開目抄の「あとがき」


■あとがき

 本日2月9日は、旧暦の1月1日・元旦に当たります。
 旧暦における新年を期して、本日から、人本尊開顕の書である『開目抄』の連載を行
います。

 人本尊開顕の書・『開目抄』の対告衆は、四条金吾殿です。
 『開目抄』の御真蹟は、明治時代の身延の大火で焼失しています。 了



■あとがき

 筆者は、幼少の頃、西鉄ライオンズのファンでした。
 そして、西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ→西
武ライオンズへと球団売却が重なっても、ライオンズのファンで有り続けました。

 しかし、数年前、巨人対西武の日本シリーズの最中に、『森監督解任』をリークした堤
義明氏のやり方に反発して、西武ライオンズのファンを止めてしまいました。

 因って、筆者は、西武ライオンズのオーナーでもあった堤義明氏が証券取引法違反容疑
で逮捕されたことを、若干、複雑な心境で見つめています。

 そう云えば、「ナベツネと堤が、1リーグ制を画策している。」という話題がマスコミ
に取り上げられてから、まだ1年も経過していません。

 しかし、“ナベツネ”こと渡辺恒雄氏も、フォーブス誌で“世界一の大金持ち”と紹介
された堤義明氏も、アッという間に権力者の座を追われてしまいました。

 平家物語の「奢れる者は久しからず」という至言が脳裏をよぎると同時に、“ドッグ=
イヤー”と称されるような時代の流れの速さに、改めて愕然とする思いです。

 ところで、堤義明氏の現住所地でもある、『堤』の表札が掲げられていた東京都港区西
麻布の“豪邸”も、実は、会社名義(株式会社コクド)の資産であるそうです。

 堤義明氏の税金対策や経営方針が裏目になって、“世界一の大金持ち”であった堤義明
氏の“高樹町の豪邸”は、西武グループの売却資産として処分される見込みである、との
ことです。

 このニュースを聞いて、筆者は、ある事件を思い出しました。

 それは、KSD・中小企業経営者福祉財団(現・あんしん財団)の元理事長、古関忠男
氏の事件のことです。

 100万人以上の中小企業関係者の会員から共済金を集めて、政治家からも“陛下”と
呼ばれるほどの権勢を誇っていた古関忠男元理事長は、『古関』の表札を掲げた千葉県市
川市の“豪邸”に住んでいました。

 けれども、“市川の豪邸”は法人名義であり、古関忠男氏が贈賄罪で逮捕された後には、
退去させられてしまいました。

 “市川の豪邸”を退去させられた後の古関忠男氏は、2DKの賃貸マンションで独り暮らし
をしていたそうです。

 そして、本年の2月23日、連絡が取れないため不審に思った関係者が、マンションの
管理者に相談。合鍵で部屋に入ったところ、古関忠男氏は、浴槽に全身が浸かった状態で
死亡していたそうです。

 享年83歳。謹んで、故古関忠男氏のご冥福をお祈り致します。

 そういえば、古関忠男氏がご健在だった頃、筆者は、「KSDの“陛下”こと、古関忠男さん
は、日蓮正宗の“猊下”こと、
管長の阿部日顕さんに、とてもお顔が似ているなぁ。」と、思った
ことがあります。


 ちなみに、東京都渋谷区松涛の超高級住宅街に約20億円を投じて建設された、『阿部』
の表札が掲げられている“松涛の豪邸”も、『日蓮正宗』の法人名義であることは、周知の事
実です。
  了



■あとがき


 昨日は、連載を休ませて頂きました。ご了承下さい。

 事のついでに、雑談を。

 今年の元旦の“あとがき”で、ウイーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサー
について述べました。

 実は、元旦のニューイヤー・コンサートが終わった後に、チャンネルを変えたら、NH
Kテレビで、“シルクロード・アンサンブル”の特集が放映されていたんです。

 “シルクロード・アンサンブル”とは、世界的なチェリストであるヨー=ヨー=マが2000年
に創設者となって、トルコ・イラン・ウズベキスタン・インド・中国・日本等の
アジア各国に、
欧米諸国を加えた世界21ヶ国の演奏者と作曲家で構成される音楽集団の
ことです。
 この“シルクロード・アンサンブル”が、NHKテレビの特別番組“シルクロード”の
音楽を担当しています。

 筆者は、元旦の“シルクロード・アンサンブル”の特集の番組を視聴した途端、思わず、
“一耳惚れ”してしまいました。

 シルクロードにルーツを持つ民族音楽を網羅的に採譜して、中国琵琶・笙・馬頭琴・二
胡・タブラ・カマンチェ等の東洋楽器に、ヨー=ヨー=マのチェロ・バイオリン・トロンボーン・
ピアノ等の西洋楽器が絡むサウンドには、魂が震えるほどの美しさと郷愁があり
ます。

 そして、筆者は、先日、“シルクロード・アンサンブル”が演奏している、“シルクロード”
のサウンドトラックを見つけて、購入してきました。


 アルバムのタイトルは、【ENCHANTMENT YO-YO-MA THE SILKROAD ENSEMBLE】です。
 もう、「素晴らしい!」の一言しかありません。

 【ENCHANTMENT YO-YO-MA THE SILKROAD ENSEMBLE】の1曲目は、“シルクロード”
の番組主題歌になっていますが、ジャズハーモニカの巨匠・トゥーツ=シールマンスのアルバム
【BRAZIL JAZZ PROJECT VOL.2】の1曲目に、どことなく曲の構成が似ているよう
に思われ
ました。(無論、パクリではありません。 笑)


 それは、この2つのアルバムに共通して、民族音楽と西洋音楽との融合から醸し出され
美しさと郷愁が溢れているからでしょう。


 是非、【ENCHANTMENT YO-YO-MA THE SILKROAD ENSEMBLE】も【BRAZIL JAZZ PROJECT
VOL.2】も、読者の皆様に御試聴をお薦めします・・・・・。

 今回の“あとがき”は、マニアなオッさんの戯言になってしまいました。   了



■あとがき

 昨日はお休みを頂きました。どうか、ご了承下さい。

 日蓮大聖人の御尊称として、『大聖人』とお呼びすることは、「仏世尊は実語の人なり、
故に聖人・大人と号す。」と仰せの『開目抄』の御金言に因るものです。    了



■あとがき

 今年上半期のワイドショーを賑わした話題に、“若貴騒動”がありましたね。(笑)

 “若貴騒動”に関する番組のコメンテーターとして、『大相撲の経済学』(東洋経済新報社)
の著者であり、慶應義塾大学商学部教授でもある中島隆信氏がテレビ出演
されていたこと
を、ご記憶の方がいらっしゃるかも知れません。


 中島氏には、『お寺の経済学』(東洋経済新報社)という著書もあります。
 この『お寺の経済学』という本は、とにかく面白い!
 このメルマガの読者の皆様にも、ぜひ、御一読をお薦めします。

 『お寺の経済学』の目次を引用して、各章の題名を記します。

   序章  今なぜお寺なのか
  第1章  仏教の経済学
  第2章  すべては檀家制度からはじまった
  第3章  お寺は仏さまのもの
  第4章  お坊さんは氣楽な稼業か
  第5章  今どきのお寺は本末転倒
  第6章  お寺はタックス・ヘイブンか
  第7章  葬式仏教のカラクリ
  第8章  沖縄のお寺に学ぶ
  第9章  お寺に未来はあるか

 各章の題名を読んだだけでも、楽しそうでしょ。   (^v^)

 『お寺の経済学』では、“お寺”という分野を取り扱っていながらも、中島氏が経済学者
としての手法を駆使された結果、“変な宗教臭さ”のない内容に仕上がってい
ます。

 筆者は、中島氏を見習って、「このメルマガも、“変な宗教臭さ”のない内容に仕上げ
たい。」と、考えています。   了




■あとがき

 平成15年8月11日のメルマガにおいて(今から、もう2年前になるんですね)、
宗門が出版している『日蓮大聖人正伝』(監修阿部日顕・発行代表藤本日潤)に記載
されている、“偽書を悪用した宗旨建立二回説”の詭弁を破折しております。

 その際に引用した、『日蓮大聖人正伝』の原文を、今回、再び引用致します。

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 蓮長は三月二十二日より二十八日の早暁にかけて、清澄寺の一室にこもり、これか
らいよいよ地涌上行の再誕として、命にかけて題目を弘通する自らの大任のもとに、
如説修行の折伏を行ずるための深い思索を重ねられた。
 そうして三月二十八日、法華経の経文に照らして、いかなる無量の大難が競い起こ
ろうとも、その無数の大難を凌ぎ、南無妙法蓮華經の大法を弘通しなければならない
との不退転の決意を固め、御内証のうえにおいて宗旨の建立をなされたのである。し
かしてこれより一ヶ月後の四月二十八日を期して、その第一声を放つことを定められ
たのである。
 『開目抄』における
 「日本国に此を知れる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば、父母・
兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いはずば慈悲なきににたりと思惟するに、
法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いはずば今生は事なくとも、後生は必
ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ。二辺の中
にはいうべし。(中略)今度、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ。」
との御文意は、明らかにこの宗旨建立の直前の一代決意を披瀝されたものである。

 (日蓮大聖人正伝51~52ページ)

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 それにしても、凄まじいまでの“根拠なき妄想”ですね。   (^v^)

 一体、何を根拠として、今回連載分の『開目抄』の御金言等を、「明らかにこの宗
旨建立の直前の一代決意を披瀝されたものである。」と、結論づけられるのでしょう
か???

 この有様では、阿部師や藤本師を始めとする宗門の不勉強な僧侶どもが、前々回・
前回連載分の『開目抄』の御金言を楯にとり、“根拠なき妄想”を膨らませながら、
「過去世において、日蓮大聖人は、強盛の悪縁によって、退転していたことが明らか
である。」とか、「日蓮大聖人は、法華経を捨てて、権経・小乗経・外道・外典に堕
ちていたことを、御自身が認めている。」なんて“マヌケな邪義”を表明してしまう
うことを、老婆心ながら懸念しています。

 もしかすると、「日顕上人に信伏随従」のスローガンの下に、日顕上人の発言を
絶対視する悩乱者や、「日顕上人が本師」=法主本仏論を、大真面目に信ずる悩乱者
には、逆立ちしても、“マヌケな邪義のマヌケな邪義たる所以”が理解出来ないかも
知れませんが・・・・・。 

 前々回・前回・今回連載分の御金言は、末法の法華経の行者・末法の主師親の
三徳で在らせられる御本仏日蓮大聖人が、あえて御謙遜されながら、『示同凡夫(仏
が凡夫と同じ姿を示されること)』の御立場で仰せになられている御記述であります。


 是非とも、読者の皆様には、前々回・前回・今回連載分の御金言、及び、次回連載
分の御金言を通読して頂いて、これらの御金言の全体観を把握されることを、念願し
ております。    了   



■あとがき

 昨日は、連載を休ませて頂きました。ご了承下さい。

 筆者がメルマガの原稿を下書きする際には、ジャストシステムの“一太郎”を用い
ています。

 そういう事情もあって、昨日、知的財産高裁における、ジャストシステム逆転勝訴
のニュースを聞いた時には、若干、安堵しました。(松下電器産業の関係者がお読み
でしたら、ご容赦下さい。)

 “一太郎”は、良いワープロソフトです。是非、お試しになって下さい。
 文書をよく作成される方が、“一太郎”をお使いになれば、他社のワープロソフト
との違い(特に、ATOKの機能性)がお分かりいただけることでしょう。     了



■あとがき

 なんと、ロッテが4連勝で日本一になりました!
 筆者自身もビックリしています。   (^v^)

 日本シリーズでこれだけの大差が付いたことには、色々な要因があるのでしょう。

 その中でも、筆者は、「野球そのものの戦術だけでなく、人材の登用・応援スタイ
ル・ファンサービス等も含めた、球団経営の戦略に格差があったのではないか。」と、
考えています。

 はからずも、阪神球団自体が、村上ファンドの問題等で揺れています。
 これも、時代の流れなのかも知れません。

 一方、ドラフトの裏金問題で辞任したはずのナベツネさんが、未だに、連日報道陣
を前にして、傲慢な態度でコメントをしています。
 (それにしても、ナベツネさんのお顔は、阿部日顕さんにそっくりですねぇ。 笑)

 御自分が、的外れなコメントをすればするほど、巨人ファンがいなくなる・・・・・。
 どうして、こんな簡単なことに、氣がつかないのでしょうか。

 同様に、御自分が、的外れな教導をすればするほど、信者がいなくなる・・・・・。
 どうして、こんな簡単なことに、氣がつかないのでしょうか。

 やはり、球団経営や教団経営そのものに、問題があるのでしょう。
 こんな簡単なことに、氣がつかない輩は、即刻、淘汰されるべきです。

 それが、自然界の掟であり、時代の流れでもあります。    了



■あとがき

 新編御書でも、御書全集でも、『さる(猿)になりとも』と、ルビが振ってあります。

 そのため、一応、上記の現代語訳では、「たとえ猿になったとしても」と、訳しま
した。

 しかし、前後の文脈から判断すると、『さるになりとも』は、「たとえそのような
疑いを持たれたとしても」と訳した方が、より的確な氣がしています。   了



■あとがき

 本日の“あとがき”は、昨日の文化の日にちなんで、音楽の話を・・・・・。

 先週の土曜日、筆者は、サントリーホールに、ミッシャ=マイスキーさんのコンサ
ートへ行って来ました。

 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、ミッシャ=マイスキーさんはソロのチ
ェリストとして、人氣・実力ともに、世界でもトップクラスの方です。

 筆者はチェロという楽器が好きなため、よくチェリストのリサイタルに行きます。
 しかし、これほど盛り上がった演奏会は初めてです。

 なんと、アンコールが6回!
 最後は、スタンディング=オベーションでした!
 こんなに手をたたいて、掌が腫れたのは、ロッテの応援以来のことです。 (^v^)

 かつて、ファシズムやスペインの軍事独裁政権に対する抵抗と反戦平和のメッセー
ジを込めて、20世紀を代表するチェリストのパブロ=カザルスさんが、『鳥の歌』
というスペイン・カタロニア地方の民謡を弾いて、大きな話題になったことがありま
す。

 そのパブロ=カザルスさんから指導を受けていた、ルイス=クラレットさんがバル
セロナ(カタロニアの大都市)オリンピックの開会式で『鳥の歌』を演奏された際に、
筆者は強い感銘を受けました。

 パブロ=カザルスさんもルイス=クラレットさんも、カタロニア出身のチェリスト
ですから、『鳥の歌』には、特段強い思い入れがあったのでしょう。

 近年、ルイス=クラレットさんが来日された折に、二度ほど、筆者は、ルイス=ク
ラレットさんが演奏する『鳥の歌』を聴いています。

 今回のミッシャ=マイスキーさんのコンサートでも、6回目のアンコール・最後の
曲が『鳥の歌』でした。

 ミッシャ=マイスキーさんは、将来を嘱望されたチェリストでありながら、旧ソ連
政府から無実の罪で、投獄・強制労働に罰せられています。

 その頃の過酷な体験が、彼の音楽観や演奏に強く反映されているのは、自他ともに
認めるところです。

 サントリーホールでのコンサート終了後、それらのエピソードが書かれているミッ
シャ=マイスキーさんの著書・『わが真実』に、御本人からサインを頂きました。

 現在、メルマガでは、日蓮大聖人が流罪の地佐渡でお著しになられた、人本尊開顕
の書・『開目抄』の連載をさせて頂いております。

 『数数見擯出』等の御金言を拝するたびに、そして、『鳥の歌』の演奏を聴きなが
ら、ミッシャ=マイスキーさんのサインを眺めるたびに、筆者は、「投獄されたり、
追放されたり、除名されたりするぐらいの試練がなければ、末法において、本当に勝
れた人物にはなれないのかも知れない。」と、感じています。

 幸か不幸か、投獄の経験だけはありませんが・・・・・。     了



■あとがき

 11月11日、『経済学の父』と評された、ピーター=ドラッカー氏がお亡くなり
になりました。謹んで哀悼の意を表します。そして、ご冥福をお祈りします。  了



■あとがき


 訂正を致します。

 昨日の“あとがき”で、ピーター=ドラッカー氏のことを、『経済学の父』と記し
てしまいました。

 無論、『経済学の父』ではなく、『経営学の父』の書き間違いです。訂正させて頂
きます。

 ピーター=ドラッカー氏の著作の中では、『非営利組織の経営』が印象に残ってい
ます。
 15年近く前に、新宿の紀伊國屋書店で初版本を購入した時のことを、今でも憶え
ています。

 当時は、“非営利組織”の概念すら、日本社会に定着していませんでした。
 また、“NPO”と云っても、ほとんど認知されていない状況でした。
 わずか、約15年ほどでも、隔世の感があります。

 「須く、宗教団体の運営に関わる者は、『非営利組織の経営』を一読すべきであろ
う。」と、筆者は考えています。  了



■あとがき

 おそらく、上記の法華経の真言の箇所をお読みになっても、よく理解出来なかった
ことでしょう。
 筆者自身も、訳が分かりません。   (^v^)

 たぶん、「南無、普遍なる法身・報身・応身の三身如来よ。全ての衆生に遍く開か
れ示されている悟りに入り、一切の仏の智慧を知見すれば、大空が清らかな如く、煩
悩の塵から離れるであろう。そして、妙法蓮華経の教えに遍く住することにより、人
々は歓喜しながら、教えを堅固に擁護することを、迷いなく決定・成就出来るであろ
う。」のような意味だと思います・・・・・。

 筆者のテキトーな訳ですから、あまり、真剣に読まないでくださいね。    了



■あとがき


 今回の連載分で、『開目抄』の上巻が終わりました。
 次回からは、『開目抄』の下巻の連載を行います。

 申し上げるまでもなく、『開目抄』は、『人本尊開顕』の重書であります。

 『開目抄』の下巻では、結文において、「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」
と御宣言されることにより、日蓮大聖人が主・師・親の三徳を具備された御本仏であ
らせられることを御論証なされます。

                      ◇◆◇◆◇◆

■参考文献

 『開目抄愚記』(日寛上人文段)

 一、当抄の大意の事。

 凡そ当抄の大意は、末法下種の人の本尊を顕わすなり。謂わく、蓮祖出世の本懐は
但三箇の秘法に在り。然りと雖も、佐渡已前に於ては未だその義を顕わさず。佐渡已
後にこの義を顕わすと雖も、仍当抄等に於ては未だその名目を出ださず。然りと雖も、
その意は恒に三箇の秘法に在り。

 中に於て当抄は先ず末法下種の人の本尊を顕わすなり。故に当抄の始めに三徳の尊
敬等を標し、次に儒外に続いで内典を釈する中に、先ず一代の浅深を判じ、熟脱の三
徳を顕わし、次に蓮祖は是れ法華経の行者なることを明かす。

 巻の終わりに至って正しく下種の三徳を顕わし、「日蓮は日本国の諸人にしうし父
母なり」と云うなり。
 また佐渡抄に「日本国の魂なり、日本国の柱なり」とは、即ち蓮祖は日本国の主師
親なるが故なり。

 報恩抄に云はく、「一には本門の教主釈尊を本尊と為すべし。二には本門の戒壇。
三には本門の題目なり。(中略)日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり」等云云。
之を思い合はすべし。



■あとがき

 新年明けましておめでとうございます。

  【 高山の 頂にして 親と子の 心相寄るは あはれなるかな 】
                               - 島木赤彦 -

 日蓮大聖人は、『開目抄』の結文において、「日蓮は日本国の諸人にしうし父母な
り。」と、仰せになられています。

 そのことを以て、日蓮大聖人は、『主・師・親』の三徳を具備された『御本仏』で
あらせられることを、御宣言なされています。

 無論、我々、末法の衆生は、皆、『御本仏』の『仏子』であります。

 御書のメルマガを通して、日蓮大聖人(親)と読者の皆様(子)が、「心相寄るは」
という関係を深めていくこと。

 未熟な筆者ではありますが、そのためのお手伝いをさせて頂ければ、幸いに存じま
す。

 本年も、宜しくお願い申し上げます。   了



■あとがき

 今日、関東地方は、雪が降っています。
 厳しい寒波が到来しているため、春を待ち遠しく思われている方がいらっしゃるか
も知れません。

 昨日の1月20日は、『大寒』でした。
 そして、今年は、新暦の1月29日が、旧暦の1月1日・元旦になります。

 一言付け加えておくと、今年は、新暦の8月24日から、旧暦の閏7月が始まりま
す。

 旧暦においては、月名と季節がずれないようにするため、約3年毎に、1年を13
ヶ月にする必要があります。
 この余った1月を、閏月(うるうづき)と呼びます。

 過去の氣象データを振り返ると、「猛暑の年には、閏月が夏に来ている。」という
ことが、結構多いものです。

 そういう観点から考えると、今年は、「秋が長目になる。もしくは、残暑が長くな
る。」と、推測されます。

 妙一尼御前御消息に曰く、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。
いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人
の凡夫となる事を。経文には『若有聞法者無一不成仏』ととかれて候。」と。

 もうしばらくすると、春になります。
 読者の皆様お一人お一人に、幸福が訪れることを祈念します。   了



■あとがき


 上記の御金言において、日蓮大聖人が御引用なされているのは、下記の和歌です。

   【 ほのぼのと 明石の浦の あさぎりに 島がくれゆく 舟をしぞ思ふ 】

                                         - 柿本人麿呂 -

 日蓮大聖人は、時折、こういう洒脱で機知に富んだ御文をお書きになられます。
 このような御記述を発見した時に、筆者は、とても喜びを感じます。    了



■あとがき


 過日の“あとがき”でも申し上げたように、昨日、新暦の1月29日は、旧暦の1
月1日に該当しています。
 つまり、「昨日は、『旧正月』であった。」ということです。

 中国や韓国等の東アジアの国々では、旧暦の正月を祝う風習があります。
 日本政府等が『東アジア共同体構想』を推進していくのなら、隣国と共に、東アジ
アの伝統や風土や氣候に応じた暦を用いていく必要が発生するのではないか、と、考
えています。

 最近、関東地方は、暖かい日が続いています。

 今週の金曜日の2月3日には『節分』、今週の土曜日の2月4日には『立春』を迎
えます。
 これから、暦の上だけではなく、少しずつ、春の氣候になっていくことでしょう。 了



■あとがき


 昨日申し上げましたように、『六難九易』に関する御説明を致します。

 『六難九易』とは、法華経見宝塔品第十一において、法華経を説いていくことの難
しさを、譬喩を用いられながら御説明されている教えのことです。

-----------------------------------

 『六難』:法華経を説くにあたっては、

1.仏の滅後において、この経を広く説くことは難しい。(広説此経難)

2.仏の滅後において、この経を書き著わし、人にも書かせることは難しい。(書持
  此経難)

3.仏の滅後において、しばらくの間でも、この経を読むことは難しい。(暫読此経
  難)

4.仏の滅後において、一人のためであっても、この経を説くことは難しい。(少説
  此経難)

5.仏の滅後において、この経を聴き受けて、その意義を質問することは難しい。
  (聴受此経難)

6.仏の滅後において、この経を受持することは難しい。(受持此経難)

 『九易』:法華経を説くことよりも、

1.法華経以外の無数の経典を説くことの方が易しい。(余経説法易)

2.須弥山を手にとって、他方の無数の仏土へ投げることの方が易しい。(須弥ヤク
  置易)

3.足の指で大千世界を動かして、遠く、他国に投げることの方が易しい。(世界足
  ヤク易)

4.有頂天に立って、無量の余経を演説することの方が易しい。(有頂説法易)

5.手に虚空を取って、遊行することの方が易しい。(把空遊行易)

6.足の甲の上に大地を乗せて、梵天に昇ることの方が易しい。(足地昇天易)

7.乾いた草を背負い、大火の中に入って、焼けないでいることの方が易しい。(大
  火不焼易)

8.八万四千の法門を演説して、聴く者に六神通力を得させることの方が易しい。
  (広説得通易)

9.無量の衆生に阿羅漢の位を得させて、六神通力を具えさせることの方が易しい。
  (大衆羅漢易)

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 『六難九易』に関して、更に詳しい内容を知りたい方は、是非、法華経見宝塔品第十一
をお読みになって下さい。   (^v^)

 以上、『六難九易』に関する、筆者の未熟な解説でした。   了



■あとがき

 日蓮大聖人の御書において、『法華経の行者』というお言葉は、色々な意味に用い
られています。

 例えば、日蓮門下の不惜身命の弟子・檀那に対して、また、過去において法華経の
ために命を捧げた人々に対して、また、天台大師・伝教大師に対して、等々・・・。

 けれども、今日、富士門流において、『法華経の行者』というお言葉を用いる際に
は、日蓮大聖人が久遠元初自受用報身如来であらせられること、及び、末法の御本仏
であらせられること、つまり、『人法一箇の大御本尊』への御尊称として用いられる
ことが通例になっています。

 その理由は、上記の『参考文献』の『就註法華経口伝(御義口伝)』の御金言等に
拠るものです。


 昔、筆者の知人で、「今日は勤行をしたから、オレも法華経の行者だ。」と、自信
満々に語っている人がいました。   (^v^)

 確かに、100パーセント間違いではないのかも知れませんが・・・。

 『開目抄』を拝読される際には、「究極的に、『法華経の行者』とは、『行者即本
仏』の意である。」ということを、念頭に置いて頂けると幸いです。   了



■あとがき

  八正道 - 正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定 
  八邪   - 邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪方便・邪念・邪定 
  八風   - 利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽
  五陰   - 色・受・想・行・識
  三毒   - 貪欲・瞋恚・愚痴
  六入   - 眼・耳・鼻・舌・身・意
  六通   - 神境通・天眼通・天耳通・他心通・宿命通・漏尽通
  四大   - 地・水・火・風
  四諦   - 苦・集・滅・道

 上記の御金言を拝読されるためのご参考にしてください。   了



■あとがき

 ワールドカップの準々決勝でブラジルが負けたことに、メルマガの読者の方も驚か
れたのではないでしょうか。

 サッカーの敗因には、色々な要素があります。また、「安直な“犯人捜し”は、愚
かな行為である。」と、思っています。

 それらのことを踏まえながらも、「ブラジル敗北の要因は、体重が増して動きが鈍
くなっていたロナウドを、先発メンバーとして使い続けたことにある。」と、筆者は
考えています。

 ちょうど今から10年前、アトランタ五輪において、初めてロナウドのプレーを見
た時、あの“爆発的なキレ”に驚嘆しました。

 その当時を知る者としては、放逸な生活を送ることによって、“おデブちゃん”に
なったロナウドの姿に、憤りを超えて憐れみさえも感じていました。

 実際、先日のブラジル-フランス戦でも、「“爆発的なキレ”を持っていた頃のロ
ナウドだったら、ディフェンダーをドリブルで振り切って、シュートを打っていただ
ろう。」と、思われるような場面が何度もありました。

 試合前から、フランスのテュラム、マケレレ、ビエラ等の守備陣は、世界的な名選
手揃いでありながらも高齢であるため、緩急の揺さぶりに苦慮することが予測されて
いました。

 ブラジルの若手フォワードのロビーニョのように、運動量とスピードのある選手を
先発で使っておけば、試合展開も変わっていたに違いありません。

 しかし、「ブラジルの監督は、そういう展開を充分承知の上で、フランス戦に臨ん
でいたのではないか。」と、筆者は推測しています。

 つまり、「それでも、国内世論や周囲の状況を考えると、ロナウドという“ビッグ・
ネーム”を外すわけにはいかなかった・・・・・。」ということです。

 もし、その推測が真実であるならば、それが、“ブラジルの悲劇”の核心になるの
でしょう。

 『過去の成功体験に固執することが、却って、現在の衰退を招く要因となる。』

 この教訓は、サッカーだけでなく、ビジネスにおいても、そして、宗教団体の運営
においても、通じることではないでしょうか。   了



■あとがき

 日本国は、日蓮大聖人御在世の時代においても、現代においても、誠に残念ながら、
『破法の国(仏法を破る衆生が充満する国)』であるため、『折伏』をする必要があ
ります。

 その一方、世界全体に目を転じると、西欧・東欧のキリスト教圏の国々や、中東・
西アジアのイスラム教圏の国々のように、仏法の教えそのものが、ほとんど民衆に認
知されていない国々もあります。

 そういう国々が、『悪国(仏法を知らない衆生が充満する国)』に該当するのでし
ょう。      了



■あとがき


 日蓮大聖人の御書や仏教の経典には、『標・釈・結』の順を辿って、御論述なされ
ているものが多々ございます。

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 『標』(標題) → 総体を標示して、主旨を示されること。
 『釈』(解釈) → 標示された主旨を、論証されていくこと。
 『結』(結論) → 論証を締結して、文全体を結ばれること。

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 『開目抄』の『標』(標題)は、「夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・
師・親これなり。」と、仰せの箇所になります。

 そして、今回配信分の「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり。」と仰せの御金言
が、人本尊開顕の書・『開目抄』の『結』(結論)となります。

 これによって、日蓮大聖人は、主・師・親の三徳を具備された御本仏であらせられ
ることを御宣言なされています。  了


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