読者の皆様におかれましては、本年も、たいへんお世話になりました。
 ありがとうございました。

 よいお年をお迎えください。 了




■あとがき

 今朝、コーヒーショップにおいて、朝食の替わりに、チョコを食べながら、カフ
ェ・オレを飲みました。そして、しばらくの間、読書を。

 将棋の羽生善治三冠の著書『結果を出し続けるために』を読んでいると、「人は、
普通に続けられることしか続かない。」という記述がありました。

 一見、当たり前のようですが、とても、深い言葉です・・・。

 筆者が、日々、普通に続けられることの一つは、このメルマガです。
 けれども、日蓮大聖人の御書全編を訳そうとすると、あと、20~30年を要す
るでしょう。 (笑)

 徳富蘇峰は、55歳から、『近世日本国民史』を書き始めて、全百巻の完結を、
89歳の時に迎えています。

 遅咲きの彫刻家・平櫛田中は、72歳で東京美術学校の教授、77歳で東京藝術
大学の教授、90歳で文化勲章、93歳で東京藝術大学の名誉教授、そして、10
7歳で亡くなるまで、創作活動を続けています・・・。

 筆者は、「普通に続けられることを、日々、継続していきながら、数十年の歳月
を掛けて、御書の訳文作りを結実させたい。」と、考えています。 了




■あとがき

 今日、菅内閣の『内閣改造』が行われたようです。

 筆者は、「今年の通常国会において、参議院の『菅首相に対する問責決議案』が
可決。『予算成立』と引き換えにして、統一地方選の前に、菅首相が辞任。」と、
予測しています。

 そのため、『あと、2~3ヶ月しか持たない内閣』の事など、全く、関心があり
ません。 (笑)

 そんな事よりも、本日の午前中は、皇居の宮殿・松の間において、『歌会始の儀』
が行われていたんですね。
 
 「そういう日に、ドタバタと、『内閣改造』なんか、やってんじゃねぇよ。」と、
ツッコミを入れたくなりました。 (笑)

 「『歌会始の儀』が終わった直後に、新大臣に対する、天皇陛下御臨席の認証式
を取り行うことは、あまりにも不粋であり、不見識極まりないことだ。」と、筆者
は考えています・・・。
 
 「古代の昔から、帝も民も、共に、一年の安寧を願って、同じ題で、歌を詠む。」
という儀式は、誠に素晴らしい日本の伝統です。

 かつて、ある学者が、「日本には、古来より、『法の下の平等』がなかった。し
かし、日本には、『歌の下の平等』があった。」と、指摘していました。
 筆者も、全く、同感です・・・。

 今年の『歌会始の儀』の題は、『葉』でした。

 【 五十年の祝ひの年に共に蒔きし白樺の葉に暑き日の射す 】 -天皇陛下-

 【 おほかたの枯葉は枝に残りつつ今日まんさくの花ひとつ咲く 】 -皇后陛下-

 中学三年生の女性の入選作です。

 【 『大丈夫』この言葉だけ言ふ君の不安を最初に気づいてあげたい 】

 そして、高校三年生の女性の入選作です。

 【 駐輪場かごに紅葉をつけてゐるきみの隣に止める自転車 】

 この高校生は、富士市在住の方のようです。
 かつて、筆者も、富士市に在住していたことがあるので、親近感が湧きます・・・。 

 巷間、「俳句は、『俯瞰』。短歌は、『情感』。」と、云われます。
 そういうこともあって、筆者は、元々、『俳句派』なんです。

 【 三宝を 拝したつもりが 不敬かな 】 -筆者作- 

 こういう『日顕宗の邪義』に関する川柳は、簡単に、出来るんですけど。 (笑)

 やはり、『歌』を作るのは、難しいですね。
 教養や人生観が反映されてしまいますし。

 けれども、恥を忍んで、筆者も『平和』を願って、『歌会始の儀』の題の『葉』を
用いながら、人生初の『歌』を詠みます。

 【 寒風に落ち葉吹かれし欅並木コートの襟立て足運びなむ 】 -筆者作- 

 お粗末でした・・・。 (笑)




■あとがき

 先日、チュニジアのベンアリ前大統領がサウジアラビアへ『亡命』して、23年
間に及んだ独裁体制が崩壊しました。
 この『独裁者』は、大統領の任期を『終身制』へ変更して、自らの『独裁化』を
謀っていました。
 
 ベンアリ前大統領は、『絶対的な権力は、絶対的に腐敗する。』という教訓を、
地で行く人物ですね。阿部日顕さんみたいに。 (笑)

 そう考えると、昭和初期の時点において、『管長の任期』に言及されていた日亨
上人の英邁さには、改めて、感銘を受けます。
http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/kokuhaku-genbun.html
http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/kokuhaku-kaisetsu.html

 『権不十年』という諺があります。
 また、大統領制を敷いている多くの国々では、『1期4年で、最長2期8年まで。』
の規定があります。

 そう考えると、日蓮正宗の『管長の任期』も、7~8年が適当なのでしょう。
 狂気の阿部独裁時代が終焉を迎えた暁には、『管長の任期』に対する法整備(宗
制宗規の変更等)が求められるようになるでしょう。

 振り返ると、『戒壇の大御本尊と不二の尊体』の邪義を言い出したり、『推定総
額20億円以上の松濤の大豪邸』の無駄遣いを行ったのは、阿部日顕さんの任期が
10年を超えてからです。


 尤も、阿部日顕さんが管長に就任してからの10年間は、ひたすら、『池田先生』
に平身低頭していましたけどね。 (笑)


 ちなみに、チュニジアのベンアリ政権崩壊を招いたデモは、同国の青年が『抗議』
の意思表示として、焼身自殺を行ったことが発端となっています。
 小乗教の『灰身滅智』のような焼身自殺は、決して、奨励されるものではありま
せんが・・・。

 日亨上人が御登座される際には、前管長であった日柱上人に対する『退座要求』
を突き付けて、『管長選挙』の末に、『退座』を拒み続けた日柱上人を破っていま
す。
 
 日蓮正宗の御僧侶よ。
 仏飯を食む者としての良心があるならば、せめて、それぐらいの『行動』を見せ
て貰いたい。

 
 御年88歳の『独裁者』・阿部日顕さんの死を、座して待つだけでは、あまりに、
能がなさすぎます。
 「焼身自殺したチュニジアの青年の如き、『抗議』を示せ。」とまでは、申しま
せんから。 了



■あとがき

 本日、ノーベル化学賞を受賞された根岸英一さんが、『地球温暖化』の解決に向
けて、新たに挑むことになった、『人工光合成』の研究に対して、文部科学省に『支
援』を要請されました。

 そして、根岸英一さんは、「二酸化炭素による『地球温暖化』の問題では、世界
が少し違う方向に、力とお金を掛けていると思う。科学的に見て、正しい方向に取
り組むことが大事だ。」と、仰っていました。

 そうなんですよね。
 『地球温暖化』に関する議論では、特定の勢力や利権団体の思惑に引きずられて
いる側面が・・・。

 『人工光合成』の研究が進めば、二酸化炭素から食料や燃料等を作り出す事が、
可能になるようです。
 本当に、『人工光合成』が実現すれば、素晴らしいですね。
 
 『人工光合成』のニュースを聞いて、上記御書でも仰せになられている、『日(太
陽)の偉大さ』を、改めて、実感しました。 了




■あとがき

 学会版の『御書全集』では、本日掲載分の御書において、「又かまくらは、日本
を失はんといのるかと申すなり。これをよくよくしる人は一閻浮提一人の智人なる
べし、よくよくしるべきか。」と、仰せの箇所が欠落しています。

 なお、『参考文献』に提示させて頂いた、『撰時抄愚記』(日寛上人文段)にお
いては、上記箇所に対する御指南が記されています。

 現存する『撰時抄』の御真蹟は、五ヶ所の寺に分散しているため、「総本山第五
十九世日亨上人が学会版の『御書全集』を編纂された、昭和27年当時には、上記
箇所が発見されていなかったのではないか。」と、筆者は推定しています。 了



■あとがき

 いよいよ、この辺りから、『撰時抄』のクライマックスに突入します。 (笑)

 『撰時抄』の元意は、御本仏日蓮大聖人が末法・下種の教主であらせられる事を、
お説きになられる点にございます。
 人本尊開顕の書『開目抄』や法本尊開顕の書『観心本尊抄』と同様に。

 明日・明後日は、『一谷入道女房御書』を配信します。 了



■あとがき

 筆者は、「上記の御金言において、『隣国の聖人』とは、チンギス=ハーンのこ
とを指されているのではないか。」と、判断しています。

 実は、仏や菩薩や優れた御僧侶・在家の方々を除いて、筆者が、古今東西の世上
(世法)において、最も尊敬する人物は、裸一貫のどん底の状況から、大モンゴル
帝国(イェケ・モンゴル・ウルス)を築き上げた、チンギス=ハーンなんですね。 (笑)

 「地上に境界なく、人間に差別なし。」のスローガンの下に、その領土はユーラ
シア大陸全般に及び、独創的な軍律と法治、圧倒的な情報収集力、被征服地域にお
ける人材の活用・信教の自由・産業の充実等々、当時としては、極めて、寛大かつ
斬新的な政策を断行して、多民族・多文化国家を築き上げています。

 加えて、チンギス=ハーンは、経済政策に秀でた重臣を活用して、金・銀等の兌
換に拠らないペーパーマネー(不換紙幣)である、基軸通貨の『交紗』や『塩引』
を発行しています。云わば、近代の『ドル』みたいなものですね。

 おまけに、『ファンド』まで、あったんですよ。大モンゴル帝国(イェケ・モン
ゴル・ウルス)においては。 (笑)

 こういう経済・金融システムを、日蓮大聖人が御存命であった13世紀に築いて
いたのですから、『神風』が吹かなければ、間違いなく、日本は侵略されていたで
しょうね。 

 ちなみに、「チンギス=ハーン及び彼の子孫等によって構成された、大モンゴル
帝国(イェケ・モンゴル・ウルス)の『敗戦』は、『日本・ベトナム遠征』(不慣
れな海上戦と東アジア特有の台風の動きを知らなかった故の自滅)と『エジプト遠
征』(戦略上の基本方針違反の為)だけだった。」と、云われています・・・。

 チンギス=ハーンは、反抗する勢力に対して、徹底的な『大量報復作戦』を施し
たものの、恭順する勢力に対して、『略奪』等の過酷な統治政策を採りませんでし
た。
 そして、管轄地内の税率が低かったため、大モンゴル帝国(イェケ・モンゴル・
ウルス)は、慢性的な『財政赤字』だったようです。

 それを補うために、不換紙幣の活用や交易の促進等々の『通商経済政策』を採っ
ていたのでしょう。
 現代社会に生きる我々にも、参考となる点が、多々あります。

 なお、若い頃から、辛酸を嘗めて、『遅咲き』の帝王であったチンギス=ハーン
は、大帝国を治めるようになってからも、遊牧民時代の素朴な生活を守って、華美
な贅沢を戒めていました。
 
 そして、『多妻制』が当然であった時代に、『糟糠の妻』であった第一夫人のボ
ルテを大切にされて、後年、領土の拡大等を目的とした『政略結婚』をするまでは、
他の妻を持とうとしなかったそうです。

 『松濤の大豪邸』に住んで、芸者遊びが大好きで、ファーストクラスの飛行機・
超高級ホテルのスイートルーム・ブランド品買い漁りの海外旅行をしている、『戒
壇の大御本尊と不二の尊体』と云う名の『肉食・女犯・妻帯の在家僧』(笑)も、
チンギス=ハーンと云う名の『隣国の聖人』の質素な暮らしぶりを、よく見習うべ
きでしょう。 了




 ■あとがき

 本年は、1月20日から2月3日の『旧正月』までが、『大寒』になります。
 現在、一年で、最も寒い時期なのでしょう・・・。

 筆者は、毎朝7時頃から、勤行をします。
 今の時期は、大体、その時刻になると、赤々とした、真ん丸な太陽が見えます。

 「じ~ん」とするんですね。真っ赤な太陽が昇ってくると。 
 
 『国府尼御前御書』に曰く、「日蓮をこいしくをはしせば、常に出づる日、ゆう
べにいづる月ををがませ給へ。いつとなく日月にかげをうかぶる身なり。又後生に
は霊山浄土にまいりあひまいらせん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。」と。 了



■あとがき

 上記御金言にも記されている『葦』を、「アシ」と読むのか、「ヨシ」と読むのか。
 かつて、筆者の知人と、言い合いになったことがあります。 (笑)

 その結果・・・。
 
 「アシ」も「ヨシ」も、正解だったんですね。
 主に、関東で「アシ」と読んで、関西で「ヨシ」と読むようです。

 しかも、『葦』を、「アシ」と読もうと、「ヨシ」と読もうと、同じ事であること
から、「よしあし」という俗語が生まれて、それに、「善し悪し」という当て字を付
けたとか・・・。

 「人間は、考える葦である。」という、パスカルの有名な言葉があります。

 筆者としては、「人間は、考える葦(ヨシ)である。」と読んでしまうと、今一つ、
ピンと来ないのですが。 了




■あとがき

 先般、御紹介した、将棋の羽生善治三冠の著書・『結果を出し続けるために』に
は、こういう記述があります。

 「また、サッカーでも将棋でも、現代の戦術は、基本的に端から攻めるところも
似ています。

 サッカー、バレー、バスケといった、相手と向き合う競技に共通しているのが、
現代ではスピードを重視しているところです。

 以前は、全体的に厚みを重視して、押しつぶすように攻める感じでしたが、今は
パスを速く回すなどしてスピードを上げ、展開を良くするようになっています。」
と。

 まさに、その通りの『展開』でしたね。
 アジアカップ・準決勝・日韓戦における、『本田→長友→前田→ゴール』の場面
は。 (笑)

 「日本代表歴代監督の中では、先々代のオシム監督が、最も『名監督』だったの
ではないか。」と、筆者は考えています。
 現在のザッケローニ監督も、なかなか、いい監督ですけど。

 オシムさんが日本代表監督へ就任される際に掲げられた、「日本サッカーの日本
化」というコンセプトが、現在、結実しつつあるように思います。

 日本人特有の勤勉性・規律性・俊敏性。それらを生かした、日本らしいサッカー。
そして、逆境を跳ね返していく精神力。

 日本代表の「得点力不足」や「気力のなさ」を嘆いていたのが、遠い過去の出来
事のように感じます。 (笑)

 日韓戦のPK合戦の勝利によって、昨年のワールドカップ・パラグアイ戦の悔し
さを、日本国民全体が払拭出来たように思います。

 明後日の決勝戦にも勝って、2006年のワールドカップ・オーストラリア戦の
敗北感を、是非とも、払拭したいものです・・・。

 筆者が尊敬するチンギス=ハーンは、「海のように広がり、錐(きり)のように
突け。」という戦術を唱えた事が、『元朝秘史』の記録に残っています。

 「海のように広がり、錐(きり)のように突け。」
 アジアカップの決勝戦でも、そういうゴール・シーンを見たいものです。 了





■あとがき

 上記の『撰時抄』の御金言においても、参考文献の『観心本尊抄』の御金言にお
いても、「正嘉の大地震・文永の大彗星等の天変地異は、四大菩薩(人法一箇の大
御本尊)が御出現なされる為の『瑞相』であった。」
という主旨の内容が、仰せに
なられています。

 その点を、見落としがちなんですね。
 「日蓮大聖人の教えに帰依しなければ、日本国は滅亡する。」等と、カルトまが
いの脅迫めいた主張をされる方々は。 (笑)

 確かに、『立正安国論』で仰せの如く、「正法治国」「邪法乱国」ということが、
仏法上の大原則であります。

 それと同時に、「正像に無き大地震・大彗星等出来す。此等は金翅鳥・修羅・竜
神等の動変に非ず、偏に四大菩薩(人法一箇の大御本尊)を出現せしむべき先兆な
るか。」と仰せの事柄を、我々は、肝に銘じる必要があります。

 故に、昨今の火山噴火等の自然現象と安直な終末思想(笑)を結び付ける行為は、
却って、日蓮大聖人の御真意を捻じ曲げることになるでしょう。


 ところで・・・。

 サッカー・アジアカップの決勝戦は、見事な試合でした。 

 「海のように広がり、錐(きり)のように突け。」 
 決勝点の【長友→李→ゴール】は、まさしく、そういう展開でしたね。 了



■あとがき

 『参考文献』に提示させて頂いた、日寛上人の『撰時抄愚記』の御指南において、
「蒙」と記されているのは、『録内啓蒙』のことです。

 『録内啓蒙』を御説明すると、「江戸時代の初期、日蓮大聖人の御書を集めて、
『版文』にした際には、まず始めに、『録内御書』として、40巻・148通が発
行されている。そして、その後に、『録外御書』25巻・259通が、追加発行さ
れている。そして、日蓮宗不受不施講門派の開祖でもあった安国院日講は、元禄8
年に、『録内御書』の注釈書となる、『録内啓蒙』を著した。」ということになり
ます。

 そして、日寛上人は、幾度も、『六巻抄』等の著書において、安国院日講の邪義
を破折なされています。
 上記の『参考文献』の『撰時抄愚記』においても、日寛上人の「瑞相」や「凡夫」
等に関する甚深の御指南や、『録内啓蒙』への破折が記されています。

 なお、安国院日講の邪義に対する、日寛上人の破折につきましては、下記のサイ
トも、御参考になさってください。 了
http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/atogaki-kakiayamari.html



■あとがき

 明日・2月3日は、『節分』です。
 そして、今年の2月3日は、旧暦の『元日』でもあります。

 日本に到来していた寒波もひと段落して、昨日あたりから、若干、暖かさが戻っ
ています。
 春を迎える兆しなのでしょうか・・・。

 今夜が『旧暦の大晦日の夜』となるため、『旧暦愛好家』の筆者としては、「サ
ッポロ一番・味噌ラーメン」に卵と玉ねぎを入れて、“年越しそば”を食べること
にします。 了




■あとがき

 本日は、『旧暦の元日』であり、『節分の日』でもあります。
 この二つの日が重なったのは、38年ぶりです。
 そのせいか、筆者は、「改まった印象」を受けています・・・。

 チュニジアの『ネット革命』に続いて、日本の大相撲界でも、長年、物議を醸し
てきた“八百長疑惑”に対して、『ネット革命』が起きたのでしょうか。 (笑)
 力士間のメールの履歴が『動かぬ証拠』となって、日本相撲協会お得意の「知ら
ぬ、存ぜぬ。」が通用しなくなりました・・・。

 20年ぐらい前は、『若貴』の二子山部屋や武蔵川部屋の力士たちが、“星の貸
し借り”に応じなかったため、皮肉交じりに、『ガチンコ勢』と云われていたんで
すね。 
 その当時を振り返ると、千秋楽の『朝潮対北天佑』の取組等々、なかなか、見応
えのある『一番』が多かったものです。 (笑)

 『動かぬ証拠』と云えば、「厚生労働省の村木さん関連の事件」で逮捕された、
大阪地検特捜部の元副部長さん。
 先日、大阪地検の廃棄書類の回収ボックスから、「前田元検事がフロッピーディ
スクの日付を改竄した内容を記していた、元副部長直筆のメモ。」が見つかったそ
うです。

 この元副部長さんは、逮捕された当時、御自身の『潔白』の証拠として、「自筆
(手書き)の業務日誌」を提示していました。
 『検事』の職に就いていた人が、所詮、個人的な私物に過ぎない「自筆(手書き)
の業務日誌」を、『客観的な証拠』として・・・。

 かつて、阿部日顕さんが御自身のセックス・スキャンダル裁判において、「自筆
の(手書き)の黒い手帳」を『客観的な証拠』として、公判中に申請した故に、嘲
笑を浴びた事がありましたね。
 しかも、「自筆の(手書き)の黒い手帳」への『加筆』まで、相手方に『鑑定』
される大失態を・・・。 (大笑)

 新年早々、チュニジアだけでなく、エジプト・ヨルダン・イエメン等のアラブ諸
国にも『ネット革命』が波及して、続々と、独裁長期政権が転覆しそうな気配です。

 大相撲界の『激震』。創価学会・池田大作名誉会長の『重病報道』。
 菅政権は、たぶん、春先までしか、持たないだろうし。
 阿部日顕さんは、『戒壇の大御本尊と不二の尊体』の地位を、今年も維持出来る
のかなぁ? (笑)

 平成23年は、色々な意味で、『改まる一年』になるかも知れません。 了



■あとがき

 『参考文献』の『撰時抄愚記』において、日寛上人が御引用された、伝教大師の
『顕戒論』の御記述は、「悪僧の精神分析」として拝読すると、尚更、興味深いも
のがあります。

 「悪僧」が胸に抱いている事は、釈尊の時代であっても、伝教大師の時代であっ
ても、日蓮大聖人の時代であっても、日寛上人の時代であっても、そして、阿部日
顕さんが『戒壇の大御本尊と不二の尊体』として君臨する時代であっても(笑)、
やはり、不変なのでしょう。 了



■あとがき

 本日は、日本全国、概ね、雪の『建国記念日』ですね・・・。

 では、『建国記念日』にちなんだクイズです! (笑)

 さて、今年(平成23年)は、『皇紀何年』でしょうか?
 正解は、「今年、日本は『皇紀2671年』を迎える。」です。

 もう、『皇紀』という言葉自体が、「死語」になりつつあるのかも知れませんね。
 先日、平成生まれの方に、「『皇紀』って、知ってる?」と、筆者が尋ねたら、
「亀田興毅なら、知ってます。」と、言われたぐらいですから・・・。 (笑)
  
 勿論、偏狭な「国家神道」は、排除すべき存在です。その邪義を盲信する、愚か
な戦争賛美主義者どもと、同様に。

 しかしながら、御本尊様の御相貌にも、正法の信仰を守護される「諸天善神」と
して、「天照大神」「八幡大菩薩」がお記しになられています。
 
 筆者自身は、「建国の『神話』の真偽は別としても、日本国には、千年単位の連
綿たる歴史・伝統・文化が存在する事に、疑いの余地はない。現代社会に生きる日
本人は、もう少し、その事に対して、関心と誇りを持つべきではないか。」と、考
えています。 了



■あとがき

 今回配信分の御金言にお記しになられている、梶原景時と平宗盛のエピソードに
ついて、少々、御説明します。

 梶原景時は、石橋山の合戦の際に、源頼朝の窮地を救った恩人であります。
 そのため、終生、源頼朝からの信任が厚く、鎌倉幕府の御家人の中心人物(侍所
別当)でした。

 梶原景時は、多くの戦いで武勇を示しただけでなく、事務能力・実務能力にも優
れていました。
 また、京都の徳大寺家と交遊があったせいか、和歌を好み、教養豊かな文武両道
の侍でした。

 その一方で、梶原景時は、奥州へ逃げた源義経を討伐したために、後世の『判官
贔屓』の方々から、『大悪人』の異名を受けています。

 以前、NHKの大河ドラマ『義経』において、ジャニーズ事務所の滝沢秀明さん
が源義経役を演じた際には、中尾彬さんが梶原景時役を演じています。
 その配役だけでも、何となく、イメージが湧いてきますか? (笑)

 梶原景時は、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した際にも、陣頭指揮を執っています。
 そこで、亡き平清盛の息子であった、平宗盛と戦う事に・・・。

 『平家物語』や『吾妻鏡』によると、安徳天皇や平知盛・経盛・教盛等の一族が
壇ノ浦で入水・自害されているにも拘らず、平家一門の棟梁であった平宗盛は、た
だ、逃げ回っているだけだったそうです。

 その醜態を見ていた平家の諸将は、大将の無様さに嫌気がさして、無理やり、平
宗盛を捕まえてから、海に突き落としています。
 ところが、肥満体だった平宗盛は、浮きやすかったせいか、一命を取り留めるこ
とに。(笑)

 その後、捕虜の身となった平宗盛は、助命を懇願して、鎌倉へ移送されます。
 敗軍の将として、平宗盛が源頼朝の前へ引き出される際に、その手引きをしたの
が、梶原景時だったんですね。

 元々、愚鈍な上に傲慢な性格で、思い上がった振る舞いをしていた平宗盛は、そ
の際に、一転して、泣きっぱなしで弁明も出来ずに、卑屈な態度で、命乞いと出家
を求めたそうです。

 それ故に、「この臆病者が、平清盛の息子か。」等と、鎌倉中の人々から、非難
・嘲笑されています。

 おまけに、平清盛の妻であった時子が、我が子の醜態を見るに見かねて、「あん
な息子は、清盛と私の子ではない。京の傘売りの子と、実子を取り替えたのだ。」
と、言い出したことが、『源平盛衰記』に記されています。

 更には、それに便乗した平宗盛が、「そうなんです。私には、平家の血が流れて
いないのです。」と、助命の嘆願材料にする始末・・・。

 ならば、NHKの大河ドラマで、『阿部日顕・政子・信彰』に『平清盛・時子・
宗盛』を演じさせると、間違いなく、“ハマリ役”になるでしょうね。 (笑)

 最終的に、平宗盛は、京都に送還されてから、近江国篠原宿で斬首されています。
 そして、嫡男清宗、次男能宗、その他男児二人も、順次、処刑されたことによっ
て、平宗盛の血統は途絶えました。

 「驕れるものは久しからず。」という『平家物語』の一節と同様に、「大慢のも
のは敵に随ふ。」と仰せの御金言は、古今東西を通じた『道理』であります。 了



■あとがき

 壱岐・対馬を襲来した蒙古の兵船は、文永十一年(1274年)十月二十日に、
九州へ上陸して、博多を陥落させています。

 そして、博多を陥落させた蒙古軍の兵士は、日本軍の追手を警戒したせいか、一
旦、その夜、博多湾沖の軍船に戻っています。

 ところが、その翌朝、蒙古軍の九百隻の大船団は、忽然と、姿を消していました。
 その理由は、『神風』が吹いて・・・。

 これが、『文永の役』の概略です。皆さん、日本史で習いましたね。 (笑)

 上記の御金言に記されている通り、文永十一年(1274年)四月八日、日蓮大
聖人が平左衛門尉へお告げになられた御予言は、その約半年後に、的中なさってい
ます。 了



■あとがき

 「しょーいーしょーほうー、にょーぜーそうー・・・」

 朝夕の勤行を励行されている人には、もう、お馴染みですね。
 法華経方便品第二の「所謂諸法・如是相」の経文は。 (笑)

 日蓮大聖人の『下種仏法』のお立場から、この経文を拝すると、極めて深い法義が
存在します。
 本日配信分の御金言と『参考文献』においては、その内容がお記しになられていま
す。 了



■あとがき

 時折、「蒙古襲来の時には、『神風』が吹いて、日本国は滅びなかった。故に、
日蓮の予言は当たらなかった。」と、云う人がいます。

 けれども、『事の戒壇』が建立されるべき日本国が滅びてしまえば、戒壇建立の
為の『本国土妙』が喪失する事にもなります。
 それでは、日蓮大聖人の御遺命も・・・。

 従って、筆者は、「第二次大戦時のアメリカと日本との国力の差とは、比べ物に
ならないほど、鎌倉時代当時の蒙古と日本との間には、軍事力・経済力等のあらゆ
る面において、天地雲泥の格差が生じていた。そして、『文永の役』と『弘安の役』
の際には、蒙古国の軍勢が日本の国土に上陸して、九州へ侵攻していた。にも拘ら
ず、奇跡的に、二度も『神風』が吹いたため、蒙古軍が退散する結末を迎えたのは、
御本仏日蓮大聖人の御慈悲と諸天善神の御加護が存在したからではないか。おそら
く、蒙古軍の日本上陸によって、『他国侵逼難』を現実化させた上で、『それでも、
日本国を滅びさせてはならない。』という御認識を、御本仏日蓮大聖人がお持ちに
なられていたのではないか。」と、拝察しています。 

 また、筆者は、「今回配信分の御金言において、『痛し、痒し。』の比喩をお用
いになられているところに、日蓮大聖人の御心境が反映されているのではないか。」
と、考えています。 了




■あとがき

 今回をもちまして、『撰時抄』の連載は終了しました。
 そして、『五大部』(立正安国論・開目抄・観心本尊抄・撰時抄・報恩抄)の配
信が終わったことになります。

 「霊山浄土の教主釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界の菩薩等、
梵釈・日月・四天等、冥に加し顕に助け給はずば、一時一日も安穏なるべしや。」

 東北関東大震災及び福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故に遭遇している今こ
そ、『撰時抄』の結文となる上記の御金言と日寛上人の『文段』の御指南を、改め
て、肝に銘ずる必要があるでしょう。 了



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