三大秘法稟承事 弘安五年(1282年)四月八日  聖寿六十一歳御著作


 夫法華經の第七神力品に云はく「要を以て之を言はば、如来の一切の所有の法、
如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此
の経に於て宣示顕説す」等云云。釈に云はく「経中の要説、要は四事に在り」等
云云。
 問ふ、所説の要言の法とは何物ぞや。
 答ふ、夫釈尊初成道より、四味三教乃至法華經の広開三顕一の席を立ちて、略
開近顕遠を説かせ給ひし涌出品まで秘せさせ給ひし処の、実相証得の当初修行し
給ふ処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり。教主釈尊、此の秘法をば三世に
隠れ無き普賢・文殊等にも譲り給はず。況んや其の以下をや。
 されば此の秘法を説かせ給ひし儀式は、四味三教並びに法華經の迹門十四品に
異なりき。所居の土は寂光本有の国土なり。能居の教主は本有無作の三身なり。
所化以て同体なり。かゝる砌なれば久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を、寂光の
大地の底よりはるばると召し出だして付嘱し給ふ。道暹律師云はく「法是久成の
法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云。
 問ふ、其の所嘱の法門、仏の滅後に於ては何れの時に弘通し給ふべきや。
 答ふ、經の第七巻薬王品に云はく「後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、
断絶せしむること無けん」等云云。謹んで經文を拝見し奉るに仏の滅後正像二千
年過ぎて、第五の五百歳・闘諍堅固・白法隠没の時云云。
 問ふ、夫諸仏の慈悲は天月の如し。機縁の水澄めば利生の影を普く万機の水に
移し給ふべき処に、正像末の三時の中に末法に限ると説き給ふは、教主釈尊の慈
悲に於て偏頗あるに似たり、如何。
 答ふ、諸仏の和光利物の月影は九法界の闇を照らすと雖も、謗法一闡提の濁水
には影を移さず。正法一千年の機の前には唯小乗・権大乗相叶へり。像法一千年に
は法華經の迹門機感相応せり。末法の始めの五百年には法華経の本門前後十三品
を置きて、只寿量の一品を弘通すべき時なり。機法相応せり。
 今此の本門寿量の一品は像法の後の五百歳、機尚堪へず。況んや始めの五百年
をや。何かに況んや正法の機は迹門すら尚日浅し、増して本門をや。末法に入っ
て爾前・迹門は全く出離生死の法にあらず。但専ら本門寿量の一品のみに限りて
出離生死の要法なり。是を以て思ふに、諸仏の化導に於て全く偏頗無し等云云。
 問ふ、仏の滅後正像末の三時に於て本化・迹化の各々の付嘱分明なり。但寿量
の一品に限って末法濁悪の衆生の為なりといへる經文未だ分明ならず。慥かに經
の現文を聞かんと欲す、如何。
 答ふ、汝強ちに之を問ふ、聞いて後に堅く信を取るべきなり。所謂寿量品に云
はく「是の好き良薬を、今留めて此に在く、汝取って服すべし。差えじと憂ふるこ
と勿れ」等云云。
 問ふ、寿量品は専ら末法悪世に限る經文顕然なる上は私に難勢を加ふべからず。
然りと雖も三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如かず。汝が志無二
なれば少し之を言はん。
 寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点の当初より以来、此土有縁深厚・本有
無作三身の教主釈尊是なり。寿量品に云はく「如来秘密神通之力」等云云。疏の
九に云はく「一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密
と為す。又昔より説かざる所を名づけて秘と為し、唯仏のみ自ら知るを名づけて
密と為す。仏三世に於て等しく三身有り、諸教の中に於て之を秘して伝へず」等
云云。
 題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題
目を唱へさせ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止みぬ。像法には南岳・
天台等は南無妙法蓮華經と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。
是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行
化他に亘りて南無妙法蓮華經なり。名体宗用教の五重玄の五字なり。
 戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法
を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並び
に御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき
者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺
悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。
 此の戒法立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に、叡山
の座主始まって第三・第四の慈覚・智証、存外に本師伝教・義真に背きて、理同
事勝の狂言を本として、我が山の戒法をあなづり、戯論と謗ぜし故に、思ひの外
に延暦寺の戒、清浄無染の中道の妙戒なりしが、徒に土泥となりぬる事云ひても
余りあり、歎きても何かはせん。彼の摩黎山の瓦礫となり、栴檀林の荊棘となる
にも過ぎたるなるべし。夫一代聖教の邪正偏円を弁へたらん学者の人をして、今
の延暦寺の戒壇を踏ましむべきや。此の法門は理を案じて義をつまびらかにせよ。
 此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚
世尊より口決せし相承なり。今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき、
色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。
 問ふ、一念三千の正しき証文如何。
 答ふ、次に申し出だすべし。此に於て二種有り。方便品に云はく「諸法実相所
謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見」等云云。底下の凡夫理性所具の一念三千か。
寿量品に云はく「然我実成仏已来無量無辺」等云云。大覚世尊久遠実成の当初証得
の一念三千なり。
 今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布するなり。予年来己心に秘すと雖も此の法
門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。
其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存する間貴辺に対し書き遺し候。一見の後は
秘して他見有るべからず、口外も詮無し。法華經を諸仏出世の一大事と説かせ給
ひて候は、此の三大秘法を含めたる經にて渡らせ給へばなり。秘すべし秘すべし。

 弘安五年卯月八日   日蓮 花押 
 大田金吾殿御返事 

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