三沢抄の“あとがき”


■あとがき

 今回をもちまして、『三沢抄』の連載は終了致します。
 『三沢抄』の連載の最後に、“内房の尼御前”につきまして、一言申し添えます。

 登山参詣の姿勢を誡める指導において、しばしば、内房の尼御前の故事が、引き合いに
出されているようです。

 内房の尼御前と云えば、「氏神へ参詣したついでに、日蓮大聖人の許を訪れた、“謗法
まみれの老女(?)”」という先入観をお持ちになっている方が、いらっしゃるかも知れ
ません。

 しかし、『三沢抄』の冒頭で、「ならびにうつぶさの尼ごぜんの御こそで一つ給び候ひ
了んぬ。」と、日蓮大聖人が仰せになられていることに、是非、着目してください。

 つまり、「日蓮大聖人は、内房の尼御前から、御小袖の御供養を、お受け取りになって
いらっしゃる。」ということです。

 仮にも、内房の尼御前が“謗法まみれの老女(?)”であるならば、謗法の者からの供
養を受け取った日蓮大聖人も、“謗法与同(?)”になることでしょう。    (^v^)

 筆者は、「老齢であった内房の尼御前は、多大な労力と時間を掛けて、身延の地まで日
蓮大聖人を訪ねながらも、御面談できずに追い返された。にもかかわらず、その後、内房
の尼御前は、日蓮大聖人に御小袖の御供養を捧げている。その純真な信心を、日蓮大聖人
が御嘉納されたに違いない。」と、考えています。

 また、筆者は、「内房の尼御前の存在は、日蓮大聖人が、仏と神の関係を示されるため
の善知識であったのではないか。そのため、日蓮大聖人は心を鬼にして、内房の尼御前を
追い返されたのではないか。そして、日蓮大聖人の御自愛と御指南を拝した内房の尼御前
は、氏神参詣の非を知って、一生成仏の御生涯を遂げられたであろう。」とも、考えてい
ます。

 なお、内房の尼御前の“内房”は、“氏名”ではなく、“地名”になります。
 三沢小次郎殿の“三沢”と、同様のことです。

 三沢殿の出身地である静岡県富士郡芝川町三沢地方と、富士川を挟んで、その地に隣接
している静岡県庵原郡富士川町松野地方の双方に、“内房”の地名が残っています。

 その中でも、「内房の尼御前は、富士川町松野地方の“内房”に在住されていたのでは
ないか。」と、筆者は推測しています。
 その根拠は、「又うつぶさの御事は御としよらせ給ひて御わたりありし」と、『三沢抄』
に御記述されていることにあります。

 つまり、「内房の尼御前は、現在の富士川町松野地方の“内房”から、富士川に架かっ
ている橋を渡って、身延の地まで日蓮大聖人を訪ねられたのではないか。」と、考えられ
るためです。

 ちなみに、富士川町松野の地名は、『松野殿御返事』等でおなじみの“松野”になりま
す。
 東名高速道路で、東京方面から名古屋方面へ向かう際に、“富士川パーキングエリア”の
右側(北側)方面が“松野”の地です。     (^v^) 

 機会があれば、一度、ご確認下さい。       了


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