国府入道殿御返事 文永十二年(1275年)四月十二日 聖寿五十四歳御著作
あまのりのかみぶくろ二つ、わかめ十でう、こものかみぶくろ一つ、たこひとか
しら。
人の御心は定めなきものなれば、うつる心さだめなし。
さどの国に候ひし時、御信用ありしだにもふしぎにをぼへ候ひしに、これまで入
道殿をつかわされし御心ざし、又国もへだたり年月もかさなり候へば、たゆむ御心
もやとうたがい候に、いよいよいろをあらわし、こうをつませ給ふ事、但一生二生
の事にはあらざるか。
此の法華経は信じがたければ、仏、人の子となり、父母となり、めとなりなんど
してこそ信ぜさせ給ふなれ。しかるに御子もをはせず、但をやばかりなり。
「其中衆生悉是吾子」の経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父
ぞかし。
日蓮は又御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候
か。宿善たうとく候。
又蒙古国の日本にみだれ入る時はこれへ御わたりあるべし。又子息なき人なれば
御としのすへには、これへとをぼしめすべし。
いづくも定めなし。仏になる事こそつゐのすみかにては候へと、をもひ切らせ給
ふべし。
恐々謹言
卯月十二日 日蓮 花押
こう入道殿御返事
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