日亨上人が『告白』(謹んて宗内道俗一同に告く)をお書きになられた頃の時代背景


 大正14年11月18日に、後の総本山61世日隆上人(水谷秀道師)や、後の
総本山64世日昇上人(水谷秀圓師)を含む、日蓮正宗の二十数名の御僧侶(宗会
議員・評議員等)によって、ある誓約書が交わされています。

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  誓約書

 現管長日柱上人ハ私見妄断ヲ以テ宗規ヲ乱シ、宗門統治ノ資格ナキモノト認ム、
吾等ハ、速カニ上人ニ隠退ヲ迫リ宗風ノ革新ヲ期センカ為メ、仏祖三宝ニ誓テ茲ニ
盟約ス。

 不法行為左ノ如シ。

 一、大学頭ヲ選任スル意志ナキ事。
 二、興学布教ニ無方針ナル事。
 三、大正十三年八月財務ニ関スル事務引継ヲ完了セルニモ不拘、今ニ至リ食言シ
タル事。
 四、阿部法運(注、後の総本山60世日開上人)ニ対シ強迫ヲ加ヘ僧階降下ヲ強
要シ之ヲ聴許シタル事。
 五、宗制ノ法規ニヨラズシテ住職教師ノ執務ヲ不可能ナラシム事。
 六、宗内ノ教師ヲ無視スル事。
 七、自己ノ妻子ヲ大学頭ノ住職地タル蓮蔵坊ニ住居セシムル事。
 八、宗制寺法ノ改正ハ十数年ノ懸案ニシテ、闔宗ノ熱望ナルニモ不拘何等ノ提案
ナキハ一宗統率ノ資格ナキモノト認ム。

 実行方法左ノ如シ。

 一、後任管長ハ堀慈琳(注、後の総本山59世日亨上人)ヲ推選スル事。
 二、宗制寺法教則ノ大改正ヲ断行シ教学ノ大刷新ヲ企図スル事。
 三、総本山ノ財産ヲ明確ニシテ宗門ノ財産トスル事。
 右ノ方法ヲ実行スルニ当リ本盟ニ反スル者ハ吾人一致シテ制裁ヲ加ル事。

 以上ノ箇条ヲ証認シ記名調印スル者ナリ。

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 その2日後の、大正14年11月20日には、日蓮正宗宗会が、「宗会ハ管長土
屋日柱猊下ヲ信任セス」という、総本山58世日柱上人への管長不信任決議を採択
します。

 日柱上人への不信任決議とともに、「管長土屋日柱猊下就職以来何等ノ経綸ナク
徒ラニ法器ヲ擁シテ私利ヲ営ミ職権ヲ乱用シ僧権ヲ蹂躙ス我等時勢ニ鑑ミ到底一宗
統御ノ重任ヲ托スルヲ得ス速カニ辞職スル事ヲ勧告ス」という、日柱上人への辞職
勧告決議も、日蓮正宗宗会で採択されました。

 日柱上人は、大正14年11月22日に、辞表を書いて、辞職の意思を表明され
ます。

 大正14年11月24日に、宗会議長の小笠原慈聞師は、文部省宗教局に対して、
日柱上人の管長辞任届提出の手続きを行います。
 その際に、「新管長は日亨上人」と、届け出をされました。

 しかし、大正14年11月23日に、大石寺の檀家総代らが、何も情報が開示さ
れぬままに事が運んだことを、「許されぬ暴挙」として騒ぎ出します。

 そして、大石寺の檀家総代らが、大正14年11月27日に、「日柱上人への退
座要求は不当である」として、文部省宗教局に訴え出ます。

 一方、文部省宗教局は、大正14年11月29日に、日蓮正宗宗会側の有元廣賀・
松永行道・水谷秀道師を呼んで、事情説明をさせます。

 また、大正14年12月7日に、日亨上人は管長就任のために、大石寺で、前管長
の日柱上人へ事務引き継ぎを申し入れるものの、大石寺の檀家総代の立ち会いが
得られなかったために、引き継ぎが不成立となります。

 その後、日柱上人は辞職の意思を翻してしまったために、日柱上人を支持する
檀徒を中心としたグループと、日亨上人を支持する御僧侶を中心としたグループが、
二派に分かれて対立します。
  
 既に、文部省宗教局には、『日柱上人の管長辞任届』と『日亨上人の管長就任届』
が受理されている以上、法的には管長の交代が有効であったため、事が容易に解決
する状態ではありませんでした。

 そのため、上記二派の対立はエスカレートして、十数回も新聞沙汰となる事態が
勃発します。
 後日、加藤慈仁師と川田正平師が、脅迫・器物損壊等の罪によって、書類送検さ
れる事件も起きています。

 結局、文部省宗教局は、上記二派の話し合いでは紛争を解決できないと判断した
ため、選挙によって管長候補者を選出することを、日蓮正宗宗門に斡旋・通達しま
した。

 その後、日柱上人は、大正15年1月25日に、『宣言』を発表します。

 日柱上人は、「管長候補者選挙に、御自分以外の何人が当選されたとしても、唯
授一人の御相承を相伝することが絶対に出来得べきものでない。」という旨を、『宣言』
の中で主張されています。

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   宣言

 一、日柱の管長辞職は、裏に評議員宗会議員並に役僧等の陰謀と、其強迫によつ
て余儀なくせられたるものであれば元より日柱が真意より出たものでない。かゝる
不合理極まる経路に依て今回の選挙が行はれる事になった。
 斯の如き不合理極まる辞職が原因となりて行はれる選挙に於て、日柱以外の何人
が当選されたとしても、日柱は其人に対し、唯授一人の相承を相伝することが絶対
に出来得べきものでない事を茲に宣言する。

 二、抑も唯授一人の相承は、唯我與我の境界であれば、妄りに他の忖度すべきも
のでない。故に其授受も亦た日柱が其法器なりと見込みたる人でなければならぬ。
 聞くが如くんば、日柱が唯授一人の相承を紹継せるに対し、兎角の蜚語毒言を放
つ者ありと。これ蓋し為にせんとての謀計なるべきも、斯の如き者は、師虫の族で
ある。相承正統の紹継者は、日柱に在り。日柱を除いて他にこれなき事を断言する。
 既に不合理の経路に依て行はるゝ今回の選挙であれば、これに依て他の何人が当
選するとも唯我與我の主意に反するを以て、相承相伝は出来ないのである。乃ち仏
敕を重んずる精神に基く故である。
 斯の如く日柱が相承を護持する所以は、謗徒の為に、宗体の尊厳を冒涜せられ、
仏法の血脈を断絶せらるゝ事を恐るゝゆへである。
 而かも米国の民主主義や、露国の無政府共産主義の如き事が、我宗門に行はれる
ことになり、それが延ては終に日本国体に及ぼす禍根となるを悲む所以である。

 三、日柱は宗体を顛覆せらるゝ事を痛嘆する者である。既にこれを憂慮せる清浄
の信徒は、奮起して正義を唱へ、相承紹継の正統を、正統の正位に復すべく熱誠活
動して居るのである。荀くも僧侶として信念茲に及ばざる如きあらば真に悲むべき
である。
 即ち仏法の興廃は今回の選挙によつて定まるのである。願くば選挙に際し其の向
背を誤らざんことを。
 仏日を本然の大光明に輝かさんと願はん純正の僧侶並に信徒は、敢然として三宝
擁護に奉ずるために、正路に精進し、倶に共に宗体を援助するに勇猛なれ。

 南無妙法蓮華經

 大正十五年一月廿五日
 総本山五十八世嗣法 日柱 花押

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 管長候補者選挙は、大正15年2月16日に投票、大正15年2月17日に開票
が行われて、日亨上人が圧倒的大差で当選します。
 なお、落選した日柱上人の得票は、「3点」でした。

 管長候補者選挙の結果を受けた直後、文部省宗教局が、上記二派の紛争の
調停を行いました。

 そして、大正15年3月8日に、総本山大石寺において、日柱上人から日亨上人
へ御相承の儀が行われています。

 その後、御登座されてから1年8ヶ月が経過した昭和2年11月に、日亨上人は
御退座されることを、正式に表明されます。

 その直後に著された書物が、『告白(謹んて宗内道俗一同に告く)』となります。

 日亨上人の御退座表明を受けた後に、再び、管長候補者選挙が行われることとな
ります。

 その結果、阿部日開師が管長候補者選挙に当選されて、昭和3年6月8日に、日亨
上人から日開上人への御相承の儀が行われています。

 これらの時代背景を念頭に置いて、日亨上人の『告白』(謹んて宗内道俗一同に告く)
を、お読みになって下さい。


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