春之祝御書 文永十二年(1275年)一月 聖寿五十四歳御著作


 春のいわいわすでに事ふり候ひぬ。
 さては故なんでうどのはひさしき事には候はざりしかども、よろづ事にふれて、な
つかしき心ありしかば、をろかならずをもひしに、よわひ盛んなりしにはかなかりし
事、わかれかなしかりしかば、わざとかまくらよりうちくだかり、御はかをば見候ひ
ぬ。
 それよりのちはするがのびんにはとをもひしに、このたびくだしには人にしのびて
これヘきたりしかば、にしやまの入道殿にもしられ候はざりし上は力をよばずとをり
て候ひしが、心にかかりて候。
 その心をとげんがために、此の御房は正月の内につかわして、御はかにて自我偈一
巻よませんとをもひてまいらせ候。
 御とのの御かたみもなしなんどなげきて候へば、とのをとどめをかれける事よろこ
び入って候。
 故殿は木のもと、くさむらのかげ、かよう人もなし。仏法をも聴聞せんず、いかに
つれづれなるらん。をもひやり候へばなんだもとどまらず。
 とのの法華経の行者うちぐして御はかにむかわせ給はんには、いかにうれしかるら
ん、いかにうれしかるらん。 


  (後欠) 


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