妙法尼御前御返事 弘安三年(1280年) 聖寿五十九歳御著作
貴女(妙法尼)からの御手紙には、「(亡夫は)妙法蓮華経を、昼夜、唱えてい
ました。いよいよ、臨終が近くなると、二声(二度)大きな声で、題目を唱えまし
た。」「(亡夫の臨終の相は)生きていた時よりも、更に、色も白く、形も損なわ
れておりません。」等と、記されてありました。
法華経方便品第二においては、「如是相(中略)如是本末究竟等」と、仰せにな
られています。
龍樹菩薩の『大智度論』においては、「臨終の時、色の黒い者は、地獄に堕ちる。」
等と、仰せになっています。
守護国界陀羅尼経においては、「地獄に堕ちる人には、十五種類の相がある。餓
鬼に堕ちる人には、八種類の相がある。畜生に堕ちる人には、五種類の相がある。」
等と、仰せになられています。
天台大師の『摩訶止観』においては、「身が黒色に変わることは、地獄の陰(闇)
に譬えられる。」等と、仰せになっています。
そもそも、振り返ってみれば、日蓮は、幼少の時から、仏法を学んで参りました。
その当時から、「人の寿命は、無常である。出る息は、入る息を待つ事がない。
(注、臨終の際には、息を吐いても、再び、息を吸うことが出来ない、という意味。)
『風の前の露』という言葉は、単なる譬えではない。賢い者も、愚かな者も、老い
た者も、若い者も、皆、臨終というものは、定めなき習いである。(注、いつ、臨
終を迎えるかについては、皆、確定していない。しかし、臨終を迎えること自体は、
皆、共通している、という意味。)ならば、まず、臨終の事を習って、その後に、
他事を習うべきである。」と、念願しておりました。
そのように思って、釈尊御一代の聖教や、論師・人師の書物・解説書を、粗々、
考え集めてから、これを明鏡として、一切の諸人が死ぬ時と、並びに、臨終の後の
様子を引き合わせてみると、少しも、曇りがなかった(相違する事がなかった)の
であります。
「この人は、地獄に堕ちてしまった。」「この人は、人界や天界に生まれるだろ
う。」と、見分けが付いていたにも関わらず、世間の人々は、師匠もしくは父母等
の臨終の相を隠して、「西方の極楽浄土へ往生した。」とだけ、言っています。
それは、とても、悲しいことであります。
亡くなった師匠は、悪道に堕ちて、多くの苦しみに耐えられないでいるのに、残
された弟子は、師匠の臨終を讃嘆することによって、地獄の苦しみを増長させてい
ます。
それを譬えると、罪の深い者に対して、口を塞いでから、尋問をするようなもの
です。
あるいは、腫れ物の口(表面)を切開しなかったために、病状を悪化させるよう
なものです。
しかしながら、今回の貴女(妙法尼)からの御手紙には、「(亡夫の臨終の相は)
生きていた時よりも、更に、色が白く、形も損なわれておりません。」と、書かれ
てありました。
天台大師は、『摩訶止観』において、「白々(とした色)は、天に譬えられる。」
と、仰せになっています。
龍樹菩薩の『大智度論』においては、「臨終の相が、赤みを射した白色で、端正
である者は、天上界を得る。」と、仰せになっています。
天台大師の御臨終の記(天台大師別伝)においては、「色が白かった。」と、記
載されています。
玄奘三蔵の御臨終を記した書物には、「色が白かった。」と、記載されています。
釈尊御一代の聖教を定めた名目(書物)においては、「黒色の業の者は、六道(地
獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)輪廻に留まる。白色の業の者は、四聖(声聞・縁
覚・菩薩・仏)となる。」と、云われています。
これらの文証と現証を以て、考えてみると、この人(妙法尼の亡夫)は、天に生
じる(天上界に生まれる)のではないでしょうか。
あるいは、また、「(亡夫は)法華経の名号(題目)を、臨終に際して、二反(二
遍)唱えました。」 等と、貴女(妙法尼)からの御手紙に記されてありました。
法華経の第七巻(如来神力品第二十一)においては、「私(釈尊)の入滅後にお
いて、当に、この経(法華経)を受持するべきである。この人(法華経を受持した
人)は、仏道において、(成仏が)決定して、疑いが存在することはない。」と、
仰せになられています。
釈尊御一代の聖教は、そのいずれにおいても、愚劣な経典ではなりません。
皆、我等の父である、大聖・教主釈尊の『金言』であります。皆、『真実』であ
ります。皆、『実語』であります。
釈尊御一代の聖教の中においても、また、『小乗教・大乗教』『顕教・密教』『権
大乗教(法華経以外の大乗経典)・実大乗教(法華経)』と、幾重にも分かれてい
ます。
仏説というものは、二天・三仙・外道・道士の経々(仏教以外の外道の経典)と
対比すれば、これらの経々(仏教以外の外道の経典)は『妄語』であり、仏説は『実
語』となります。
この『実語』の仏説の中にも、『妄語』があり、『実語』があり、『綺語』(真
実に反して、言葉を飾りたてること)もあれば、『悪口』もあります。
その中にあって、法華経は、『実語の中の実語』となります。『真実の中の真実』
となります。
真言・華厳・三論・法相・倶舎・成実・律・念仏・禅等の諸宗は、『実語』の中
の『妄語』から成立した宗派です。
それに対して、法華宗の教えは、これらの諸宗と比べ物にならないほどの『実語』
であります。
法華経は、『実語』であるだけでなく、釈尊御一代の中の『妄語』の経典でさえ
も、法華経の大海に入り込めば、法華経の御力に責められて、『実語』となります。
ましてや、法華経の題目(南無妙法蓮華経)の御力は、尚更であります。
白粉(おしろい)の力は、漆を変じて、雪のように、白くさせます。
須弥山(注、古代インドの世界観において、世界の中心に存在する山。)に近付
いていくと、諸々の色は、皆、金色になります。
法華経の名号(題目)を持つ人は、一生、乃至、過去遠々劫からの黒業(悪業)
の漆が変じて、白業(善業)の大善となります。
ましてや、無始(無限の過去)からの善根は、皆、変じて、金色となるのであり
ます。
ならぱ、故聖霊(亡くなられた妙法尼の御主人)は、人生最後の臨終の際に、「南
無妙法蓮華経」と唱えられたのですから、一生、乃至、無始(無限の過去)以来の
悪業は、変じて、仏の種(仏に成るための因)と成っています。
これが、『煩悩即菩提』『生死即涅槃』『即身成仏』という法門であります。
貴女(妙法尼)は、このような人(亡くなられた妙法尼の御主人)と御縁が有っ
て、夫婦になられたのですから、また、貴女(妙法尼)御自身の『女人成仏』も、
疑いのない事でしょう。
もし、この事が虚事(嘘)であるならば、釈迦如来・多宝如来・十方分身の諸仏
は、妄語の人・大妄語の人・悪人であります。そして、釈迦如来・多宝如来・十方
分身の諸仏は、一切衆生を騙して、地獄へ堕とす人となるでしょう。
却って、提婆達多は寂光浄土の主となり、教主釈尊は阿鼻大城(地獄)の炎に咽
ばれる(焼かれて、お苦しみになる)でしょう。
日月(太陽と月)は地に落ち、大地は覆り、河は逆に流れ、須弥山は砕け散るで
しょう。
上記は、決して、日蓮の妄語ではありません。十方・三世の諸仏の妄語となるの
です。
「何故に、そのような義(訳)があるのか。断じて、そのような義(訳)はない。」
と、御認識ください。
詳しくは、見参(御対面)の時、お伝えする事に致します。
弘安三年(1280年)七月十四日 日蓮 花押
妙法尼御前に申し上げてください。
■あとがき
本日からの“ウィークエンドバージョン”は、『妙法尼御前御返事』を配信しま
す。
『妙法尼御前御返事』の御真蹟は、東京都の池上本門寺と千葉県の福正寺に現存
しています。
なお、『妙法尼御前御返事』の対告衆の『妙法尼』につきましては、後日の“あ
とがき”に記します。若干の説明が必要になりますので・・・。 了
■あとがき
2日ほど、連載を休みました。ご了承ください。
今朝、山梨県で震度5弱の揺れを観測する地震がありました・・・。
そう云えば、一昨日(1月26日)、富士宮市において、「国土交通省・静岡県・
山梨県と13市町の担当者等が一堂に会して、富士山の噴火を想定した図上訓練が
行われた。」との事。
富士宮市の日蓮正宗総本山大石寺では、『法主本仏論』の邪義を唱える悩乱貫首
(阿部日顕・早瀬日如)の脳ミソが、既に、“噴火”しているんですけど・・・。 (笑)
国土の安泰の為にも、一日も早く、『法主本仏論』の大謗法が撲滅される事を祈
念します。 了
■あとがき
今回をもちまして、『妙法尼御前御返事』の連載は終了しました。
連載の最後に当たり、『妙法尼』について、一言・・・。
日蓮大聖人の『御書』には、合計四人の『妙法尼』のお名前が記されています。
その四人の『妙法尼』とは、四条金吾殿のお母様、佐渡在住の中興入道のお母様、
新田五郎重綱殿のお母様(日目上人の御祖母)、そして、本抄の対告衆の『妙法尼』
となります。
本抄の『妙法尼』は、「駿河国・岡宮(静岡県沼津市)在住の御婦人であった。」
と、云われています。
そして、『妙法尼御前御返事』を賜った翌々年の弘安五年に、『妙法尼』が御逝
去された旨の伝承が残っています。
なお、『妙法尼』は、「『妙法尼御前御返事』だけでなく、『六難九易抄』や『法
華初心成仏抄』の対告衆でもあった。」という学説があります。
しかしながら、『六難九易抄』や『法華初心成仏抄』の御真蹟が残っていないこ
ともあって、その真偽は不明です。
そういう事情の為か、古来より、『妙法尼御前御返事』の系年には、弘安元年説
と弘安三年説が併存しています。
つまり、「『妙法尼御前御返事』の文末には、『七月十四日』とだけ、日蓮大聖
人が日付をお書きになられている。ならば、『妙法尼御前御返事』は、弘安元年七
月十四日の御著作なのか、それとも、弘安三年七月十四日の御著作なのか。」とい
うことです。
ちなみに、学会版の『御書全集』では弘安元年説、大石寺の『新編御書』では弘
安三年説を採用しています。
いい加減な筆者は、「どっちでもえぇわ」と思ってしまうのですが(笑)、「弘
安元年説の方が有力ではないか。」と、考えています・・・。
明日・日曜日は、『妙法曼荼羅供養事』を配信します。 了
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