伯耆殿並諸人御中 弘安二年(1279年)九月二十六日 聖寿五十八歳御著作
 

  (前欠)

 此の事は、既に、私(日蓮大聖人)が、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王
等に申し入れております。あえて、違えるようなことはありません。

 各々方は、此の事を、諸天の御計らいと思うべきであります。

 恐々謹言

 弘安二年九月二十六日                    日蓮 花押

 伯耆殿(日興上人)並びに諸人 御中




■あとがき

 今回は、『伯耆殿並諸人御中』を配信致します。

 『伯耆殿並諸人御中』の御真跡は、全十九紙のうち文末の一紙だけが、和歌山了法
寺に現存しています。

 そして、『伯耆殿御書』と同様に、『伯耆殿並諸人御中』も、上記の御金言以前の
文書が紛失しているため、全文の内容を窺い知ることは出来ません。

 併せて、『伯耆殿並諸人御中』は、学会版の『御書全集』に収録されていないこと
も御承知下さい。

 上記の御金言の“此の事”とは、弘安二年九月二十一日に発生した“稲刈り事件”
及び、熱原農民二十名の鎌倉への押送等のことを指すように思われます。

 この時点で、日蓮大聖人は、熱原三烈士の運命をご承知されていたようにも、拝す
ることが出来ます。

 ところで、弘安二年九月下旬から十月にかけての日蓮大聖人及び弟子檀那の所在
場所は、下記のとおりです。

  【 日蓮大聖人 - 身延 】 

  【 日興上人 - 富士 】 

  【 日秀師、日弁師、熱原三烈士を含む農民二十名 - 熱原→鎌倉 】

 読者の皆様方におかれましては、この位置関係を念頭において、熱原法難関連の御
書をお読みになってください。

 次回は、『伯耆殿御返事』を配信致します。    了


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