報恩抄の「あとがき」


■あとがき

 本日より、『報恩抄』を連載させて頂きます。

 『報恩抄』は、日蓮大聖人の御師匠であられた道善房が御逝去なされた直後に、清
澄寺に在していた兄弟子の浄顕房・義浄房に対して、日蓮大聖人が身延から送られた
御書です。
 なお、『報恩抄』の御真蹟は、池上本門寺等に散在しています。  

 日寛上人が『報恩抄文段』で仰せになられているように、『報恩抄』における「大
事の大事」は、「正しく本門の三大秘法を顕わす」ことでございます。     了



■あとがき

 『已今当』とは、釈尊が法華経の御説法を中心とされることによって、それ以外の
御一代の諸経を、三つの時期に分類されたものです。

 已説(いせつ)とは、法華経以前に説かれた四十余年の爾前経です。
 今説(こんせつ)とは、法華経の開経である無量義経のことです。
 当説(とうせつ)とは、法華経の後に説かれた涅槃経のことです。

 法華経法師品第十においては、「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、
今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり。」
等と、仰せになられています。     了



■あとがき

 本日の配信をもちまして、このメルマガは、1000号を迎えました。
 読者の皆様方に、感謝致します。ありがとうございます。

 【 千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。 】 - 宮本武蔵 -

 【 五月雨を あつめて早し 最上川 】 - 松尾芭蕉 -

 【 たとえ、明日、世界が滅びようとも、明日、リンゴの木を植えよう。 】 - マルティン・ルター -

 私事になりますが、本日・3月16日は、28年前に亡くなった祖母の祥月命日に
なります。

 祖母の形見として、行間に書き込みの入った、日寛上人の『六巻抄』のテキストが
残っています。
 そのテキストには、幼なかった頃の筆者が鉛筆で悪戯書きをしています。

 それから、数十年が経過した今、筆者は、日寛上人の『文段』と向き合って、日々、
メルマガの原稿を書いています。

 この場をお借りして、お名前は存じ上げませんが、祖母を折伏して頂いた方に、心
より御礼を申し上げます。ありがとうございます。

 筆者のメルマガは、このような『無名』の方々のご尽力によって、成り立っていま
す。
 そのことを、肝に銘じて、精進致します。

 このメルマガを配信し始めてから、4年3ヶ月が経過しました。
 早朝・深夜・休日返上の執筆作業は、文字通り、『止暇断眠』となる場合がありま
す。

 そして、日蓮大聖人の御書を訳すことへの責任の重さ、一度配信した原稿を取り消
すことの出来ない重圧感、日蓮大聖人の御言葉を現代社会に伝える者が受けるべき相
応の難。
 これらを克服することは、結構、大変です。

 しかし、それ以上に、御書のメルマガを配信していく行為は、筆者にとって、楽し
いことであり、嬉しいことであり、喜びであります。

 何故なら、『日蓮大聖人→鎌倉時代の対告衆』と同様に、『日蓮大聖人→現代社会
に生きる人々』へと、御本仏の御心をお伝えするための御奉公が出来るのであれば、
これほど、有り難いことはないからです。

 「その楽しさと嬉しさと喜びを、これからも、読者の方々と共有していきたい。」と、
決意を新たにしています。
 今後とも、宜しくお願い致します。   了




■あとがき

 今日、ラーメン屋さんで、遅い昼食を取っていたら、テレビで甲子園の決勝戦が放映
されていました。

 佐賀北高校が8回まで1安打に抑えられていましたので、「4-0だし、もう、決ま
りだろう。」と思い込んでいたところ、「逆転満塁ホームラン!」の実況が・・・・・。

 そういえば、昨年の甲子園の決勝戦は、斎藤投手と田中投手の投げ合いで、延長再試
合の末の決着でした。
 あれから、一年が経ったんですね。

 今日は、サッカーでも、フル代表・五輪代表が勝利を収めました。
 酷暑の続く日々ですが、一服の清涼剤となりました。     了




■あとがき
 
 現在、大相撲・九州場所が開催されています。巷では、『一年収めの九州場所』と、
よく云われています。

 相撲好きの筆者は、毎年、九州場所が終わる頃になると、「今年も、一年が暮れて
いくんだなぁ。」という感慨を持つようになります。

 それにしても、今年の九州場所の不入りは甚だしいですね。
 “若貴フィーバー”の頃を思うと、信じられないほどの“空席率”です。
 やはり、朝青龍騒動と時津風問題の影響があるのでしょう。
 
 以前、“あとがき”でもご紹介した、『お寺の経済学』『大相撲の経済学』の著者
である中島隆信氏が、これらの問題に関連するコメントをされていました。
http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071009/mrt0710091711007-n1.htm

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  - 「まわし組」経営の限界 -

 朝青龍騒動と時津風問題の根底には、約1400年にわたる相撲の伝統としきたり
のもとで、あぐらをかき続けてきた角界の甘さがあった。
 国技である以上、国民の信頼を回復しなければならない。自らウミを出し切り、周
囲の声に耳を傾ける真摯な姿勢が求められる。

 「大相撲の経済学」の著者である中島隆信・慶大教授は日本相撲協会の組織として
の課題のひとつに運営能力を挙げる。

 「現役力士は番付や実績で実力が明確になっている。だが親方の場合、弟子をどれ
だけ育成したかという評価以外は、現役時代の実績をみるしかない。
 親方の実力は関取(十両以上)をどれだけ育てたかという指導力だけでは計れない。
部屋をいかに監視し、切り盛りしているかという面も問われる。
 ところが、経営は素人である。協会を運営する理事らも同様だ。経営のプロではな
いので、一般企業のような管理能力やコーポレートガバナンス(企業統治)について
は弱い。
 師弟逆転となった朝青龍問題や北の湖理事長(元横綱北の湖)の対処能力の欠落…。
危機管理意識を持たなければ、再建は難しい。」

 スポーツ評論家の玉木正之さんは、組織としての欠陥は元力士だけで固めているこ
とだと指摘する。
 通常のスポーツ団体の組織はスポーツ経験者である「ユニホーム組」と、外から見
続けた「背広組」に分かれているとしたうえで、「相撲協会には『まわし組』しかお
らず、事態を客観的にみることができない」と表現した。
 
 過度なけいこがあっても、それがしきたりとしてしかとらえられない人たちばかり
だから、問題にもしない。朝青龍騒動にしろ、時津風問題にしろ、師匠や協会の対応
には世間とのギャップがあった。

 「ひと昔前までは閉じた社会で、ファンはタニマチや後援会などに限られた。内輪
の問題も内輪で納得すれば事態は収束できた。ところが今や相撲界はオープンな形で
議論され、公益法人としてことが起これば説明責任が必要になって慌てた」と中島教
授は解説する。

 時代の流れを把握できず、社会の中で何が問われているのかも理解できない。だか
らこそ、第三者の介入が必要とされる。
 一方で、文化伝統としての大相撲の価値は保っていかなければならない。

 中島教授は「相撲の独特の慣習と伝統は文化遺産のようなもので、一度失ってしま
えば取り戻すのは難しい。相撲がスポーツとして一般化され、競争を通じて生き残る
か、高度に差別化された伝統的要素を生かして生き残るか、どちらかだ」と迫りなが
らも、「大相撲の強みは文化性であって、競技性ではない」と力を込めた。

 神事であり、形式美も尊ぶ。相撲のよさを後世に伝えるためにも、時代に沿う大相
撲につくり変えていかなければならない。

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 一方、宗門では、来年の『決起大会』の開催に、躍起となっています。
 “学会フィーバー”の頃には、到底考えられなかった、“空席率”が背景にあるの
でしょう。

 (それにしても、さいたまスーパーアリーナや大阪ドーム等で、この種の会合を開
催する意義が、何処にあるのでしょうか。まぁ、早瀬日如管長は少林寺拳法の経験者
ですから、K-1や亀田兄弟の試合がさいたまスーパーアリーナや大阪ドーム等で行
われるたびに、血が騒いでいたのかも知れませんね。  笑)

 伝統としきたりにあぐらをかいた閉鎖性や上位下達の暴力的な体質、一般世間の通
念とのギャップ、危機管理能力や説明責任や経営能力のなさ・・・・・。


 日本相撲協会においても、宗門においても、直面している問題の根源は、極めて似
通っています。


 このままの状態が続けば、近々、宗門の余剰資金(預貯金)は底をつきます。
 それは、現在の宗門の僧侶数と法華講の実働信徒数を対比させた上で、全寺院の年
間収支の推移を冷静に算定していけば、一目瞭然のことです。

 いずれ、“援助寺院”に対する、総本山からの資金援助の見直しが通告されるでし
ょう。

 にもかかわらず、総本山では、相変わらずの“普請・普請・普請のオンパレード”
が続いています。

 加えて、超高級住宅街である松濤・等々力での豪邸建築、ファーストクラス・スイ
ートルームの海外旅行、芸者同伴の宴会・高級クラブでの酒食等々・・・・・。

 日本相撲協会と同様に、世間知らずで経済観念のない方々が組織の運営を行うと、
悲惨な状況を招くことになる、ということです。

 「“まわし組・背広組”と同様に、“袈裟組・背広組”によるマネジメントの刷新
をしなければ、遅かれ早かれ、宗門は財源の破綻を来すだろう。」
と、筆者は考えて
います。

 『家貧しくて、孝子顕わる。』

 逆説的に述べると、阿部日顕・早瀬日如両管長の最大の功績は、総本山・末寺の貯
えを吐き出させることによって、学会バブルで金銭感覚が麻痺していた僧侶たちの意
識改革を促そうとしていることにあるのかも知れません。
   了


 
■あとがき

 先日の“あとがき”と同様に、今回も、インターネット上の記事を引用致します。
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071030/crm0710302158022-n1.htm

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  - 明かされる「ワンマン社長」の隠し部屋 -

 バーカウンター、隠し部屋、サウナ… 英会話学校最大手「NOVA」が入る大阪
・難波のオフィスビル20階で30日、猿橋(さはし)望前社長(56)の「社長室」
が公開された。

 少なくとも約400億円の前払い受講料の返還の目途が立たず、外国人講師らの約
40億円の未払い賃金も支払われないNOVAの現状にそぐわない、一流ホテルのス
ウィートルームのような豪華な空間。
 「企業私物化の象徴だ」。保全管理人の弁護士は厳しい言葉で言い放った。 

 保全管理人の東畠敏明弁護士らは30日の会見で、「超ワンマン」と称された猿橋
前社長による会社を私物化した行動を次々と明らかにした。
 猿橋前社長の所得は17年度で3億900万円だったが、ほぼ同時期の会社決算は
31億円の赤字。「みんなが苦労しているときに高額報酬を取っていた。本当のオー
ナー経営者なら、従業員のためにお金を残してあげてほしかった」

 会見では、猿橋前社長が所有する関連会社2社の株式が大量に売却されていた事実
も明らかにされた。売却時期は、会社更生法による保全命令が出された26日前後。
会社の窮状をよそに私腹を肥やしたと受け取れる行動に、東畠弁護士は「強い怒りを
感じる。こうした資産が私どもに委ねられることを期待していたのだが」と語気を強
めた。

 会見の後、東畠弁護士は報道陣に「ビジネスセンター」と呼ばれる最上階(20階)
の社長室を公開した。
 広さ約100坪。一面に靴が沈み込むようなワインレッドのカーペットが続く。商
談に使用していた部屋には、ドンペリなど高級酒が並ぶバーカウンターや市内を一望
する木組みのテラス。バーカウンターの奥には“隠し部屋”とみられる8畳の和室、
さらにその奥には、居住スペースもあり、ダブルベッドや大型テレビ、サウナなども
完備していた。

 社長室は6000万~7000万円で作られ、会社が月額270万円の家賃を負担。
東京にも同じような社長室があるという。側近中の側近しか入室を許されず、社長室
を初めて見た広報担当社員は「こんな部屋だったのか」と驚き、思わず「ふざけるな」
と怒りの言葉を漏らした。

 東畠弁護士は「(報道陣に)公開するようなことはしたくなかったが、猿橋前社長
はいまなお表に出ずに裏で株を譲渡するなど、受講生に残すべきお金を簿外に持ちだ
そうとしている。企業私物化の一端としてお見せしようと思った」と公開の理由を話
した。

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 下記のURLには、『社長室』の見取り図や写真も掲載されています。
 是非、御覧になってください。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071030/crm0710302158022-n1.htm

 さて、このメルマガの読者の中には、上記の記事・見取り図・写真を御覧になられ
た瞬間、『会長専用室』『松濤・等々力の大豪邸』を連想された方もいらっしゃるこ
とでしょう。

 かつて、創価教育学会の牧口常三郎会長は、身延の謗法に対して、「似ていれば似
ているほど、偽札の罪は重い。」という主旨の破折をされたそうです。
 今回連載分の御金言の内容にも通じる逸話ですね。

 ならば、『会長専用室』『松濤・等々力の大豪邸』の主である、『第二の法華経の
行者』『戒壇の大御本尊と不二の尊体』の運命や、如何に。     了


 
■あとがき

 本日、総本山大石寺では、御大会が行われました。
 それ相応の理由を以て、毎年、新暦の11月21日に御大会を行っているようです
が、“旧暦愛好家”の筆者には、今一つ、しっくり来ません。

 ちなみに、本日は、旧暦の10月12日です。本門戒壇大御本尊御図顕の日です。
 明日が旧暦の10月13日になりますから、太陽暦が導入された明治時代以前なら
ば、本日が御逮夜・明日が御正当会に該当していました。

 関東地方は、ここ数日間で、急速に寒くなってきました。
 御本仏・日蓮大聖人が滅非滅をお迎えになられた際には、こういう寒さの中で、桜
が咲いたのでしょう。

 謹んで、御報恩謝徳を申し上げる次第でございます。   了




■あとがき

 上記御金言における、糞と栴檀の御比喩は、一見、品のない譬えのようですけど、
日蓮大聖人のオリジナルのネタ(?)ではありません。   (^v^)  
 この御比喩の出典は、楞厳経にございます。    

 楞厳経に云はく「阿難、若し其の大妄語を断ぜずんば、人糞を刻んで栴檀の形と為
し、香氣を求めんと欲するが如し。是の処有ること無し。」と。   了



■あとがき

 新年明けましておめでとうございます。
 平成20年が穏やかで、平和な年になることを祈ります。

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   宮沢賢治 『雨ニモマケズ』

     
 雨ニモマケズ

 風ニモマケズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

 丈夫ナカラダヲモチ

 慾ハナク

 決シテ瞋ラズ

 イツモシヅカニワラツテヰル

 一日ニ玄米四合ト

 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

 アラユルコトヲ

 ジブンヲカンジヨウニ入レズニ

 ヨクミキキシワカリ

 ソシテワスレズ

 野原ノ松ノ林ノ陰ノ

 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

 東ニ病氣ノコドモアレバ

 行ツテ看病シテヤリ

 西ニツカレタ母アレバ

 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

 南ニ死ニサウナ人アレバ

 行ツテコハガラナクテモイイトイヒ

 北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

 ツマラナイカラヤメロトイヒ

 ヒデリノトキハナミダヲナガシ

 サムサノナツハオロオロアルキ

 ミンナニデクノボウトヨバレ

 ホメラレモセズ

 クニモサレズ

 サウイフモノニ

 ワタシハ

 ナリタイ
  
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 読者の皆様方のご健勝とご多幸を祈念致します。
 本年も、宜しくお願い申し上げます。   了




■あとがき     

 そう云えば、『戒壇の大御本尊と不二の尊体』をお持ちの阿部日顕さん(!)も、「一
月一日に夢を見た。」「一月十三日に熱が出た。」「一月二十八日に唱題をして心感が
あった。」「一月三十一日は不思議な日だ。」等々と、“夢のお告げ”を根拠にして、
日蓮正宗史上前代未聞の『宗旨建立・初天法輪二回説』を唱えています。   (^v^) 

 http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/atogaki-nikaisetsu.html

 先日、このメルマガで配信させて頂いた『報恩抄』の御金言においては、「本師・伝
教大師の教えを継承していく立場の日本天台宗の座主でありながら、真言の邪義を巧妙
に取り込むことによって、比叡山の戒壇(法華経迹門の戒壇)を貶めた慈覚・智証の謗
法は、弘法の謗法よりも悪事である。」という主旨のことが仰せになられていました。

 ならば、「本師・日蓮大聖人の教えを継承していく立場の日蓮正宗の貫首でありなが
ら、個人崇拝の邪義(日顕上人が本師・日顕上人に信伏随従等々)を巧妙に取り込むこ
とによって、富士山の戒壇(法華経本門の戒壇)を貶めた阿部日顕師の謗法は、池田大
作氏の謗法よりも悪事である。」
と、考えています。   了



■あとがき

 本年の元旦の“あとがき”において、宮沢賢治さんの『雨ニモ負ケズ』を掲載しま
した。

 すると、ある読者の方から、「カタカナ混じりの原文が読みにくかったので、ひら
がなに直せませんか?」というご依頼を頂きました。

 そのため、ひらがな+漢字に直した『雨にも負けず』を、下記に掲載致します。
 
--------------------------------------
 
 雨にも負けず

 風にも負けず

 雪にも夏の暑さにも負けぬ

 丈夫なからだをもち

 慾はなく

 決して怒らず

 いつも静かに笑っている

 一日に玄米四合と

 味噌と少しの野菜を食べ

 あらゆることを

 自分を勘定に入れずに

 よく見聞きし分かり

 そして忘れず

 野原の松の林の陰の

 小さな萱ぶきの小屋にいて

 東に病氣の子供あれば

 行って看病してやり

 西に疲れた母あれば

 行ってその稲の束を負い

 南に死にそうな人あれば

 行ってこわがらなくてもいいと云い

 北に喧嘩や訴訟があれば

 つまらないからやめろと云い

 日照りの時は涙を流し

 寒さの夏はおろおろ歩き

 みんなにでくのぼーと呼ばれ

 褒められもせず

 苦にもされず

 そういうものに

 わたしは

 なりたい

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 『雨ニモ負ケズ』の素晴らしさを共感して頂ける方がいらっしゃると、喜びを感じ
ます。

 筆者は、「そういうものに わたしは なりたい」と、常々、願っています。 了



■あとがき

 5日ほど、連載を休ませて頂きました。ご了承下さい。

 最近、公私ともに、多忙でした。
 3日続けて、睡眠時間3時間。しかも、仕事+お酒のお付き合いで、連日、午前様
でした。   (^v^) 

 こんな生活をしていたら、ダメですね。身体を壊すモトになるだけです。
 1日・6~7時間は寝るようにしないと、知的生産活動に従事することは出来ませ
ん。
 御書の全訳を成し遂げるためにも、体調管理に留意します。

 そんなことを反省しながら、教学関連の執筆活動を振り返ってみると、楽に、原稿
用紙で数えると2500枚以上・文字数では100万字を超えていました。

 日蓮大聖人の御偉業に思いを馳せると、紙・墨・筆が貴重品であった時代、勿論、
インターネットやパソコンもなかった時代において、膨大な量の御書を遺して頂いた
ことに、改めて、感謝の意を申し上げる次第でございます。

 (製本された日蓮大聖人の御書の文字数を、単純にページ数で換算すると、約16
00ページ×900字=約144万字になります。

 ただし、1ページあたりの文字数の違いや余白の有無がありますので、一概に、上
記の字数が正確を期しているとは言えません。
 一方、紛失・焼却等によって、今では、存在が確認出来ない御書もございます。

 いずれにしても、日蓮大聖人が超人的な御執筆をなされたことに、間違いはござい
ません。)

 筆者は、原稿用紙2500枚・100万字以上の原稿を書かせて頂いたことによっ
て、新たな氣づきを得ました。

 それは、「言語で伝えられること、そして、言語では伝えられないこと。日蓮大聖
人は、その壁の高さを、誰よりも、ご痛感なさっていたのではないか。そのために、
『経巻相承』ではなく、『血脈相承』の制度をお遺しになられたのではないか。」と
いうことです。   了



■あとがき

 本日より、『報恩抄送文』を連載致します。
 『報恩抄送文』は、『報恩抄』の“送り状”になります。
 御書の対告衆は、清澄寺在住の浄顕房(日蓮大聖人の修業時代の兄弟子)です。 了



■あとがき

 「今回連載分の御書における、“此の御房”は、一体、誰になるのか。」

 上記の御金言を拝する限り、その人物を特定することは出来ません。
 日蓮門下の通説としては、「日向師(後の六老僧のお一人)である。」と、云われ
ています。

 しかし、筆者は、「もしかすると、日興上人ではないか。」と、考えております。

 その根拠として、「文永十一年(1274年)の時点で、既に、日興上人が駿河(静
岡県)方面への弘教を開始されていたこと。」及び、「『報恩抄』の最大の主題であ
る、“三大秘法”(本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目)への理解度において、日
興上人と日向師との間には、終生、大きな隔たりがあったこと。」
を提示しておきま
す。

 そして、「日蓮大聖人の御師匠・道善房の御逝去という重大事に際して、御自身の
代理(使者)としての“相応の格”を有しておられた方は、『唯我与我』『常随給仕』
『僧宝随一』の日興上人以外に見当たらないのではないか。」
と、考えています。

 併せて、全くの“私見”になりますが、「浄顕房・義城房のお二人は、日蓮大聖人
の修業時代の“法兄=兄弟子”という関係だけでなく、もしかすると、“血の繋がっ
た兄”であったかも知れない。」
とも、考えております。

 建長五年(1253年)の立宗宣言直後に、地頭の東条景信が激怒したため、浄顕
房・義城房は、東条の領地であった清澄寺から西条・花房の蓮華寺に、日蓮大聖人を
ご案内されています。

 その御功労を御賞賛された日蓮大聖人は、『本尊問答抄』において、「貴辺(浄顕
房)は地頭のいかりし時、義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば、何とな
くともこれを法華経の御奉公とおぼしめして、生死をはなれさせ給ふべし。」と、仰
せになられています。

 清澄寺での四面楚歌の状況下において、日蓮大聖人を命懸けでお守り申し上げた、
浄顕房・義城房のお二人。
 信仰の強さの故か、過去世からの因縁の故か、もしかすると、血縁の故か・・・。

 それは、さておき、次回連載分の御金言では、「“此の御房”を読み手として、清
澄寺の故道善房の墓前等で、『報恩抄』を拝聴するように。」という主旨の日蓮大聖
人の御命を、浄顕房・義城房がお受けになられています。

 その情景に思いを寄せると、そして、その際の日蓮大聖人・浄顕房・義城房の御心
境を拝すると、落涙の念を抑えることが出来ません・・・。

 未熟な“私見”ではございますが、『報恩抄』『報恩抄送文』を拝読される際に、
“参考の参考”として、読者の皆様のお心に留めて頂けると幸いです。   了



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