兄弟抄  建治二年四月 聖寿五十五歳御著作
   

 夫法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄なり。
 三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ、十方の仏陀は一乗を眼目として衆
生を引導し給ふ。
 今現に経蔵に入って此れを見るに、後漢の永平より唐の末に至るまで、渡れる
所の一切経論に二本あり。
 所謂旧訳の経は五千四十八巻なり。新訳の経は七千三百九十九巻なり。
 彼の一切経は皆各々分々に随って我第一なりとなのれり。
 然るに法華経と彼の経々とを引き合はせて之を見るに勝劣天地なり、高下雲泥
なり。
 彼の経々は衆星の如く、法華経は月の如し。彼の経々は灯炬星月の如く、法華
経は大日輪の如し。此れは総なり。
 別して経文に入って此を見奉れば二十の大事あり。第一第二の大事は三千塵点
劫、五百塵点劫と申す二つの法門なり。
 其の三千塵点と申すは第三の巻化城喩品と申す処に出でて候。
 此の三千大千世界を抹して塵となし、東方に向かって千の三千大千世界を過ぎ
て一塵を下し、又千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し、此くの如く三千大千世
界の塵を下しはてぬ。
 さてかえって、下せる三千大千世界と下さざる三千大千世界をともにおしふさ
ねて又塵となし、此の諸の塵をもてならべをきて一塵を一劫として、経尽しては
又始め又始め、かくのごとく上の諸の塵の尽くし経たるを三千塵点とは申すなり。
 三周の声聞と申して舎利弗・迦葉・阿難・羅云なんど申す人々は、過去遠々
劫三千塵点劫のそのかみ、大通智勝仏と申せし仏の、第十六の王子にてをはせし
菩薩ましましき。かの菩薩より法華経を習ひけるが、悪縁にすかされて法華経を
捨つる心つきにけり。
 かくして或は華厳経へをち、或は般若経へをち、或は大集経へをち、或は涅槃
経へをち、或は大日経、或は深密経、或は観経等へをち、或は阿含小乗経へをち
なんどしけるほどに、次第に堕ちゆきて後には人天の善根、後に悪にをちぬ。
かくのごとく堕ちゆく程に三千塵点劫が間、多分は無間地獄、少分は七大地獄、
たまたまには一百余の地獄、まれには餓鬼・畜生・修羅なんどに生まれ、大塵点
劫なんどを経て人天には生まれ候ひけり。
 されば法華経の第二の巻に云はく「常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余
の悪道に在ること己が舎宅の如し」等云云。
 十悪をつくる人は等活・黒縄なんど申す地獄に堕ちて、五百生或は一千歳を経、
五逆をつくれる人は無間地獄に堕ちて、一中劫を経て後は又かへり生ず。
 いかなる事にや候らん。
 法華経をすつる人は、すつる時はさしも父母を殺すなんどのやうに、をびただ
しくはみへ候はねども、無間地獄に堕ちては多劫を経候。
 設ひ父母を一人二人十人百人千人万人十万人百万人億万人なんど殺して候とも、
いかんが三千塵点劫をば経候べき。
 一仏二仏十仏百仏千仏万仏乃至億万仏を殺したりとも、いかんが五百塵点劫を
ば経候べき。
 しかるに法華経をすて候ひけるつみによりて三周の声聞が三千塵点劫を経、諸
大菩薩の五百塵点劫を経候けることをびただしくをぼへ候。
 せんずるところは拳をもて虚空を打つはくぶしいたからず、石を打つはくぶし
いたし。悪人を殺すは罪あさし、善人を殺すは罪ふかし。
 或は他人を殺すは拳をもって泥を打つがごとし。父母を殺すは拳もて石を打つ
がごとし。
 鹿をほうる犬は頭われず、師子を吠うる犬は腸くさる。日月をのむ修羅は頭七
分にわれ、仏を打ちし提婆は大地われて入りにき。
 所対によりて罪の軽重はありけるなり。
 さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。
 一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ、十方の仏の身より
血を出だす罪にもこへて候けるゆへに三五の塵点をば経候ひけるなり。
 此の法華経はさてをきたてまつりぬ。
 又此の経を経のごとくにとく人に値ふことが難きにて候。
 設ひ一眼の亀は浮木には値ふとも、はちすのいとをもって須弥山をば虚空にか
くとも、法華経を経のごとく説く人にあひがたし。
 されば慈恩大師と申せし人は、玄奘三蔵の御弟子太宗皇帝の御師なり。
 梵漢を空にうかべ、一切経を胸にたたへ、仏舎利を筆のさきより雨らし、牙よ
り光を放ち給ひし聖人なり。
 時の人も日月のごとく恭敬し、後の人も眼目とこそ渇仰せしかども、伝教大師
これをせめ給ふには「法華経を讃むと雖も還って法華の心を死す」等云云。
 言ふは彼の人の心には法華経をほむとをもへども、理のさすところは法華経を
ころす人になりぬ。
善無畏三蔵は月支国うぢゃうな国の国王なり。
 位をすて出家して天竺五十余の国を修行して顕密二道をきわめ、後には漢土に
わたりて玄宗皇帝の御師となる。尸那日本の真言師、誰か此人のながれにあらざ
る。
 かかるたうとき人なれども一時に頓死して閻魔のせめにあわせ給ふ。いかなり
けるゆへとも人しらず。
 日蓮此をかんがへたるに、本は法華経の行者なりしが、大日経を見て法華経に
まされりといゐしゆへなり。
 されば舎利弗・目連等が三五の塵点劫を経しことは十悪五逆の罪にもあらず、
謀反八虐の失にてもあらず。
 但悪知識に値ひて法華経の信心をやぶりて権経にうつりしゆへなり。
 天台大師釈して云はく「若し悪友に値へば則ち本心を失ふ」云云。
 本心と申すは法華経を信ずる心なり。失ふと申すは法華経の信心を引きかへて
余経へうつる心なり。
 されば経文に云はく「然も良薬を与ふるに而も肯へて服せず」等云云。
 天台の云はく「其の心を失ふ者は良薬を与ふと雖も而も肯へて服せず。生死に
流浪して他国に逃逝す」云云。
 されば法華経を信ずる人のをそるべきものは、賊人・強盗・夜打・虎狼・師子
等よりも、当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人々なり。
 此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり。
 六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず、妻子
と申すほだしをうち、父母主君と申すあみをそらにはり、貪・瞋・痴の酒をのま
せて仏性の本心をたぼらかす。
 但あくのさかなのみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ。たまたま善の心あ
れば障碍をなす。
 法華経を信ずる人をばいかにもして悪へ堕とさんとをもうに、叶はざればやう
やくすかさんがために相似せる華厳経へをとしつ、杜順・智厳・法蔵・澄観等こ
れなり。
 又般若経へをとしつ、悪友は嘉祥・僧詮等これなり。
 又深密経へ堕としつ、悪友は玄奘・慈恩此なり。
 又大日経へ堕としつ、善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等これなり。 
 又禅宗へ堕としつ、達磨・慧可等是なり。
 又観経へすかしをとす悪友は、善導・法然是なり。
 此は第六天の魔王が智者の身に入って善人をたぼらかすなり。法華経第五の巻
に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり。
 設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入って、法華経と申す妙
覚の功徳を障へ候なり。何に況んや其の已下の人々にをいてをや。
 又第六天の魔王或は妻子の身に入って親や夫をたぼらかし、或は国王の身に入
って法華経の行者ををどし、或は父母の身に入って孝養の子をせむる事あり。
 悉達太子は位を捨てんとし給ひしかば羅喉羅はらまれてをはしませしを、浄飯
王此の子生まれて後出家し給へといさめられしかば、魔が王子ををさへて六年な
り。
 舎利弗は昔禅多羅仏と申せし仏の末世に、菩薩の行を立てて六十劫を経たりき。
既に四十劫ちかづきしかば百劫にてあるべかりしを、第六天の魔王、菩薩の行の
成ぜん事をあぶなしとや思ひけん、婆羅門となりて眼を乞ひしかば相違なくとら
せたりしかども、其れより退する心出で来て舍利弗は無量劫が間無間地獄に堕ち
たりしぞかし。
 大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等は、苦岸等の四比丘にたぼらかされて、普
事比丘を怨みてこそ大地微塵劫が間、無間地獄を経しぞかし。
 師子音王仏の末の男女等は、勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を
笑ふてこそ、無量劫が間地獄に堕ちつれ。
 今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり。
 法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」と。
 又云はく「一切世間怨多くして信じ難し」と。
 涅槃経に云はく「横さまに死殃に羅らん、呵責・罵辱・鞭杖・閉繋・飢餓・困
苦、是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云。
 般泥オン経に云はく「衣服不足にして飲食麁疎なり。財を求むるに利あらず。
貧賎の家及び邪見の家に生まれ、或は王難及び余の種々の人間の苦報に遭ふ。現
世に軽く受くるは、斯の護法の功徳力に由る故なり」等云云。
 文の心は、我等過去に正法を行じける者にあだをなしてありけるが、今かへり
て信受すれば過去に人を障へつる罪によて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正
法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまねきこして少苦に値ふなり。
 この経文に過去の誹謗によりてやうやうの果報をうくるなかに、或は貧家に生
まれ、或は邪見の家に生まれ、或は王難に値ふ等云云。
 この中に邪見の家と申すは誹謗正法の父母の家なり。王難等と申すは悪王に生
まれあうなり。此の二つの大難は各々の身に当たりてをぼへつべし。
 過去の謗法の罪の滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給ふ。又法華経の行者
をあだむ国主にあへり。経文明々たり、経文赫々たり。
 我が身は過去に謗法の者なりける事疑ひ給ふことなかれ。
 此れを疑って現世の軽苦忍びがたくて、慈父のせめに随ひて存の外に法華経を
すつるよしあるならば、我が身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地
獄に堕ちてともにかなしまん事疑ひなかるべし。大道心と申すはこれなり。
 各々随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給ひて候。
 たとへば鉄をよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし。石はやけばはいと
なる。金はやけば真金となる。
 此度こそまことの御信用はあらわれて、法華経の十羅刹も守護せさせ給ふべき
にて候らめ。
 雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なり、尸毘王のはとは毘沙門天ぞかし。
 十羅刹心み給はんがために父母の身に入らせ給ひてせめ給ふこともやあるらん。
 それにつけても心あさからん事は後悔あるべし。
 又前車のくつがへすは後車のいましめぞかし。
 今の世にはなにとなくとも道心をこりぬべし。此の世のありさま厭ふともよも厭
はれじ。日本の人々定んで大苦に値ひぬと見へて候。眼前の事ぞかし。
 文永九年二月の十一日にさかんなりし花の大風にをるるがごとく、清絹の大火に
やかるるがごとくなりしに、世をいとう人のいかでかなかるらん。
 文永十一年の十月ゆき・つしま、ふのものども一時に死人となりし事は、いかに
人の上とをぼすか。     
 当時もかのうてに向かひたる人々のなげき、老たるをや、をさなき子、わかき妻、
めづらしかりしすみかうちすてて、よしなき海をまぼり、雲のみうればはたかと疑
ひ、つりぶねのみゆれば兵船かと肝心をけす。
 日に一二度山えのぼり、夜に三四度馬にくらををく。現身に修羅道をかんぜり。
 各々のせめられさせ給ふ事も、詮ずるところは国主の法華経のかたきとなれるゆ
へなり。
 国主のかたきとなる事は、持斎等・念仏者等・真言師等が謗法よりをこれり。
 今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給へ。日蓮も又強盛に天に申し上げ
候なり。いよいよをづる心ねすがたをはすべからず。
 定んで女人は心よはくをはすれば、ごぜんたちは心ひるがへりてやをはすらん。
がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ。
 例せば日蓮が平左衛門尉がもとにてうちふるまい、いゐしがごとくすこしもをづ
る心なかれ。
 わだが子となりしもの、わかさのかみが子となりしもの、将門・貞当が郎従等と
なりし者、仏になる道にはあらねどもはぢををもへば命をしまぬ習ひなり。
 なにとなくとも一度の死は一定なり。いろばしあしくて人にわらわれさせ給ふな
よ。
あまりにをぼつかなく候へば大事のものがたり一つ申す。
 白ひ・叔せいと申せし者は、胡竹国の王の二人の太子なり。
 父の王弟の叔せいに位をゆづり給ひき。父しして後叔せい位につかざりき。
 白ひが云はく、位につき給へ。叔せいが云はく、兄位を継ぎ給へ。
 白ひが云はく、いかに親の遺言をばたがへ給ふと申せしかば、親の遺言はさる事
なれども、いかんが兄ををきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の
国をすてて他国へわたりぬ。
 周の文王につかへしほどに、文王殷の紂王に打たれしかば、武王百ヶ日が内にい
くさををこしき。
 白ひ・叔せいは武王の馬の口にとりつきていさめて云はく、をやしして後三ヶ年
が内いくさををこすはあに不孝にあらずや。
 武王いかりて白ひ・叔せいを打たんとせしかば、大公望せいして打たせざりき。
 二人は此の王をうとみてすやうと申す山にかくれゐて、わらびををりて命をつぎ
しかば、麻子と申す者ゆきあひて云はく、いかにこれにはをはするぞ。二人上件の
事をかたりしかば、麻子が云はく、さるにてはわらびは王の物にあらずや。
 二人せめられて爾の時よりわらびをくわず。
 天は賢人をすて給はぬならひなれば、天、白鹿と現じて乳をもって二人をやしな
ひき。 
 叔せいが云はく、此の白鹿の乳をのむだにもうまし、まして肉をくわんといゐし
かば白ひせいせしかども天これをききて来たらず。二人うへて死ににき。
 一生が間賢なりし人も一言に身をほろぼすにや。
 各々も御心の内はしらず候へばをぼつかなしをぼつかなし。
 釈迦如来は太子にてをはせし時、父の浄飯王太子ををしみたてまつりて出家をゆ
るし給わず。
 四つの門に二千人のつわものをすへてまぼらせ給ひしかども、終にをやの御心を
たがへて家をいでさせ給ひき。
 一切はをやに随ふべきにてこそ候へども、仏になる道は随はぬが孝養の本にて候
か。
 されば心地観経には孝養の本をとかせ給ふには「恩を棄てて無為に入るは真実の
報恩の者なり」等云云。
 言はまことの道に入るには、父母の心に随はずして家を出でて仏になるが、まこ
との恩をほうずるにてはあるなり。
 世間の法にも、父母の謀反なんどををこすには随はぬが孝養とみへて候ぞかし。
孝経と申す外経に見へて候。
 天台大師も法華経の三昧に入らせ給ひてをはせし時は、父母左右のひざに住して
仏道をさえんとし給ひしなり。此は天魔の父母のかたちをげんじてさうるなり。
 白ひ・すくせいが因縁はさきにかき候ひぬ。又第一の因縁あり。
 日本国の人王第十六代に王をはしき。応神天王と申す。今の八幡大菩薩これなり。
 この王の御子二人まします。嫡子をば仁徳、次男をば宇治の王子。天王次男の宇
治の王子に位をゆづり給ひき。
 王ほうぎょならせ給ひて後、宇治の王子云はく、兄位につき給ふべし。兄の云は
く、いかにをやの御ゆづりをばもちゐさせ給はぬぞ。
 かくのごとくたがいにろむじて、三ヶ年が間位に王をはせざりき。万民のなげき
いうばかりなし。
 天下のさいにてありしほどに、宇治の王子云はく、我いきて有るゆへにあに位に
即き給はずといって死せ給ひにき。
 仁徳これをなげかせ給ひて、又ふししづませ給ひしかば、宇治の王子いきかへり
てやうやうにをほせをかせ給ひて、又ひきいらせ給ひぬ。
 さて仁徳位につかせ給ひたりしかば国をだやかなる上、しんら・はくさひ・かう
らいも日本国にしたがひて、ねんぐ八十そうそなへけるとこそみへて候へ。
 賢王のなかにも兄弟をだやかならぬれいもあるぞかし。いかなるちぎりにて兄弟
かくはをはするぞ。
 浄蔵・浄眼の二人の太子の生まれかわりてをはするか、薬王・薬上の二人か。
 大夫志殿の御をやの御勘氣はうけ給ひしかども、ひゃうへの志殿の事は今度はよ
もあににはつかせ給わじ。
 さるにてはいよいよ大夫志殿のをやの御不審は、をぼろげにてはゆりじなんどを
もいて候へば、このわらわの申し候はまことにてや。
 御同心と申し候へばあまりのふしぎさに別の御文をまいらせ候。未来までのもの
がたりなに事かこれにすぎ候べき。
 西域と申す文にかきて候は、月氏にバラナシ国施鹿林と申すところに一の隠士あ
り。仙の法を成ぜんとをもう。
 すでに瓦礫を変じて宝となし、人畜の形をかえけれども、いまだ風雲にのて仙宮
にはあそばざりけり。
 此の事を成ぜんがために一の烈士をかたらひ、長刀をもたせて壇の隅に立てて息
をかくし言をたつ。よひよりあしたにいたるまでものいはずば仙の法成ずべし。
 仙を求むる隠士は壇の中に坐して手に長刀をとて口に神呪をずうす。
 約束して云はく、設ひ死なんとする事ありとも物言ふ事なかれ。烈士云はく、死
すとも物いはじ。
 かくのごとくしてすでに夜中をすぎてよまさにあけなんとす。いかんがをもひけ
ん、あけんとする時烈士ををきに声をあげて呼ばはる。すでに仙の法成ぜず。
 隠士烈士に云はく、いかに約束をばたがふるぞ、くち惜しき事なりと云ふ。
 烈士歎いて云はく、少し眠りてありつれば、昔仕へし主人自ら来たりて責めつれ
ども、師の恩厚ければ忍んで物いはず。
 彼の主人怒って頚をはねんと云ふ。然れど又物いはず。遂に頚を切りつ。中陰に
趣く我が屍を見れば惜しく歎かし。然れど物いはず。
 遂に南印度の婆羅門の家に生まれぬ。入胎出胎するに大苦忍びがたし。然れど息
を出ださず。又物いはず。
 已に冠者となりて妻をとつぎぬ。又親死しぬ。又子をまうけたり。かなしくもあ
り、よろこばしくもあれども物いはず。
 此くの如く年六十有五になりぬ。
 我が妻かたりて云はく、汝若し物いはずば汝がいとをしみの子を殺さんと云ふ。
 時に我思はく、我已に年衰へぬ、此の子を若し殺されなば又子をまうけがたしと
思ひつる程に、声をおこすとをもへばをどろきぬと云ひければ、師が云はく、力及
ばず、我も汝も魔にたぼらかされぬ。終に此の事成ぜずと云ひければ、烈士大いに
歎きけり。
 我心よはくして師の仙法を成ぜずと云ひければ、隠士が云はく、我が失なり。兼
ねて誡めざりける事をと悔ゆ。
 然れども烈士師の恩を報ぜざりける事を歎きて、遂に思ひ死にししぬとかかれて
候。
 仙の法と申すは漢土には儒家より出で、月氏には外道の法の一分なり。
 云ふにかひ無き仏教の小乗阿含経にも及ばず、況んや通別円をや。況んや法華経
に及ぶべしや。
 かかる浅き事だにも成ぜんとすれば四魔競ひて成じがたし。何に況んや法華経の
極理南無妙法蓮華經の七字を、始めて持たん日本国の弘通の始めならん人の、弟子
檀那とならん人々の大難の来らん事をば、言をもて尽くし難し、心をもてをしはか
るべしや。
 されば天台大師の摩訶止観と申す文は天台一期の大事、一代聖教の肝心ぞかし。
 仏法漢土に渡って五百余年、南北の十師、智は日月に斉しく徳は四海に響きしか
ども、いまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第には迷惑してこそ候ひしが、智者
大師再び仏教をあきらめさせ給ふのみならず、妙法蓮華經の五字の蔵の中より一念
三千の如意宝珠を取り出だして、三国の一切衆生に普く与へ給へり。
 此の法門は漢土に始まるのみならず、月氏の論師までも明かし給はぬ事なり。
 然れば章安大師の釈に云はく「止観の明静なる前代に未だ聞かず」云云。
 又云はく「天竺の大論すら尚其の類に非ず」等云云。
 其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は、今一重立ち入りたる法門ぞかし。此の
法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。
 第五の巻に云はく「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随
ふべからず畏るべからず。之に随へば将に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば
正法を修することを妨ぐ」等云云。
 此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。
 此の釈に三障と申すは煩悩障・業障・報障なり。
 煩悩障と申すは貪・瞋・癡等によりて障碍出来すべし。
 業障と申すは妻子等によりて障碍出来すべし。
 報障と申すは国主・父母等によりて障碍出来すべし。
 又四魔の中に天子魔と申すも是くの如し。
 今日本国に我も止観を得たり、我も止観を得たりと云ふ人々、誰か三障四魔競へ
る人あるや。
 「之に随へば将に人をして悪道に向かはしむ」と申すは只三悪道のみならず、人
天九界を皆悪道とかけり。
 されば法華経をのぞいて華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等なり。
 天台宗を除いて余の七宗の人々は、人を悪道に向はしむる獄卒なり。
 天台宗の人々の中にも法華経を信ずるやうにて、人を爾前へやるは悪道に人をつ
かはす獄卒なり。
今二人の人々は隠士と烈士とのごとし。一もかけなば成ずべからず。譬へば鳥の
二つの羽、人の両眼の如し。
 又二人の御前達は此の人々の檀那ぞかし。
 女人となる事は物に随って物を随へる身なり。夫たのしくば妻もさかふべし。夫
盗人ならば妻も盗人なるべし。
 是偏に今生計りの事にはあらず、世々生々に影と身と、華と果と、根と葉との如
くにておはするぞかし。
 木にすむ虫は木をはむ、水にある魚は水をくらふ。芝かるれば蘭なく、松さかう
れば柏よろこぶ。草木すら是くの如し。
 比翼と申す鳥は身は一つにて頭二つあり。二つの口より入る物一身を養ふ。ひぼ
くと申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし。夫と妻とは是くの如し。
 此の法門のゆへには設ひ夫に害せらるるとも悔ゆる事なかれ。一同して夫の心を
いさめば竜女が跡をつぎ、末代悪世の女人の成仏の手本と成り給ふべし。
 此くの如くおはさば設ひいかなる事ありとも、日蓮が二聖・二天・十羅刹・釈迦・
多宝に申して順次生に仏になしたてまつるべし。
 心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり。
 設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさはぐらせ
給ふべし。
 中にも日蓮が法門は古こそ信じかたかりしが、今は前々いひをきし事既にあひぬ
れば、よしなく謗ぜし人々も悔ゆる心あるべし。
 設ひこれより後に信ずる男女ありとも、各々にはかへ思ふべからず。
 始めは信じてありしかども、世間のをそろしさにすつる人々かずをしらず。
 其の中に返って本より謗ずる人々よりも強盛にそしる人々又あまたあり。
 在世にも善星比丘等は始めは信じてありしかども、後にすつるのみならず、返っ
て仏をぼうじ奉りしゆへに、仏も叶ひ給はず、無間地獄にをちにき。
 此の御文は別してひゃうへの志殿へまいらせ候。又太夫志殿の女房・兵衛志殿の
女房によくよく申しきかせさせ給ふべし、きかせさせ給ふべし。

 南無妙法蓮華經、南無妙法蓮華經。

 建治二年卯月 日     日蓮 花押



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