如説修行抄 文永十年(1273年)五月 聖寿五十二歳御著作


 よく考えてみると、末法・流布の時(本門の本尊・戒壇・題目の三大秘法が流布
される時)に、生(命)を、この土に受けて、この経(法華経→三大秘法の御本尊)
を信じようとする人には、「如来(釈尊)の御在世よりも、『猶多怨嫉の難』(注、
末法は、釈尊御在世よりも、更に、怨嫉の難を受けること。)が甚だしい。」(法
華経法師品第十)と、経文に見受けられます。

 その理由を述べると、御在世は、能化(教化する人)の主体が仏(釈尊)であり
ます。
 (釈尊の)弟子も、また、大菩薩や阿羅漢(小乗教の覚りを得た聖者)でありま
す。

 仏(釈尊)は、人界、天界、四衆(僧・尼・男信徒・女信徒)、八部(注、四天
王に仕える鬼神。乾闥婆・毘舎闍・鳩槃荼・薛茘多・那伽・富單那・夜叉・羅刹)、
人非人(人間及び非人間)等であったとしても、調機調養をなされる事(注、仏が
衆生の機根を調えられた上で、その機根を育んでいくために、教化をなされること。)
を目的として、法華経をお聞かせになられています。
 それでも、なお、怨嫉が多かったのであります。

 ましてや、「末法の今時には、『教』(本門の本尊・戒壇・題目の三大秘法)と
『機』(衆生の機根)と『時刻』(末法の『時』)が当来している。」と云っても、
その師(末法の本師・御本仏日蓮大聖人)を尋ねてみれば、外見は『凡師』(凡夫)
であります。

 弟子も、また、『闘諍堅固・白法隠没』(注、末法では、争いが盛んに起きて、
白法→正法が隠没すること。)『三毒強盛』(注、末法では、衆生の貪欲・瞋恚・
愚痴の煩悩が強盛になること。)の悪人等であります。
 故に、彼等は、善師(正法の師)を遠離しているにも拘らず、悪師(邪法の師)には
親近しています。

 その上、真実の法華経(本門の本尊・戒壇・題目の三大秘法)の如説修行の行者
(日蓮大聖人)の師弟・檀那となる際には、三類の敵人(注、正法の行者を迫害す
る三種類の増上慢のこと。俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢)が出現する事は、
決定しているのです。

 ならば、この経(法華経→本門の本尊・戒壇・題目の三大秘法)を聴聞し始めよ
うとする日より、思いを定める(覚悟を決める)べきです。

 「『況滅度後の大難』(注、釈尊御在世でさえ、難を受ける。ましてや、末法に
おいては、更に大きな難を受けること。)を発生させる、三類の敵人が甚だしい。」
ということを。
 
 ところが、私(日蓮大聖人)の弟子・檀那等の中においても、以前から、「末法
においては、釈尊の御在世以上に、三類の敵人が出現する。」と聴聞していたにも
拘らず、大小の難がやって来た時には、今、始めて、知ったかのように、驚いて、
肝を潰して、信心を破った(退転した)者がいます。

 それとも、彼等は、「以前から、そのように、日蓮が申していなかった。」とで
も、主張するのでしょうか。

 事前に、(法華経法師品第十の)経文を先(根拠)として、「猶多怨嫉・況滅度
後」(釈尊の御在世でさえ、怨嫉が多い。ましてや、御入滅の後には、尚更である。)
と、朝夕、私(日蓮大聖人)が教えてきた目的は、此処にあります。

 私(日蓮大聖人)が、或いは、所を追われたり(注、立宗宣言後に清澄寺を追放
させられたこと。及び、鎌倉で松葉ヶ谷の法難をお受けになられたこと。)、或い
は、傷を被ったり(小松原の法難)、或いは、両度の御勘気(伊豆御流罪・佐渡御
流罪)を被って、遠国に流罪させられた事を、弟子・檀那等が見聞したとしても、
決して、今、始めて、驚くべき事柄ではないのです。

 質問致します。

 如説修行の行者は、『現世安穏』(法華経薬草喩品第五の経文)と成るはずです。
 何故に、三類の強敵が盛んになるのでしょうか。

 (注記、三類の強敵とは、釈尊御入滅後に、法華経の行者を、種々の形で迫害す
る三種類の敵人→俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢のこと。法華経勧持品第十
三で説かれている。俗衆増上慢とは、悪口罵詈したり、刀杖を加えたりする、仏法
に無知な在俗の人々。道門増上慢とは、慢心で邪智に富んだ僧侶。僣聖増上慢とは、
聖者のように装い、社会的に尊敬を受ける者でありながらも、内面的には利欲に執
して、悪心を懐き、法華経の行者を怨嫉することによって、権力を利用しながら、
迫害を及ぼす敵人のこと。)

 お答えします。

 釈尊は、法華経の御為に、御在世において、『九横の大難』(釈尊がお受けにな
られた九つの大きな難)に遭遇なされています。

 釈尊の過去世の修行の御姿であらせられる不軽菩薩は、『二十四文字の法華経』
を説かれた故に、杖や木で打たれたり、瓦や石を投げられています。

 (注記、不軽菩薩は、釈尊の過去世の修行の御姿であり、「我深敬汝等不敢軽慢・
所以者何・汝等皆行菩薩道当得作仏→二十四文字の法華経」を説かれて、一切衆生
の仏性を礼拝し続けられた。)

 竺の道生(注、竺道生。中国南北朝時代の僧であり、鳩摩羅什の弟子でもある。)
は、呉の国の蘇山に流されています。

 宋代の法道三蔵は、仏法守護の為に、国王を諌められた事への懲罰として、顔に
火印を押されています。

 中インドの師子尊者は、強い邪見を持つ檀弥羅王によって、首を刎ねられていま
す。

 天台大師は、南三北七(江南の三師・河北の七師)の高僧から怨まれています。

 伝教大師は、南都六宗(法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・律宗)の者か
ら憎まれています。

 これらの仏・菩薩・大聖等は、『法華経の行者』でありながらも、大難に遭遇な
されています。
 これらの人々を『如説修行の人』とお呼びしなければ、何処に、『如説修行の人』
を尋ねる事が出来るのでしょうか。

 しかも、今の世(末法)は、『闘諍堅固・白法隠没』(注、末法では、争いが盛ん
に起きて、白法→正法が隠没すること。)である上に、悪国・悪王・悪臣・悪民だ
けが存在して、正法に背いて、邪法・邪師を崇重している為に、国土に悪鬼が乱入
して、『三災・七難』(注、穀貴・兵革・疫病の『三災』。人衆疾疫難・他国侵逼
難・自界叛逆難・星宿変怪難・日月薄蝕難・非時風雨難・過時不雨難の『七難』。)
が盛んに起こっています。
 
 このような時刻(末法)に、日蓮は仏勅(釈尊からの御命)をお受けして、この
土(娑婆世間・日本国)に生まれた事こそ、時の不祥(注、運の悪い時にお生まれ
になられたこと→御謙遜)であります。

 けれども、法王(釈尊)の宣旨(命令)には背き難かったので、経文に任せて、
権教(爾前経)と実教(法華経)との戦を起こし、忍辱の鎧を着て、妙教の剣を引
っ提げ、法華経一部八巻の肝心である『妙法五字』(本門の本尊・戒壇・題目の三
大秘法)の旗を指し上げて、『未顕真実』(注、法華経以前の教え→爾前経は、未
だに、真実を顕していないこと。無量義経の経文。)の弓を張り、『正直捨権』(注、
正直に権教を捨てること。法華経方便品第二の『正直捨方便』と同義。)の矢をつ
がえて(注、矢を弓の弦に当てること)、大白牛車(注、大白牛に引かせた宝車の
ことで、法華経を譬えている。法華経譬喩品第三に記されている。)に打ち乗って、
権門(爾前経の法門)をかっぱと破り、彼処へ押しかけ、此処へ押し寄せ、念仏・
真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人を責める際に、或いは逃げ、或いは引き退き、
或いは生け取られた者は、我が弟子(日蓮大聖人の弟子)と成りました。

 或いは責め返したり、或いは責め落としたものの、敵は多勢であり、法王の一人
(注、釈尊からの御命をお受けになられた日蓮大聖人のこと。)は無勢であります。
 その結果、今に至るまで、権教(爾前経)との戦が止むことはありません。

 また、「法華折伏破権門理」(法華は、折伏によって、権教の法門の理を破す。)
の金言があるため、最終的に、権教・権門(爾前経・爾前経の法門)の輩を、一人
も漏れなく、責め落として、法王(釈尊)の家人と為して、『天下万民諸乗一仏乗』
(天下万民・全ての人々が、一仏乗の教え→法華経に帰依する。)と成って、妙法
だけが、唯一、繁盛する時、万民一同に、『南無妙法蓮華経』と唱え奉るようにな
れば、吹く風は枝を鳴らすことなく、降る雨は土の塊を砕くことなく、この代は『羲
農の世』(注、中国古代の伝説上の名帝である伏羲・神農の時代のように、天災が
なく、人心も治まっている、理想的な社会のこと。)と成って、今生においては、
不祥(不幸)の災難を払って、長生の術(長生き出来る方法)を得て、人法共に、
不老・不死の理が顕れる時を、各人が御覧になりなさい。

 その時、『現世安穏』(法華経薬草喩品第五)の証文は、疑いのないものであっ
た事が理解出来るでしょう。

 質問致します。

 『如説修行の行者』と称される人は、どのように信ずる人のことを云うのでしょ
うか。

 お答えします。

 当世の日本国中の諸人は、一同に、『如説修行の人』に関して、このように云っ
ています。

 「『諸乗一仏乗』と開会すれば(注、すべての人々は、法華経の一仏乗の教えに
帰着すれば、一切の諸法は捨て去るべきものでなく、法華経の真実の教えを分有す
るものとして、活用されること。)、いずれの法も、皆、法華経であって、勝劣や
浅深が存在する事はない。

 『念仏を申す事も、真言を持つ事も、禅を修行する事も、総じては、一切の諸経、
並びに、(爾前経の)仏・菩薩の御名を持って唱える事も、皆、法華経である。』
と信じている人が、『如説修行の人』と称されているのだ。」と。

 私(日蓮大聖人)は、云います。
 「それ(日本国中の諸人の『如説修行の人』に対する見解)は、間違っている。」
と。

 所詮、仏法を修行する際には、人の言葉を用いるべきではありません。
 ただ、仰いで、仏の金言を守るべきであります。

 我等の『本師』で有らせられる釈迦如来は、初成道(注、釈尊が30歳の御時に、
初めて覚りを開かれたこと。)の始めから、「法華経を説こう。」と、お思いにな
られていました。

 けれども、衆生の機根が未熟であった故に、まず、権教(仮の教え)である方便
の経典(爾前経)を、四十余年の間お説きになられてから、その後に、真実の教え
である法華経をお説きになられたのであります。


 この経(法華経)の序分(序論)である無量義経においては、権教(仮の教え)
と実教(真実の教え)との境界を指し示されて、方便(爾前経)と真実(法華経)
を御分別なされています。

 所謂、「以方便力、四十余年、未顕真実(方便の力を以て、法華経を説くまでの
四十余年の間、未だ、真実を顕わさず。)」と仰せの無量義経の経文が、それに該
当します。

 大荘厳菩薩等の八万の大士(菩薩)が、『施権』『開権』『廃権』等の由来を心
得られた上で、権教(仮の教え)と実教(真実の教え)を分別された際に、その了
解の言葉として、「法華経以前の歴劫修行(注、爾前経の菩薩・縁覚・声聞等が無
量劫に及ぶ仏道修行をすること。)等を必要とする諸経(爾前経)においては、『終
不得成、無上菩提』であった。(終に、無上の菩提=覚りを成ずることが出来なか
った。)」と、断言されています。

 (注記、『施権』とは、法華経=実教=真実の教えを説かれるための方便として、
爾前経=権教=仮の教えを施されたこと。『開権』とは、爾前経=権教=仮の教え
を開いて、法華経=実教=真実の教えを説かれたこと。『廃権』とは、爾前経=権
教=仮の教えを廃して、法華経=実教=真実の教えを立てられたこと。)


 そして、その(無量義経が説かれた)後に、正宗分(本論)の法華経に至って、
「世尊法久後 要当説真実(世尊は、法久しくして後、必ず、当に、真実を説きた
もうべし。方便品第二の経文。)」と、お説きになられた事を始めとして、「無二
亦無三 除仏方便説(二無く、また、三無し。仏の方便の説を除いて。方便品第二
の経文。)」「正直捨方便(正直に方便を捨てて。方便品第二の経文。)」「不受
余経一偈(余経→爾前経の一偈をも受けざれ。譬喩品第三の経文。)」と、誡めら
れていらっしゃいます。

 このように、仏(釈尊)が仰せになられた以後は、「唯有一仏乗」(ただ、一仏
乗→法華経のみが有って)の妙法だけが、一切衆生を仏に成すための大法でありま
す。
 そして、法華経以外の諸経(爾前経)は、一分の得益(わずかな功徳)もないの
です。

 ところが、末代(末法の時代)の学者は、「何れの経典であっても、如来の説教
であれば、皆、得道(成仏)出来るのである。」と思って、或る者は真言、或る者
は念仏、或る者は禅宗、そして、三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗・諸経を、
自分勝手に信じているのであります。

 このような人に対しては、法華経譬喩品第三において、「若人不信毀謗此経 即
断一切世間仏種、乃至、其人命終 入阿鼻獄(もし、人、信ぜずして、この経→法
華経を毀謗すれば、即ち、一切世間の仏種を断ぜん、中略、その人、命終して、阿
鼻獄→阿鼻地獄に入らん。)」と、お定めになられています。

 また、これらの明鏡(経文)を本(根拠)として、仏説と一分も違える事なく、
「唯有一乗法(ただ、一乗の法→法華経が有って。方便品第二の経文。)」と信じ
る事を、「如説修行の人である。」と、仏(釈尊)は、お定めになられています。

 では、批判的な質問を致します。

 そのように、方便・権教である諸経・諸仏を信じる事を、『法華経』と云うので
あれば、確かに、間違いでしょう。

 ならば、ただ、一経(法華経)に限って、経文の如く、五種の修行(注、法華経
法師品第十に説かれている修行法。受持・読・誦・解説・書写)に勤しんで、(折
伏をせずに)法華経安楽行品第十四に記されているような修行をする人は、『如説
修行の者』と云われる事がないのでしょうか。
 この件に関して、如何に、お考えでしょうか。

 お答えします。

 凡そ、仏法を修行しようとする者は、『摂折二門』(注、摂受と折伏の二つの修
行法のこと。摂受とは、相手の過ちを仮に容認しつつ、次第に誘引して、正法に入
らせるための化導の方法。折伏とは、相手の過ちを直ちに破折して、正法に伏させ
るための化導の方法。)を知るべきであります。
 一切の経論は、この『摂折二門』から外れる事がないのです。
 
 しかしながら、国中の諸学者等は、仏法を、粗々、学んでいると雖も、時刻相応
の道理(注、仏法の『時』に相応した仏道修行が必要になること。末法の『時』に
相応した仏道修行は、『折伏』である。)を知りません。

 四節・四季(四つの季節)は、その都度、替わっていきます。
 夏は暑く、冬は冷たく、春には、花が咲き、秋には、果実が成ります。

 その為には、春に種子を蒔いて、秋に果実を採取するべきです。
 逆に、秋に種子を蒔いて、春に果実を採取しようとしても、収穫出来るはずが有
りません。

 極寒の時には、厚い衣が必要とされます。けれども、酷暑の夏に、厚い衣があっ
たとしても、何の必要が有るのでしょうか。
 涼風は、夏に必要とされます。けれども、冬に、涼風があったとしても、何の必
要が有るのでしょうか。


 仏法も、また、同様であります。

 小乗の法(小乗教)が流布して、得益(功徳)が生じる『時』もあり、権大乗教
が流布して、得益(功徳)が生じる『時』もあり、実教(法華経)が流布して、仏
果を得られる『時』もあります。

 そのようなことで、正像二千年(正法時代の千年間・像法時代の千年間)は、小
乗教・権大乗教が流布する『時』であります。
 そして、末法の始めの五百歳(五百年間)は、純円・一実の法華経(本門の本尊・
戒壇・題目の三大秘法)だけが、広宣流布をする『時』であります。

 この『時』(末法の始めの五百年間)は、『闘諍堅固・白法隠没』(注、末法で
は、争いが盛んに起きて、白法→正法が隠没すること。)と定められて、権教(爾
前経)と実教(法華経)が雑乱する時期となります。

 敵が有る時には、刀杖や弓矢を持つべきです。
 しかし、敵の無い時に、弓矢や兵杖は、何の用途が有るのでしょうか。

 今の『時』(末法)は、権教(爾前経)が、即、実教(法華経)の敵と成ります。
 また、一乗(法華経)流布の時代には、権教(爾前経)の存在が敵と成ります。

 権教(爾前経)と実教(法華経)との区別が紛らわしい場合(権大乗教)には、
実教(法華経)の立場から、その教え(権大乗教)を責めるべきです。

 その事を、『摂折二門』(注、摂受と折伏の二つの修行法のこと。摂受とは、相
手の過ちを仮に容認しつつ、次第に誘引して、正法に入らせるための化導方法。折
伏とは、相手の過ちを直ちに破折して、正法に伏させるための化導方法。)の修行
の中においては、『法華折伏』と云うのであります。

 天台大師は、『法華文句』において、「法華は折伏によって、権門(爾前経の法
門)の理を破す。」と仰せになられている事は、誠に、故(根拠)のあることでし
ょう。
 
 にも拘らず、『摂受』である四安楽の修行(四安楽行)を、今の『時』(末法)
に行じるのであれば、その人は、冬に種子を蒔いて、利益(果実→仏果)を求めよ
うとする者に、他なりません。

 (注記、四安楽行とは、初心の者が、法華経を安楽に修行して仏果を得るための
『摂受』の修行方法のこと。『身安楽行・口安楽行・意安楽行・誓願安楽行』の四
つの修行となる。『身安楽行』とは、誘惑を避け、静かな所で身を安定にして、修
行をすること。『口安楽行』とは、法華経を説く際に、他人の過失を暴いたり、軽
蔑をすることなく、穏やかな心で述べるようにすること。『意安楽行』とは、他の
仏法を学ぶ者に対して、嫉妬したり、毀ったり、争いの心を抱かないようにするこ
と。『誓願安楽行』とは、大慈大悲を以て、一切衆生を救うための誓願を発するこ
と。)

 鷄が暁に鳴くのは、用(必然)となります。しかし、鶏が宵に鳴くのは、物怪(妖
怪)となります。

 権教(爾前経)と実教(法華経)が雑乱する『時』(末法)に、法華経の御敵を
責めずして(『折伏』する事なくして)、山林に閉じ籠って、『摂受』の修行をし
ようとする者は、まさしく、法華経修行の『時』を失ってしまった物怪(妖怪)で
あります。

 ならば、末法の今の時において、法華経の折伏の修行を、誰が、経文の如く、行
じているのでしょうか。

 誰人であっても、結構です。
 「諸経(爾前経)は、無得道(不成仏)・堕地獄の根源であり、法華経だけが成
仏の法である。」と、声も惜しまずに、叫び立てて(主張を広く知らしめて)、諸
宗の人も法も、共に、折伏して御覧なさい。
 その際に、三類の強敵が到来する事は、疑いありません。

 (注記、三類の強敵とは、釈尊御入滅後に、法華経の行者を、種々の形で迫害す
る三種類の敵人→俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢のこと。法華経勧持品第十
三で説かれている。俗衆増上慢とは、悪口罵詈したり、刀杖を加えたりする、仏法
に無知な在俗の人々。道門増上慢とは、慢心で邪智に富んだ僧侶。僣聖増上慢とは、
聖者のように装い、社会的に尊敬を受ける者でありながらも、内面的には利欲に執
して、悪心を懐き、法華経の行者を怨嫉することによって、権力を利用しながら、
迫害を及ぼす敵人のこと。)

 本師であらせられる釈迦如来は、御在世(法華経をお説きになられた)八年の間、
『折伏』をなさっていらっしゃいます。
 天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に渡って、『折伏』をなされています。

 今、日蓮は、二十余年の間(立宗宣言を為されてからの二十余年間)権理(権教
の法理)を破折して参りました。
 その間の大難は、数える事が出来ません。

 私(日蓮大聖人)が受けた大難は、仏(釈尊)の『九横の大難』(注、釈尊が御
在世中にお受けになられた九つの大難)に及ぶのか、それとも、及ばないのか。
 それは、私(日蓮大聖人)の知る所ではありません。

 しかしながら、恐らくは、天台大師・伝教大師でさえも、法華経の故に、日蓮が
受けたような大難に遭った事はありません。
 彼等(天台大師・伝教大師)は、ただ、悪口や怨嫉を受けただけであります。

 私(日蓮大聖人)は、両度の御勘気(佐渡御流罪・伊豆御流罪)を被ったために、
遠国(佐渡・伊豆)へ流罪させられただけでなく、竜口の頚の座(注、竜口の法難
において、日蓮大聖人が首を斬られそうになったこと)や、頭の疵(注、小松原の
法難において、日蓮大聖人が頭に刀傷を受けられたこと)等を受けております。

 その他にも、悪口を浴びせられたり、(日蓮大聖人の)弟子等を流罪させられた
り、牢に入れさせられたり、更には、(日蓮大聖人の)檀那の所領を取られて、領
内から追い出されています。

 これらの大難に対しては、たとえ、竜樹菩薩・天台大師・伝教大師であったとし
ても、如何にして、及ぶ事があるのでしょうか。(注、「日蓮大聖人は、竜樹菩薩・
天台大師・伝教大師以上の大難をお受けになられている。」という意味。)

 ならば、「如説修行の法華経の行者には、三類の強敵(注、法華経の行者を種々
の形で迫害する三種の敵人のこと。俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢)の杖(大
難)が、必ずや、競い起こるであろう。」と、お知りになってください。

 ならば、釈尊御入滅後二千余年の間に、如説修行の行人(行者)とは、釈尊・天
台大師・伝教大師の三人は、さて置いて、末法に入っては、日蓮並びに弟子檀那等
が、『如説修行の行人(行者)』となります。


 もし、我等(日蓮大聖人並びに弟子檀那等)のことを、『如説修行の者(行者)』
と云わなければ、釈尊・天台大師・伝教大師の三人も、『如説修行の人(行者)』
となりません。

 (仮にも、日蓮大聖人並びに弟子檀那等が、『如説修行の行人(行者)』でなけ
れば、)提婆・瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等は、即ち、
『法華経の行者』と云われることになるのでしょうか。


 釈迦如来・天台大師・伝教大師、そして、日蓮並びに弟子檀那等は、『念仏・真
言・禅・律等の行者』となるのでしょうか。


 法華経は、『方便・権教』と云われて、念仏等の諸経(爾前経)は、還って、『法
華経』となるのでしょうか。

 たとえ、東が西となり、西が東となったとしても、そして、大地が所持している
草木と共に飛び上がって、天になったとしても、その反対に、天の日月・星宿が共
に落ち下って、地になるような事があったとしても、何故にして、このような理(法
理)が成り立つのでしょうか。

 何と、哀れな事でしょうか。
 今(日蓮大聖人御在世当時)、日本国の万人は、日蓮並びに弟子檀那等が三類の
強敵(注、法華経の行者を種々の形で迫害する三種の敵人のこと。俗衆増上慢・道
門増上慢・僣聖増上慢)に責められて、大苦に遭う様子を見て、悦び笑っていた(嘲
笑した)としても、「昨日は、人の上(他人事)。今日は、身の上(我が身に降り
掛かる事)。」であるならば、日蓮並びに弟子檀那は、共に、霜露が命の日影を待
つ(注、霜や露が朝の太陽に照らされて、融けるようになるまで待つこと。もうし
ばらくの間、忍耐をすることの重要性を諭されている譬え。)だけのことですよ。

 只今、仏果に叶って、寂光の本土(常寂光土・仏の本国土)に居住して、自受法
楽する時に、却って、汝等(日蓮大聖人並びに弟子檀那を嘲笑した謗法の者ども)
が阿鼻大城(無間地獄)の底に沈んで、大苦に遭おうとする時に、我等(日蓮大聖
人並びに弟子檀那)は、どれほど、無慙(不憫)に思うことでしょうか。
 そして、汝等(日蓮大聖人並びに弟子檀那を嘲笑した謗法の者ども)は、どれほ
ど、うらやましく思うことでしょうか。

 一期(一生)が過ぎていくのは、束の間の出来事です。
 如何に、三類の強敵(注、法華経の行者を種々の形で迫害する三種の敵人のこと。
俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢)が重なったとしても、努々(決して)、退
する心があってはなりません。恐れる心があってはなりません。

 たとえ、頚(首)を鋸で引き切られたり、胴を尖った鉾で突かれたり、足に絆(足
かせ)を打たれて、錐で揉まれたとしても、命の通う際(命が続いている限り)に
おいては、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えて、その結果、題目を唱え
ながら死んでいくのであれば、釈迦如来・多宝如来・十方の諸仏が、(法華経を御
説法なされた)霊鷲山の会座において、御契りの約束をなされたのでありますから、
須臾の程に(即座に)飛んで来られて、手を取られて、肩に引き懸けられて、霊鷲
山へ走って(連れて)頂けるのです。

 更に、二聖(薬王菩薩・勇施菩薩)・二天(毘沙門天・持国天)・十羅刹女は、
そして、法華経(三大秘法の御本尊)の受持者を擁護される全ての諸天善神は、天
蓋を指されて、旛(旗)を上げられて、我等(日蓮大聖人並びに弟子檀那)を守護
された上で、確かに、常寂光土の宝刹(仏国土)へ送り届けて頂けるのです。

 何と、嬉しいことでしょうか。何と、嬉しいことでしょうか。

 文永十年〈癸酉〉五月 日                  日蓮 花押

 人々御中

 この書(如説修行抄)を、御身から離さずに、常に、御覧になってください。


               
■あとがき

 新年、明けまして、おめでとうございます。本年も、宜しく、お願い申し上げま
す。

 元旦の本日より、『如説修行抄』を連載します。
 『如説修行抄』は、日蓮大聖人が佐渡御流罪の際に、一谷の地において、お記し
になられた御書であります。

 『如説修行抄』の対告衆は、「人々御中」です。
 御書の文末においては、「此の書御身を離さず常に御覧有るべく候。」と、日蓮
大聖人がお述べになられています。

 『如説修行抄』の御真蹟は現存していませんが、日尊師の古写本が残っています。 了



■あとがき

 上記御金言の「日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし。」の
【ぞ-かし】は、係助詞「ぞ」+終助詞「かし」→『強く断定したものに対して、
更に念を押す意を添える。』という意味になります。

 昔、古文の授業で習った記憶が、かすかに・・・。 了



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