滝泉寺申状  弘安二年十月 聖寿五十八歳御著作


 駿河国富士下方滝泉寺の大衆である、越後房日弁・下野房日秀等が、謹んで弁言
(弁論・言上)致します。

 当寺院(滝泉寺)の主代である平左近入道行智が、様々な自らの罪科を隠して遮断
するために、みだりに不実の訴訟を起こしたことは、誠に謂れの無い事であります。

 行智の訴状には、「日秀・日弁は、日蓮房の弟子と号して、法華経以外の余経、或
いは、真言の行者は、皆、現世においても後世においても、成仏が叶わないと主張し
ている。〈取意〉 」と、記されています。

 この箇条は、日弁等の本師である日蓮大聖人の教えに従って、申し上げた次第であ
ります。

 日蓮大聖人は、去る正嘉年間(1257~1259年)以来、大彗星や大地震等が
発生する様子を御覧になり、一切経を閲覧された上で、「その当時の日本国の惨状の
原因は、権経や小乗経に執著して、実経を失没させているためである。」と、説かれ
ました。

 そして、前代未聞である、自界叛逆難と他国侵逼難の二難が起こるであろう事を、
日蓮大聖人は予言されたのであります。

 その後、日蓮大聖人は、日本国の治世のために、兼ねてから、これらの大災難を対
治するために考えていた方策を、『立正安国論』という題名の一巻の書に纏められて、
去る文応元年(1260年)年七月十六日に、当時の執権の北条時頼殿へ上奏されて
います。
 
 『立正安国論』において、日蓮大聖人が考察して申し上げたことは、皆、符合して
おります。

 『立正安国論』の予言が的中した有様は、まるで、声と響きとの関係のように、寸
分の狂いもありません。
 既に、日蓮大聖人の『立正安国論』は、釈尊がお述べになられた未来記と、同様の
地位を占めるに至っています。
 
 外書(儒教の書物)には、「未だに起きていない事を知る者は、聖人である。」と、
云われています。

 仏典には、「智人は、物事の起こりを知る。蛇は、自ら蛇を知る。(蛇は、自らが
辿った経路を知る。)」と、説かれています。

 これらの記述から考察してみると、私どもの本師である日蓮大聖人は、まさしく、
聖人に他なりません。

 現に、巧みなる師匠が、国内に在しています。
 にもかかわらず、国宝を、国外に求める必要があるのでしょうか。

 外書(儒教の書物)には、「隣国に聖人がいることは、それだけで、敵国にとって
憂いとなる。」と、云われています。

 仏典には、「国に聖人がいれば、天は、必ず、その国を守護する。」と、説かれて
います。

 また、外書(儒教の書物)には、「国に、聖なる智慧を有した君主がいれば、必ず、
また、賢明なる臣下がいる。」と、云われています。

 これらの本文によると、聖人が国にいらっしゃることは、日本国にとっては大いな
る喜びであり、蒙古国にとっては大いなる憂いとなります。

 聖人は、多くの竜を駆使して、敵の舟を海に沈めます。
 そして、聖人は、大梵天王や帝釈天王に命じて、蒙古国の王を召し取ることでしょ
う。

 既に、君主(北条時宗)が賢人でいらっしゃるのであれば、何故に、聖人(日蓮大
聖人)を用いないで、徒(いたずら)に、他国から責められることを憂いているので
しょうか。

 そもそも、大覚世尊(釈尊)は、遠く遥かに、末法の闘諍堅固の時を鑑みて、この
ような大難を対治するための秘術をお説きになられて、明白に、経文として残されて
います。
 
 しかしながら、釈迦如来の滅後二千二百二十余年の間、インド・中国・日本等の一
閻浮提(世界中)に、その教えは、未だに流布しておりません。

 随って、四依の菩薩(注、正法を護持する衆生の拠り所となるような、四種類の人
格を有した菩薩のこと。)は、内心では鑑みていても、口に出して説くことはありま
せんでした。
 また、天台大師や伝教大師でさえも、述べられることはありませんでした。

 それは、時が、未だに、到来していないからであります。

 法華経薬王菩薩本事品第二十三には、「釈尊の御入滅後、第五の五百歳(末法)の
中に、閻浮提(世界中)に広宣流布する。」と、仰せになられています。

 天台大師は、「後の五百歳(末法)に弘まる。」と、云われています。

 妙楽大師は、「第五の五百歳(末法)に弘まる。」と、云われています。

 伝教大師は、「この法が弘まる時代を語れば、則ち、像法時代の終わりから末法時
代の初めである。この法が弘まる地を尋ねれば、唐(中国)の東、羯(中国の北方に
あった、ツングース族の国)の西である。この法が弘まる時代の人々の機根を究明す
れば、五濁(劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁)が盛んで、闘諍が激しい時である。」
と、云われています。

 これらの御文こそ、東(日本国の日蓮大聖人の教え)が勝り、西(インド・中国の
釈尊や天台大師等の教え)が負けていることの明文であります。

 法主聖人(日蓮大聖人)は、時を知り、国を知り、法を知り、機を知った上で、君
のため、民のため、神のため、仏のため、そして、国家の災難を対治するための方策
をお考えになられて、『立正安国論』を上奏されています。

 けれども、鎌倉幕府は、『立正安国論』に御信用をされなかった上、事あろうにも、
謗法の人達の讒言を用いてしまいました。

 そのため、日蓮大聖人は、頭に疵を負い、左手を打ち折られた上に、二度までも、
遠国へ流罪(伊豆御流罪・佐渡御流罪)をさせられています。

 そして、日蓮大聖人の門弟等は、諸所で射殺されたり、切り殺されたりしています。

 また、殺害・刃傷・投獄・流罪・殴打・追放・罵詈等の大難は、数えることが出来
ないほどであります。

 これによって、大日本国は、皆、法華経の大怨敵となり、万民は、悉(ことごと)く、
一闡提の人となってしまいました。
 故に、天神は国を捨て、地神は所を辞してしまいました。

 そのため、天下が静穏にならないことを、私ども(日秀師・日弁師)は、日蓮大聖
人から、粗方、伝承しております。
 私ども(日秀師・日弁師)は、その任に堪えうる者ではございませんが、愚案を顧
みずに、日蓮大聖人の教えを言上させて頂く次第でございます。

 外経(儒教の書物)には、「奸人(邪な心を持つ人間)が政を行えば、賢者が用い
られない。」と、云われています。

 仏典(涅槃経)には、「法を壊る者を見ておきながら、これを責めない者は、仏法
の中の怨である。」と、お説きになられています。

 また、風聞に拠りますと、鎌倉幕府は諸宗の高僧等を招請して、蒙古国を調伏する
ための祈祷を行った、とのことです。
 そして、それらの事に関する書状を見聞しました。

 去る天暦年間(1184年~1185年)には安徳天皇が、承久年間(1219年~
1222年)には後鳥羽天皇が、比叡山の座主・東寺・御室・奈良の七大寺・園城
寺等の検校・長吏等の多くの真言師を招請しました。

 そして、安徳天皇は源頼朝、後鳥羽天皇は北条義時を調伏するために、真言の咒咀
(祈祷)を宮中の紫宸殿で行いました。

 しかし、力の弱い者が真言の法を修すれば、必ずや、身を滅ぼすようになります。
 力の強い者であったとしても、この真言の法を持ってしまえば、必ずや、主君の座
を失うようになってしまいます。

 それ故に、安徳天皇は、西海(壇ノ浦)に沈没して、比叡山の明雲座主は、源義仲
が放った流れ矢に当たって亡くなりました。

 後鳥羽法皇は夷の島(隠岐島)に放ち捨てられ、東寺・御室の真言師は高野山で自
害し、比叡山の座主は改易(座主を追放されること)の恥辱を受けています。

 真言の邪義の現罰は、眼を覆いたくなるほどであります。
 因って、後世の賢人は、真言の祈祷の修法を怖れています。

 身延の山中で、日蓮大聖人が御悲しみになられていることは、まさしく、このこと
であります。

 次の論点として、滝泉寺の主代である行智が、「朝夕の勤行は、阿弥陀経を以て、
行うべきである。」と訴えていることにつきまして、謹んで申し上げます。

 よく考えてみますと、花を愛でることも、月を愛でることも、水を使うことも、火
を使うことも、『時』によって、用いていくべきであります。
 必ずしも、先例を追うべきではありません。

 仏法も、また、同様のことです。
 『時』に随って、取捨をすべきであります。

 その上、行智等が執着する所の紙幅四枚分の阿弥陀経は、釈尊が法華経をお説きに
なられる以前の『四十余年・未顕真実』の小経にしか過ぎません。

 一閻浮提(世界中)第一の智者であった舎利弗尊者は、多年の間、阿弥陀経を読誦
していても、結局、成仏を遂げることは出来ませんでした。
 その後、舎利弗尊者は、阿弥陀経を抛(なげう)って、法華経に来至した(巡り会った)
ことにより、華光如来として、成仏の記別を受けました。

 ましてや、末法の悪世の愚人が、南無阿弥陀仏の題目を唱えるだけで、どうして、
次の世で、往生(成仏)を遂げることが出来るのでしょうか。

 従って、釈尊は、法華経方便品第二において、「正直に方便(爾前経)を捨てて、
ただ無上道(法華経)を説く。」と、誡められています。

 教主釈尊は、正しく、阿弥陀経を抛(なげう)たれているのです。

 また、涅槃経には、「釈迦如来は、虚妄の言を云ったことがない。けれども、衆生
が虚妄の説に因って法味を得ると知れば、方便を以って説く場合がある。」と、仰せ
になられています。

 これは、正しく、弥陀念仏を以て、『虚妄』と称した経文であります。

 法華経譬喩品第三には、「ただ願って、大乗経典(法華経)を受持する。そして、
余経の一偈たりとも受けてはならない。」と、仰せになられています。

 妙楽大師は、この法華経の経文を、下記のように解釈されています。

 「華厳経は、過去世からの福運を有した菩薩を教化しているため、諸経と比較した
場合には勝っているだけに過ぎない。釈尊が法華経の法を以て、衆生を教化している
ことと、同類に扱ってはならない。故に、『余経の一偈たりとも受けてはならない。』と、
仰せになられているのである。」と。

 彼の華厳経は、寂滅道場(注、釈尊が最初の説法をなさった場所。)における経典
であり、法界唯心の法門(注、一切の諸法は、すべて、一念の心によって造られる、
という華厳経の法門。)であります。

 「華厳経には、三本の経典集があった。」と、云われています。

 上本には、十三の世界を微塵にしたほどの大量の品がありました。
 中本には、四十九万八千の偈がありました。
 下本には、十万偈・四十八品がありました。

 今、一切経の蔵を見ると、華厳経の新訳は八十巻、華厳経の旧訳は六十巻・四十巻
の経典だけが現存しています。
 その他の方等経・般若経・大日経・金剛頂経等の諸の顕経・密経・大乗経等も、尚、
法華経と比較し奉ると、釈尊御自らが、法華経の開経である無量義経において、「未
だ真実を顕さず。」と、仰せになられています。

 また、無量義経においては、「留難が多い経であるが故に。」と、仰せになられて
います。

 或いは、「諸経の門を閉じよ。」「諸経を抛(なげう)て。」等と、仰せになられ
ています。

 ましてや、法華経と阿弥陀経との間には、大きな山と蟻が作った山ほどの高低の違
いがあり、師子王と狐・ウサギが相撲を取る時ほどの力量の違いがあります。

 今、日秀等は、行智等が信ずる小経(阿弥陀経)を抛(なげう)って、専(もっぱ)ら
実経である法華経を読誦して、法界(全ての世界)の人々に勧めた上で、南無妙法
蓮華經と唱え奉っております。

 この行為こそ、まさしく、仏法に対する『忠』ではないでしょうか。

 もし、これらの子細に御不審があるならば、諸宗の高僧等を召し合わされて、正邪
の是非を決するようにして下さい。

 仏法の優劣を国主が糺明する事は、月氏(インド)・漢土(中国)・日本の先例で
あります。

 今、幕府の明君が、この時に当たって、何故に、月氏(インド)・漢土(中国)・日本
の伝統に背くのでしょうか。
 
 訴状には、「今月二十一日(弘安二年九月二十一日)、日秀等が数多くの農民を蜂
起させた上で、弓矢を帯して、滝泉寺院主所有の坊内に打ち入った。」と、記されて
います。

 また、「下野坊日秀は、馬に乗って防具を着用していた。熱原の百姓である紀次郎
男に、高札(注、法度や掟等を掲げて、世間の人に知らせた板札のこと。)を立てさ
せて、滝泉寺寺領の稲を刈り取らせて、日秀が住居している房に運び込ませた。」と、
記されています。〈取意〉

 この箇条も、また、跡形も無い虚偽であります。

 日秀等の教導を受けている熱原の農民は、行智から損傷や殺害を被って、不安を抱
きながら、日々を送っております。

 にもかかわらず、熱原の農民の誰が、どのような利益を得るために、日秀等の高札
を立てなければならないのでしょうか。
 はたまた、か弱い土民の者たちが、どうして、日秀等に雇われなければならないの
でしょうか。

 もし、日秀等が弓矢を帯して、悪行を企てたとするならば、行智にしても、近隣の
人々にしても、どうして、日秀等の弓矢を奪い取った時の状況や、日秀等の身を召し
取ったりした時の詳細を申し出ないのでしょうか。

 所詮、行智の主張は、虚偽・粉飾の至りであります。
 その点、宜しく、ご賢察いただくよう、お願い申し上げます。

 日秀・日弁等は、滝泉寺代々の住僧として、行法の薫陶を積み、天長地久の御祈祷
を致して参りました。

 ところが、法華経を信じていない行智は、霊地である滝泉寺の院主代の職に任命さ
れていながら、滝泉寺の住僧である三河房頼円、並びに、少輔房日禅・日秀・日弁等
に対して、下記の命令を出しました。

 「速やかに、法華経の読誦を停止せよ。『今後は、ひたすら阿弥陀経を読み、念仏
を唱えるようにする。』という主旨の起請文を書け。起請文を提出すれば、これまで
通り、滝泉寺内の居住を認めよう。」と。

 三河房頼円は、行智の命令に随って、起請文を書きました。
 そのため、滝泉寺内の居住を認められて、安堵しています。

 けれども、日禅等は起請文を書かなかったために、所職の住居坊を奪い取られまし
た。
 そのため、日禅は、滝泉寺を離れなければなりませんでした。

 日秀・日弁は、頼りとする所もない身であります。
 拠って、縁故の人を頼み、滝泉寺の中で寄宿しておりました。

 けれども、行智は、この四箇年ほど、日秀等が所職する住居坊を奪い取って、厳重
に、法華経の御祈祷を禁止させました。

 そればかりか、行智は、なお、悪行に飽き足りることがありません。
 法華経の行者を一掃する為に、行智は謀略を計画して、種々の不実を、人々に言い
触らしています。

 その姿は、まさしく、釈尊御在世の時の提婆達多のようであります。
 
 およそ、行智の所行は、法華三昧の寺院に供奉していた僧の和泉房蓮海に命じて、
意図的に、法華経を柿紙(注、紙を貼り重ねて、柿渋を塗ったもの。)に書かせたり、
法華経を紺色の形に彫らせたりしています。
 これは、重大な過失である上に、謗法であります。

 仙予国王は、閻浮堤(世界中)第一の持戒の御仁でありました。
 また、仙予国王は、慈悲を以って布施の行を具足する菩薩の位に在していました。
 しかもまた、人々の師範となるべき存在でした。

 しかしながら、仙予国王は、法華経を誹謗した五百人のバラモンの頭を刎ねました。
 そして、その功徳により、妙覚(一切の煩悩を断じ尽くした仏果)の位に登りました。
 
 一方、歓喜仏の末の世には、諸の小乗・権大乗の者どもが、法華経の行者である覚徳
比丘を殺害しようとしていました。

 その際に、有徳王は、諸の小乗・権大乗の法師等を、或いは射殺し、或いは切り殺し、
或いは打ち殺した功徳によって、迦葉仏等となることが出来ました。

 戒日大王(インドのハルシャヴァルダナ大王)や宣宋皇帝(中国の唐の第16代皇
帝)や聖徳太子等は、これらの先証を追って、仏法の怨敵を討罰しています。
 これらの大王は、皆、持戒の御仁であります。
 また、彼等の善政は、未来にも伝わっています。

 今、行智が犯している重大な過失は、□□することが出来ないでしょう。

 (注、上記の□□の箇所は、御真跡が欠損しているため、内容が不明である。)

 しかしながら、日本一同に、日蓮大聖人及びその一門に対して誹謗を為している以
上、問注所の御尋ねに随って、詳細を申し上げている次第であります。

 また、行智は文書による命令を下して、日弁が堂舎の修理のために保管していた、
上葺榑(屋根の部材)一万二千枚のうち、八千枚を私的に流用しております。

 そして、富士下方の政所代を教唆して、去る弘安二年(1279年)四月の富士浅
間神社の御神事の最中に、法華経信心の行人であった四郎男を刃傷しています。

 そして、去る弘安二年(1279年)八月には、弥四郎男の首を切って、殺害して
います。

 【あたかも、日秀等がこの二人を刃傷・殺害したかのように、行智が偽装工作をし
ていることを、この記述の中に書き入れておきなさい。(日蓮大聖人のお書き込み)】

 行智は、無智無才の盗人である兵部房静印から、過料(罰金)を受け取り、器量の
仁(才能がある人)と称して、滝泉寺の供僧へ補任させています。 

 そして、行智は、滝泉寺の寺領内の百姓等を先導して、鶉を獲ったり、狸を狩った
り、狼を獲るために鹿を殺めたりして、それらの肉を別当の坊で食べています。

 また、行智は、毒物を仏前の池に入れたり、多くの魚類を殺したりして、それらの
魚類を村里に出して売っています。

 この有様を見聞した人で、驚かなかった人はいません。
 まさしく、仏法破滅の基となる悪行であり、悲しんで余り有る行為であります。

 このような不善の悪行が日を追うごとに積っていくため、日秀等は、悲歎の余りに、
幕府への上訴を行おうとしました。

 しかし、行智は、自らの数々の罪状を隠そうとして、種々の策略を廻らしておりま
す。
 近隣の輩と共に讒言を行い、罪を誤魔化すために跡形も無い不実を申し付けて、日
秀等を損亡させようとしている行為は、言語道断の極みであります。

 いずれにしても、行智に対する戒めの御処置が為されなければなりません。

 所詮、仏法の権実(邪正)や訴訟の真偽につきましては、詳細を究めた上での御尋
ねを頂きたいと存じます。

 仏の誠諦(真実)の御金言に任せて、また、御成敗式目(鎌倉時代の武家の法律)
の明文に従って、行智の悪行に処罰を加えられるのであれば、守護の諸天善神は天変
地異を消して、擁護の諸天善神はお喜びになられることでしょう。

 であるならば、不善悪行の滝泉寺の院主代である、行智を罷免するべきであります。
 はたまた、滝泉寺の院主も、これらの重大な過失を免れることは出来ないでしょう。
 何故に、実相寺の事件と、同格に扱われなければならないのでしょうか。

 (注、実相寺とは、富士市岩本の実相寺のことである。日蓮大聖人が『立正安国論』
を御著作される際に、一切経を御閲覧されるため、御滞在されたことでも有名。弘安
二年当時に、如何なる事件が、実相寺に発生していたのかは不明。)

 誤まることのない公平な道理に任せて、日秀・日弁等が安堵の御成敗(注、日秀師
・日弁師等が滝泉寺への御復帰を認められること。)を頂戴するならば、滝泉寺の堂
舎を修理させていただいた上で、天長地久の御祈祷を忠実に勤め抜いていく所存でご
ざいます。

 仍(よ)って、この申状を認めて、開陳させていただきます。

 言上は、以上の通りでございます。


 弘安二年十月 日             沙門 日秀・日弁等 上(たてまつ)る。


  【日蓮大聖人のお書き込み(別紙)】

 大体、此の訴状の内容で、宜しいかと思われます。
 ただし、熱原の事件(熱原法難)に対しては、種々の揉め事が出来することでしょう。


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