諫暁八幡抄 弘安三年(1279年)十二月 聖寿五十九歳御著作 


 夫馬は一歳二歳の時は、設ひつがいのび、まろすねにすねほそく、うでのびて候へど
病あるべしとも見えず。
 而れども七・八歳なんどになりて身もこへ、血ふとく、上かち下をくれ候へば、小船に
大石をつめるがごとく、小さき木に大なる菓のなれるがごとく、多くのやまい出来して人
の用にもあわず、力もよわく寿もみじかし。
 天神等も又かくのごとし。
 成劫の始めには先生の果報いみじき衆生生まれ来たる上、人の悪も候はねば、身の光も
あざやかに、心もいさぎよく、日月のごとくあざやかに、師子・象のいさみをなして候ひ
し程に、成劫やうやくすぎて住劫になるままに、前の天神等は年かさなりて下旬の月のご
とし。
 今生まれ来たれる天神は果報衰減し、下劣の衆生多分は出来す。
 然る間一天に三災やうやくをこり、四海に七難粗出現せしかば、一切衆生始めて苦と楽
とををもい知る。
 此の時仏出現し給ひて、仏教と申す薬を天と人と神とにあたへ給ひしかば、灯に油をそ
へ、老人に杖をあたへたるがごとく、天神等還って威光をまし勢力を増長せし事、成劫の
ごとし。
 仏教に又五味のあぢわひ分かれたり。
 在世の衆生は成劫ほどこそなかりしかども、果報いたうをとろへぬ衆生なれば、五味の
中に何れの味をもなめて威光勢力をもまし候ひき。
 仏滅度の後、正像二千年過ぎて末法になりぬれば、本の天も神も阿修羅・大竜等も年も
かさなりて身もつかれ心もよはくなり、又今生まれ来たる天・人・修羅等は、或は小果報
或は悪天人等なり。
 小乗・権大乗等の乳・酪・生蘇・熟蘇味を服すれども、老人に麁食をあたへ、高人に麦
飯等を奉るがごとし。
 而るを当世此を弁へざる学人等、古にならいて日本国の一切の諸神等の御前にして、阿
含経・方等・般若・華厳・大日経等を法楽し、倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・浄土
・禅等の僧を護持の僧とし給へる。唯老人に麁食を与へ、小児に強飯をくくめるがごとし。
 何に況んや、今の小乗経と小乗宗と大乗経と大乗宗とは、古の小大乗の経宗にはあらず。
 天竺より仏法漢土へわたりし時、小大の経々は金言に私言まじはれり。
 宗々は又天竺・漢土の論師・人師、或は小を大とあらそひ、或は大を小という。或は小
に大をかきまじへ、或は大に小を入れ、或は先の経を後とあらそい、或は後を先とし、或
は先を後につけ、或は顕経を密経といひ、密経を顕経という。
 譬へば乳に水を入れ、薬に毒を加ふるがごとし。
 涅槃経に仏未来を記して云く「爾の時に諸の賊、醍醐を以ての故に之に加ふるに水を以
てす、水を以てすること多きが故に、乳・酪・醍醐一切倶に失す」等云云。
 阿含小乗経は乳味のごとし。方等・大集経・阿弥陀経・深密経・楞伽経・大日経等は酪
味のごとし。般若経等は生蘇味の如く、華厳経等は熟蘇味の如く、法華・涅槃経等は醍醐
味の如し。
 設ひ小乗経の乳味なりとも、仏説の如くならば、争でか一分の薬とならざるべき。況ん
や諸の大乗経をや。何に況んや法華経をや。
 然るに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり。
 其の中に羅什三蔵一人を除きて、前後の一百八十六人は純乳に水を加へ、薬に毒を入れ
たる人々なり。
 此の理を弁へざる一切の人師末学等、設ひ一切経を読誦し十二分経を胸に浮べたる様な
りとも、生死を離るる事かたし。
 又一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。
 魔王・魔民等守護を加へて法に験の有る様なりとも、終には其の身も檀那も安穏なるべ
からず。
 譬へば旧医の薬に毒を雑へてさしをけるを、旧医の弟子等、或は盗み取り、或は自然に
取りて、人の病を治せんが如し。いかでか安穏なるべき。
 当世日本国の真言等の七宗並びに浄土・禅宗等の諸学者等、弘法・慈覚・智証等の法華
経最第一の醍醐に、法華第二・第三等の私の水を入れたるを知らず。
 仏説の如くならばいかでか一切倶失の大科を脱れん。
 大日経は法華経より劣る事七重なり。而るを弘法等、顛倒して大日経最第一と定めて日
本国に弘通せるは、法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたるなり。水にも非ず乳にも
非ず、大日経にも非ず法華経にも非ず。而も法華経に似て大日経に似たり。
 大覚世尊是を集めて涅槃経に記して云はく「我が滅後に於て○正法将に滅尽せんと欲す。
爾の時に多くの悪を行ずる比丘有らん。乃至、牧牛女の如く、乳を売るに多利を貪らんと
欲するを為ての故に、二分の水を加ふ。乃至、此の乳水多し。○爾の時に是の経閻浮提に
於て当に広く流布すべし。是の時に当に諸の悪比丘有って、是の経を抄略し分かって多分
と作し、能く正法の色香美味を滅すべし。是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も、
如来の深密の要義を滅除せん。乃至、前を抄りて後に著け、後を抄りて前に著け、前後を
中に著け、中を前後に著けん。当に知るべし、是くの如きの諸の悪比丘は是魔の伴侶なり」
等云云。
 今日本国を案ずるに、代始まりて已に久しく成りぬ。旧き守護の善神は定めて福も尽き
寿も減じ、威光勢力も衰へぬらん。
 仏法の味をなめてこそ威光勢力も増長すべきに、仏法の味は皆たがひぬ。齢はたけぬ、
争でか国の災を払ひ、氏子をも守護すべき。
 其の上謗法の国にて候を、氏神なればとて大科をいましめずして守護し候へば、仏前の
起請を毀つ神なり。
 しかれども氏子なれば、愛子の失のやうにすてずして守護し給ひぬる程に、法華経の行
者をあだむ国主・国人等を対治を加へずして守護する失に依りて、梵釈等のためには八幡
等は罰せられ給ひぬるか。
 此の事は一大事なり。秘すべし秘すべし。
 有る経の中に、仏此の世界と他方の世界との梵釈・日月・四天・竜神等を集めて、我が
正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王・悪鬼神等が、人王・人民等の身に
入りて悩乱せんを、見乍ら聞き乍ら治罰せずして須臾もすごすならば、必ず梵釈等の使ひ
をして四天王に仰せつけて治罰を加ふべし。
 若し氏神治罰を加へずば、梵釈・四天等も守護神に治罰を加ふべし。
 梵釈又かくのごとし。梵釈等は必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すべし。
 若し然らずんば、三世の諸仏の出世に漏れ、永く梵釈等の位を失ひて、無間大城に沈む
べしと、釈迦・多宝・十方の諸仏の御前にして起請を書き置かれたり。
 今之を案ずるに、日本小国の王となり神となり給ふは、小乗には三賢の菩薩、大乗には
十信、法華には名字五品の菩薩なり。
 何なる氏神有りて無尽の功徳を修すとも、法華経の名字を聞かず、一念三千の観法を守
護せずんば、退位の菩薩と成りて永く無間大城に沈み候べし。
 故に扶桑記に云はく「又伝教大師、八幡大菩薩の奉為に、神宮寺に於て自ら法華経を講
ず。乃ち聞き竟はって大神託宣すらく、我法音を聞かずして久しく歳年を歴る。
 幸ひ和尚に値遇して正教を聞くことを得たり。兼ねて我が為に種々の功徳を修す。至誠
随喜す。何ぞ徳を謝するに足らん。
 兼ねて我が所持の法衣有りと。即ち託宣の主、自ら宝殿を開いて、手ずから紫の袈裟一
つ・紫の衣一つを捧げ、和尚に奉上す。大悲力の故に幸ひに納受を垂れたまへと。
 是の時に禰宜・祝等各歎異して云はく、元来是くの如きの奇事を見ず聞かざるかなと。
此の大神施したまふ所の法衣、今山王院に在るなり」云云。
 今謂はく、八幡は人王第十六代応神天皇なり。其の時は仏経無かりし。此に袈裟・衣有
るべからず。
 人王第三十代欽明天皇の治三十二年に神と顕はれ給ひ、其れより已来弘仁五年までは禰
宜・祝等次第に宝殿を守護す。
 何の王の時、此の袈裟を納めけると意うべし。
 而して禰宜等が云はく、元来見ず聞かず等云云。此の大菩薩いかにしてか此の袈裟・衣
は持ち給ひけるぞ。不思議なり不思議なり。
 又欽明より已来弘仁五年に至るまでは、王は二十二代、仏法は二百六十余年なり。
 其の間に三論・成実・法相・倶舎・華厳・律宗・禅宗等の六宗七宗日本国に渡りて、八
幡大菩薩の御前にして経を講ずる人々、其の数を知らず。
 又法華経を読誦する人も争でか無からん。又八幡大菩薩の御宝殿の傍らには、神宮寺と
号して法華経等の一切経を講ずる堂、大師より已前に是あり。
 其の時定めて仏法を聴聞し給ひぬらん。何ぞ今始めて、我法音を聞かずして久しく年歳
を歴る等と託宣し給ふべきや。
 幾の人々か法華経一切経を講じ給ひけるに、何ぞ此の御袈裟・衣をば進らさせ給はざり
けるやらん。
 当に知るべし、伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども、其の義はいまだ顕はれ
ざりけるか。
 去ぬる延暦二十年十一月の中旬の比、伝教大師、比叡山にして南都七大寺の六宗の碩徳
十余人を奉請して、法華経を講じ給ひしに、弘世・真綱等の二人の臣下此の法門を聴聞し
てなげいて云はく「一乗の権滞を慨み、三諦の未顕を悲しむ」と。又云はく「長幼三有の
結を摧破し、猶未だ歴劫の轍を改めず」等云云。
 其の後、延暦二十一年正月十九日に高雄寺に主上行幸ならせ給ひて、六宗の碩徳と伝教
大師とを召し合せられて宗の勝劣を聞こし食ししに、南都十四人皆口を閉ぢて鼻のごとく
す。
 後に重ねて怠状を捧げたり。其の状に云はく「聖徳の弘化より以降今に二百余年の間、
講ずる所の経論其の数多し。彼此理を争ひ、其の疑未だ解けず。而も此の最妙の円宗、猶
未だ闡揚せず」等云云。
 此をもって思ふに、伝教大師已前には法華経の御心いまだ顕はれざりけるか。
 八幡大菩薩の不見不聞と御託宣有りけるは指すなり、指すなり。白なり、白なり。
 法華経の第四に云はく「我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも法華経を説かん。当に
知るべし。是の人は則ち如来の使ひなり。乃至如来則ち衣を以て之れを覆ひたまふべし」
等云云。
 当来の弥勒仏は法華経を説き給ふべきゆへに、釈迦仏は大迦葉尊者を御使ひとして衣を
送り給ふ。
 又伝教大師は仏の御使ひとして法華経を説き給ふべきゆへに、八幡大菩薩を使ひとして
衣を送り給ふか。
 又此の大菩薩は伝教大師已前には加水の法華経を服してをはしましけれども、先生の善
根に依りて大王と生まれ給ひぬ。
 其の善根の余慶、神と顕はれて此の国を守護し給ひけるほどに、今は先生の福の余慶も
尽きぬ。正法の味も失ひぬ。
 謗法の者等国中に充満して年久しけれども、日本国の衆生に久しく仰がれてなじみをし、
大科あれども捨てがたくをぼしめし、老人の不孝の子を捨てざるが如くして天のせめに合
ひ給ひぬるか。
 又此の袈裟は法華経最第一と説かん人こそかけまいらせ給ふべきに、伝教大師の後は第
一の座主義真和尚、法華最第一の人なればかけさせ給ふ事其の謂れあり。
 第二の座主円澄大師は伝教大師の御弟子なれども、又弘法大師の弟子なり、すこし謗法
ににたり。此の袈裟の人には有らず。
 第三の座主円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども、心は弘法大師の弟子、大日
経第一法華経第二の人なり。此の袈裟は一向にかけがたし。設ひかけたりとも法華経の行
者にはあらず。
其の上又当世の天台座主は一向真言座主なり。
 又当世の八幡の別当は或は園城寺の長吏、或は東寺の末流、此等は遠くは釈迦・多宝・
十方の諸仏の大怨敵、近くは伝教大師の讐敵なり。
 譬へば提婆達多が大覚世尊の御袈裟をかけたるがごとし。又猟師が仏衣を被て師子の皮
をはぎしがごとし。
 当世叡山の座主は伝教大師の八幡大菩薩より給ひて候ひし御袈裟をかけて、法華経の所
領を奪ひ取りて真言の領となせり。譬へば阿闍世王の提婆達多を師とせしがごとし。
 而るを大菩薩の此の袈裟をはぎかへし給はざる、一の大科なり。
 此の大菩薩は法華経の御座にして行者を守護すべき由の起請をかきながら、数年が間、
法華経の大怨敵を治罰せざる事不思議なる上、たまたま法華経の行者の出現せるを来たり
て守護こそなさざらめ、我が前にして国主等の怨する事、犬の猿をかみ、蛇の蝦をのみ、
鷹の雉を、師子王の兎を殺すがごとくするを、一度もいましめず。
 設ひいましむるやうなれども、いつわりをろかなるゆへに、梵釈・日月・四天等のせめ
を、八幡大菩薩かほり給ひぬるにや。
 例せば欽明天皇・敏達天皇・用明天皇、已上三代の大王、物部大連・守屋等がすすめに
依りて宣旨を下して、金銅の釈尊を熱き奉り、堂に火を放ち僧尼をせめしかば、天より火
下りて内裏をやく。
 其の上日本国の万民とがなくして悪瘡をやみ、死ぬること大半に過ぎぬ。
 結句三代の大王・二人の大臣・其の外多くの王子・公卿等、或は悪瘡、或は合戦にほろ
び給ひしがごとし。
 其の時日本国の百八十神の栖み給ひし宝殿皆焼け失せぬ。釈迦仏に敵する者を守護し給
ひし大科なり。
 又園城寺は叡山已前の寺なれども、智証大師の真言を伝へて今に長吏とがうす。叡山の
末寺たる事疑ひなし。
 而るに山門の得分たる大乗戒壇を奪ひ取りて、園城寺に立て叡山に随はじと云云。
 譬へば小臣が大王に敵し、子が親に不孝なるがごとし。
 かかる悪逆の寺を新羅大明神みだれがわしく守護するゆへに、度々山門に宝殿を焼かる
るがごとし。
 今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して天火に焼かれ給ひぬるか。
 例せば秦の始皇の先祖嚢王と申せし王、神となりて始皇等を守護し給ひし程に、秦の始
皇大慢をなして三皇五帝の墳典をやき、三聖の孝経等を失ひしかば、沛公と申す人、剣を
もて大蛇を切り死しぬ。秦皇の氏神是なり。其の後秦の代ほどなくほろび候ひぬ。
 此も又かくのごとし。安芸の国いつく嶋大明神は平家の氏神なり。平家ををごらせし失
に、伊勢大神宮・八幡等に神うちに打ち失はれて、其の後平家ほどなくほろび候ひぬ。
 此又かくのごとし。
 法華経の第四に云はく「仏の滅度の後に、能く其の義を解せんは、是れ諸の天人世間の
眼なり」云云。
 日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は、諸天世間の眼にあらずや。
 眼には五あり。所謂、肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり。此の五眼は法華経より出生
せさせ給ふ。
 故に普賢経に云はく「此の方等経は是諸仏の眼なり。諸仏是に因って五眼を具する事を
得たまへり」等云云。
 此の方等経と申すは法華経を申すなり。
 又此の経に云はく「人天の福田、応供の中の最なり」等云云。
 此等の経文のごとくば、妙法蓮華経は人天の眼、二乗・菩薩の眼、諸仏の御眼なり。
 而るに法華経の行者を怨む人は、人天の眼をくじる者なり。其の人を罰せざる守護神は、
一切の人天の眼をくじる者を結構し給ふ神なり。
 而るに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作るや、法華経を無明の辺域にして明の分位に
非ず、後に望むれば戯論と作る、力者に及ばず、履者とりにたらずとかきつけて四百余年、
日本国の上一人より下万民にいたるまで法華経をあなづらせ、一切衆生の眼をくじる者を
守護し給ふは、あに八幡大菩薩の結構にあらずや。
 去ぬる弘長と又去ぬる文永八年九月の十二日に日蓮一分の失なくして、南無妙法蓮華經
と申す大科に、国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて、一国の謗法の者
どもにわらわせ給ひしは、あに八幡大菩薩の大科にあらずや。
 其のいましめとをぼしきは、ただどしうちばかりなり。
 日本国の賢王たりし上、第一第二の御神なれば八幡に勝れたる神はよもをはせじ、又偏
頗はよも有らじとはをもへども、一切経並びに法華経のをきてのごときんば、この神は大
科の神なり。
 日本六十六箇国二つの島、一万一千三十七の寺々の仏は皆或は画像、或は木像、或は真
言已前の寺もあり、或は真言已後の寺もあり。
 此等の仏は皆法華経より出生せり。法華経をもって眼とすべし。
 所謂「此の方等経は是れ諸仏の眼なり」等云云。
 妙楽云はく「然も此の経は、常住仏性を以て咽喉と為し、一乗の妙行を以て眼目と為し、
再生敗種を以て心腑と為し、顕本遠寿を以て其の命と為す」等云云。
 而るを日本国の習ひ、真言師にもかぎらず諸宗一同に仏眼の印をもって開眼し、大日の
真言をもって五智を具足すと云云。
 此等は法華経にして仏になれる衆生を真言の権経にて供養すれば、還って仏を死し、眼
をくじり、寿命を断ち、喉をさきなんどする人々なり。
 提婆が教主釈尊の身より血を出だし、阿闍世王の彼の人を師として現罰に値ひしに、い
かでかをとり候べき。
 八幡大菩薩は応神天皇小国の王なり。阿闍世王は摩竭大国の大主なり。天と人と、王と
民との勝劣なり。
 而れども阿闍世王、猶釈迦仏に敵をなして悪瘡身に付き給ひぬ。八幡大菩薩いかでか其
の科を脱るべき。
 去ぬる文永十一年に大蒙古よりよせて、日本国の兵を多くほろぼすのみならず、八幡の
宮殿すでにやかれぬ。其の時何ぞ彼の国の兵を罰し給はざるや。
 まさに知るべし、彼の国の大王は此の国の神に勝れたる事あきらけし。
 襄王と申せし神は漢土の第一の神なれども、沛公が利剣に切られ給ひぬ。
 此をもってをもうべし。道鏡法師、称徳天皇の心よせと成りて国王と成らんとせし時、
清丸、八幡大菩薩に祈請せし時、八幡の御託宣に云はく「夫神に大小好悪有り、乃至、彼
は衆く我は寡なし。邪は強く正は弱し。乃ち当に仏力の加護を仰いで為に皇緒を紹隆すべ
し」等云云。
 当に知るべし、八幡大菩薩は正法を力として、王法をも守護し給ひけるなり。
 叡山・東寺等の真言の邪法をもって権の大夫殿を調伏せし程に、権の大夫殿はかたせ給
ひ、隠岐の法皇はまけさせ給ひぬ。還著於本人とは此なり。
 今又日本国一万一千三十七の寺並びに三千一百三十二社の神は、国家安穏のためにあが
められて候。
 而るに其の寺々の別当等、其の社々の神主等は、みなみなあがむるところの本尊と神と
の御心に相違せり。
 彼々の仏と神とは其の身異体なれども、其の心同心に法華経の守護神なり。
 別当と社主等は、或は真言師、或は念仏者、或は禅僧、或は律僧なり。皆一同に八幡等
の御かたきなり。
 謗法不孝の者を守護し給ひて、正法の者を或は流罪、或は死罪等に行なはするゆへに、
天のせめを被り給ひぬるなり。
 我が弟子等の内、謗法の余慶有る者の思ひていわく、此の御房は八幡をかたきとすと云
云。
 これいまだ道理有りて法の成就せぬには、本尊をせむるという事を存知せざる者の思ひ
なり。
 付法蔵経と申す経に大迦葉尊者の因縁を説いて云はく「時に摩竭国に婆羅門有り、尼倶
律陀と名づく。過去の世に於て久しく勝業を修し、○多く財宝に饒かにして巨富無量なり、
○摩竭王に比するに千倍勝れりと為す。○財宝饒かなりと雖も子息有ること無し。自ら念
はく、老朽して死の時将に至らんとす。庫蔵の諸物委付する所無し。其の舎の側に於て樹
林神有り。彼の婆羅門子を求むるが為の故に即ち往いて祈請す。年歳を経歴すれども微応
無し。」
 時に尼倶律陀大いに瞋忿を生じて樹神に語りて曰く、我汝に事へてより来、已に年歳を
経れども都て為に一の福応を垂るるを見ず。今当に七日至心に汝に事ふべし。若し復験無
くんば必ず相焼剪せん。
 明らかに樹神聞き已はって甚だ愁怖を懐き、四天王に向かって具に斯の事を陳ぶ。是に
於て四王往いて帝釈に白す。帝釈、閻浮提の内を観察するに、福徳の人の彼の子と為るに
堪ふる無し。即ち梵王に詣で広く上の事を宣ぶ。
 爾の時に梵王天眼を以て観見するに、梵天の当に命終に臨むべき有り。
 而して之に告げて曰く、汝若し神を降さば宜しく当に彼の閻浮提界の婆羅門の家に生ず
べし。
 梵天対へて曰く、婆羅門の法、悪邪見多し。我今其の子と為ること能はざるなり。
 梵王復言はく、彼の婆羅門大威徳有り。閻浮提の人往いて生ずるに堪ふる莫し。汝必ず
彼に生ぜば、吾相護りて終に汝をして邪見に入らしめざらん。
 梵天曰く、諾。敬んで聖教を承けんと。
 是に於て帝釈即ち樹神に向かって斯くの如き事を説く。
 樹神歓喜して尋いで其の家に詣って婆羅門に語らく、汝今復恨みを我に起こすこと勿れ、
却って後七日当に卿が願を満たすべし。
 七日に至って已に婦娠むこと有るを覚え、十月を満足して一男児を生めり。乃至、今の
迦葉是なり」云云。
 「時に応じて尼倶律陀大いに瞋忿を生ず」等云云。
常のごときんば、氏神に向かって大瞋恚を生ぜん者は、今生には身をほろぼし、後生に
は悪道に堕つべし。
 然りと雖も、尼倶律陀長者は氏神に向かって大悪口大瞋恚を生じて大願を成就し、賢子
をまうけ給ひぬ。当に知るべし、瞋恚は善悪に通ずる者なり。
 今日蓮は去ぬる建長五年〈癸丑〉四月二十八日より、今弘安三年〈太歳庚辰〉十二月に
いたるまで二十八年が間又他事なし。
 只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。
 此即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。
 此又時の当らざるにあらず、已に仏記の五五百歳に当たれり。
 天台・伝教の御時は、時いまだ来たらざりしかども、一分の機ある故に少分流布せり。
 何に況んや今は已に時いたりぬ。設ひ機なくして水火をなすともいかでか弘通せざらむ。
 只不軽のごとく大難には値ふとも、流布せん事疑ひなかるべきに、真言・禅・念仏者等
の讒奏に依りて無智の国主留難をなす。
 此を対治すべき氏神八幡大菩薩、彼等の大科を治せざるゆへに、日蓮の氏神を諫暁する
は道理に背くべしや。尼倶律陀長者が樹神をいさむるに異ならず。
 蘇悉地経に云はく「本尊を治罰すること鬼魅を治するが如し」等云云。
 文の心は経文のごとく所願を成ぜんがために、数年が間法を修行するに成就せざれば、
本尊を或はしばり或は打ちなんどせよととかれて候。
 相応和尚の不動明王をしばりけるは此の経文を見たりけるか。
此は他事にはにるべからず。
 日本国の一切の善人は或は戒を持ち、或は布施を行なひ、或は父母等の孝養のために寺
塔を建立し、或は成仏得道の為に妻子をやしなうべき財を止めて諸僧に供養をなし候に、
諸僧謗法者たるゆへに、謀反の者を知らずしてやどしたるがごとく、不孝の者に契りなせ
るがごとく、今生には災難を招き、後生も悪道に堕ち候べきを扶けんとする身なり。
 而るを日本国の守護の善神等、彼等にくみして正法の敵となるゆへに、此をせむるは経
文のごとし。道理に任せたり。
 我が弟子等が愚案にをもわく、我が師は法華経を弘通し給ふとてひろまらざる上、大難
の来たれるは、真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊との
給ふゆへなり。
 例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云云。
 日蓮我が弟子に反詰して云はく、汝若し爾らば我が問を答へよ。
 一切の真言師・一切の念仏者・一切の禅宗等に向かって南無妙法蓮華經と唱へ給へと勧
進せば、彼等が云はく、我が弘法大師は法華経と釈迦仏とをば戯論・無明の辺域・力者・
はき物とりに及ばずとかかせ給ひて候。物の用にあわぬ法華経を読誦せんよりも、其の口
に我が小呪を一反も見つべし。
 一切の在家の者の云はく、善導和尚は法華経をば千中無一、法然上人は捨閉閣抛、道綽
禅師は未有一人得者と定めさせ給へり。
 汝がすすむる南無妙法蓮華經は我が念仏の障りなり。我等設ひ悪をつくるとも、よも唱
へじ。
 一切の禅宗の云はく、我が宗は教外別伝と申して一切経の外に伝へたる最上の法門なり。
 一切経は指のごとし、禅は月のごとし。
 天台等の愚人は指をまぼて月を亡ひたり。法華経は指なり、禅は月なり。月を見て後は
指は何のせんか有るべきなんど申す。
 かくのごとく申さん時は、いかにとしてか南無妙法蓮華經の良薬をば、彼等が口には入
るべき。
 仏は且く阿含経を説き給ひて後、彼の行者を法華経へ入れんとたばかり給ひしに、一切
の声聞等只阿含経に著して法華経へ入らざりしをば、いかやうにかたばからせ給ひし。
 此をば仏説いて云はく「設ひ五逆罪は造るとも、五逆の者をば供養すとも、罪は仏の種
とはなるとも、彼等が善根は仏種とならじ」とこそ説かせ給ひしか。
 小乗・大乗はかわれども同じく仏説なり。
 大が小を破して小を大となすと、大を破して法華経に入ると、大小は異なれども法華経
へ入れんと思ふ志は是一なり。
 されば無量義経に大を破して云はく「未顕真実」と。
 法華経に云はく「此の事は為めて不可なり」等云云。
 仏自ら云はく「我世に出でて華厳・般若等を説きて、法華経をとかずして入涅槃せば、
愛子に財ををしみ、病者に良薬をあたへずして死したるがごとし」と。
 仏、自ら記して云はく「地獄に堕つべし」云云。
 不可と申すは地獄の名なり。
 況んや法華経の後、爾前の経に著して法華経へうつらざる者は、大王に民の従がはざる
がごとし、親に子の見へざるがごとし。
 設ひ法華経を破せざれども、爾前の経々をほむるは法華経をそしるに当たれり。
 妙楽云はく「若し昔を称歎せば豈今を毀るに非ずや」文。
 又云はく「発心せんと欲すと雖も偏円を簡ばず、誓ひの境を解らざれば、未来に法を聞
くとも何ぞ能く謗を免れん」等云云。
 真言の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は、設ひ法華経を大日経に相対して
勝劣を論ぜずして大日経を弘通すとも、滅後に生まれたる三蔵人師なれば謗法はよも免れ
候はじ。
 何に況んや善無畏等の三三蔵は、法華経は略説、大日経は広説と同じて、而も法華経の
行者を大日経えすかし入れ、弘法等の三大師は法華経の名をかきあげて戯論なんどとかか
れて候を、大科を明らめずして此の四百余年一切衆生皆謗法の者となりぬ。
 例せば大荘厳仏の末の四比丘が六百万億那由佗の人を皆無間地獄に堕とせると、師子音
王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく・うばいを皆阿鼻大城に
導きしと、今の三大師の教化に随ひて、日本国四十九億九万四千八百二十八人〈或は云は
く日本紀に行基数へてに云はく男女四十五億八万九千六百五十九人と云云〉の一切衆生、
又四十九億等の人々、四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば、其の後他方世界よりは生
まれて又死して無間地獄に堕ちぬ。
 かくのごとく堕つる者大地微塵よりも多し。此皆三大師の科ぞかし。
 此を日蓮此等を大いに見ながら、いつわりをろかにして申さずば、倶に堕地獄の者とな
て、一分の科なき身が十方の大阿鼻地獄を経めぐるべし。いかでか身命をすてざるべき。
 涅槃経に云はく「一切衆生の異の苦を受くるは、悉く是如来一人の苦なり」等云云。
 日蓮が云はく、一切衆生の同一の苦は、悉く是日蓮一人の苦なりと申すべし。
 平城天皇の御宇に八幡の御託宣に云はく「我は是日本の鎮守八幡大菩薩なり。百王を守
護せん誓願有り」等云云。
 今云はく、人王八十一・二代隠岐の法皇、三・四・五の諸皇已に破られ畢んぬ。残る二
十余代今捨て畢んぬ。已に此の願破るるがごとし。
 日蓮料簡して云はく、百王を守護せんといふは正直の王百人を守護せんと誓ひ給ふ。
 八幡の御誓願に云はく「正直の人の頂を以て栖と為し、詔曲の人の心を以て亭らず」等
云云。
 夫月は清水に影をやどす、濁水にすむ事なし。
 王と申すは不妄語の人、右大将家・権の大夫殿は不妄語の人、正直の頂、八幡大菩薩の
栖む百王の内なり。
 正直に二あり。
 一には世間の正直、王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく。天・人・地の三は
横なり。たつてんは縦なり。王と申すは黄帝、中央の名なり。天の主・人の主・地の主を
王と申す。
 隠岐の法皇は、名は国王、身は妄語の人、横人なり。権の大夫殿は、名は臣下、身は大
王、不妄語の人、八幡大菩薩の願ひ給ふ頂なり。
 二には出世の正直と申すは、爾前七宗等の経論釈は妄語、法華経天台宗は正直の経釈な
り。
 本地は不妄語の経の釈迦仏、迹には不妄語の八幡大菩薩なり。八葉は八幡、中台は教主
釈尊なり。
 四月八日寅の日に生まれ、八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給ふ。豈教主の日
本国に生まれ給ふに有らずや。
 大隅の正八幡宮の石の文に云はく「昔は霊鷲山に在って妙法華経を説き、今は正宮の中
に在って大菩薩と示現す」等云云。
 法華経に云はく「今此三界」等云云。又「常在霊鷲山」等云云。
 遠くは三千大千世界の一切衆生は釈迦如来の子なり。近くは日本国四十九億九万四千八
百二十八人は八幡大菩薩の子なり。
 今日本国の一切衆生は八幡を恃み奉るやうにもてなし、釈迦仏をすて奉るは、影をうや
まって体をあなづる、子に向いて親をのるがごとし。
 本地は釈迦如来にして、月氏国に出でては正直捨方便の法華経を説き給ひ、垂迹は日本
国に生まれては正直の頂にすみ給ふ。
 諸の権化の人々の本地は法華経の一実相なれども、垂迹の門は無量なり。
 所謂、髪倶羅尊者は三世に不殺生戒を示し、鴦掘摩羅は生々に殺生を示す、舎利弗は外
道となり、是くの如く門々不同なる事は、本凡夫にて有りし時の初発得道の始を成仏の後、
化他門に出で給ふ時、我が得道の門を示すなり。
 妙楽大師云はく「若し本に従って説かば、亦是くの如し。昔殺等の悪の中に於て能く出
離す。故に是の故に迹中にも亦殺を以て利他の法門と為す」等云云。
 今の八幡大菩薩は本地は月支の不妄語の法華経を、迹に日本国にして正直の二字となし
て賢人の頂にやどらむと云云。
 若し爾らば此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給ふとも、法華経の行者日本国に有る
ならば其の所に栖み給ふべし。
 法華経の第五に云はく「諸天、昼夜に常に法の為の故に、而も之を衛護す」文。
 経文の如くんば、南無妙法蓮華經と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等、昼夜に守
護すべしと見えたり。
 又第六の巻に云はく「或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を
示し、或は己事を示し、或は他事を示す」文。
 観音尚三十三身を現じ、妙音又三十四身を現じ給ふ。教主釈尊何ぞ八幡大菩薩と現じ給
はざらんや。
 天台云はく「即ち是形を十界に垂れて種々の像を作す」等云云。
 天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに
聖人出で給はざらむ。
 月は西より東に向かへり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。
 日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。
 月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を
照すべき瑞相なり。
 仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。
 末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此なり。
 各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ。



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