法華証明抄 弘安五年(1282年)二月二十八日 聖寿六十一歳御著作


                           法華経の行者  日蓮 花押

 末代悪世に法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば、法華経の御鏡にはいかんが
うかべさせ給ふと拝見つかまつり候へば、過去に十万億の仏を供養せる人なりと、た
しかに釈迦仏の金口の御口より出でさせ給ひて候を、一仏なれば末代の凡夫はうたが
いやせんずらんとて、此より東方に、はるかの国をすぎさせ給ひてをはします宝浄世
界の多宝仏、わざわざと行幸ならせ給ひて釈迦仏にをり向かひまいらせて、妙法華経
皆是真実と証明せさせ給ひ候ひき。
 此の上はなにの不審か残るべき。
 なれどもなをなを末代の凡夫はをぼつかなしとをぼしめしや有りけん、十方の諸仏
を召しあつめさせ給ひて、広長舌相と申して無量劫よりこのかた永くそらごとなきひ
ろくながく大なる御舌を、須弥山のごとく虚空に立てならべ給ひし事は、をびただし
かりし事なり。 
 かう候へば、末代の凡夫の身として法華経の一字二字を信じまいらせ候へば、十方
の仏の御舌を持つ物ぞかし。

 いかなる過去の宿習にてかかる身とは生まるらむと悦びまいらせ候上、経文は過去
に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候ひける者が、法華経計りをば
用ひまいらせず候ひけれども、仏くやうの功徳莫大なりければ、謗法の罪に依りて貧
賎の身とは生まれて候へども、又此の経を信ずる人となれりと見へて候。
 しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生まれて悪人とは申すべけ
れども、心は善人なり。
 其の故は、日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる
人あれば、或は所領或は田畠等にわづらいをなし、結句は命に及ぶ人々もあり。信じ
がたき上、ちち・故上野は信じまいらせ候ひぬ。
 又此の者嫡子となりて、人もすすめぬに心中より信じまいらせて、上下万人に、あ
るいはいさめ或はをどし候ひつるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になる
べしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。
 命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。
 又鬼神めらめ、此の人をなやますは剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三
世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこあなかしこ。
 此の人のやまいを忽ちになをして、かへりてまぼりとなりて、鬼道の大苦をぬくべ
きか。 
 其の義なくして現在には頭破七分の科に行なはれ、後生には大無間地獄に堕つべき
か。
 永くとどめよ、永くとどめよ。日蓮が言をいやしみて後悔あるべし、後悔あるべし。

 二月二十八日 

 伯耆房に下す
 


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