道場神守護事 建治二年(1276年)十二月十三日 聖寿五十五歳御著作


 銭五貫文を、確かに、貴殿(富木常忍殿)からお送り頂いて、受領致しました。

 既に、ご承知の通り、この身延の地は、人里を離れた深山であります。
 衣食が欠乏している間は、読経の声が続き難く、法門の談義の勤めも怠りがちに
なります。

 今回の『託宣』(注、ある事物や人物に託して、仏や神が宣べ知らせること。上
記の御金言においては、富木常忍殿が日蓮大聖人に銭五貫文の御供養をされた
事を指すものと思われる。)は、法華経を守護する十羅刹女の御計いによって、貴
殿(富木常忍殿)が檀那としての功労を為されたのでしょう。

 天台大師の『摩訶止観』の第八巻においては、このように、仰せになられていま
す。

 「帝釈天の御堂において、恐れを為した小鬼が、敬い避けるようなものである。
 道場(仏道修行の場)の神が偉大であれば、妄りに、悪鬼が侵入することは出来
ない。

 また、城主が剛毅であれば、守兵も強くなる。その一方で、城主が臆病であれば、
守兵も恐れを抱くようになる。
 つまり、心は、身の主となるのである。

 同生天・同名天の二神(注、人が生まれた時から、左右の両肩の上に在って、常
に、その人の行動の善悪を記録した上で、閻魔王に報告している二つの神。)は、
よく、人を守護する。

 心が堅固であれば、則ち、同生天・同名天の二神の守護も強い。
 身の神でさえ、尚、そういう事に該当するのである。
 ましてや、道場(仏道修行の場所)の神となれば、尚更である。」と。
     
 上記の天台大師の御指南を、妙楽大師が『摩訶止観弘決』の第八巻において、こ
のように、御解釈されています。

 「常に、同生天・同名天の二神は、人を守護する。けれども、必ず、心の堅固の
度合いに従って、神の守護が強くなるのである。」と。

 「身の両肩の神(同生天・同名天の二神)でさえ、常に、人を守護する。まして
や、道場(仏道修行の場)の神は、尚更である。」と。

 生誕した時から、『同生天・同名天』の二神は、人を守護しています。
 所謂、『同生天・同名天』の別名を、『倶生神』と云います。
 この事は、華厳経の経文に、出典があります。

 天台大師は、『法華文句』の第四巻において、「盗賊でさえ、『南無仏』と唱え
たことによって、金の天頭を得ている。ましてや、賢者が唱えれば、十方の尊神が
守護を与えないはずがない。ただ、精進せよ。懈怠すること(仏道修行を怠けるこ
と)があってはならない。」等と、仰せになられています。


 この天台大師の御解釈の意味は、こういうことです。

 「月氏(インド)に、天を崇めて、仏法を用いない国があった。

 ところが、その国に寺が建立されて、第六天の魔王の像を主(本尊)とした。
 この像の頭は、金で出来ていた。

 数年来、大盗賊が、この天頭を盗もうとしていた。けれども、なかなか、得るこ
とが出来なかった。

 ある時、大盗賊は、仏前に参詣して、物を盗んでから、仏法の教えを聴聞した。

 その際に、『“南無”とは、“驚覚”の義である。』と、仏がお説きになられて
いた。

 大盗賊は、この教えを聞いて、『南無仏』と唱えた。すると、第六天の魔王の金
頭を得ることが出来た。

 後日、この盗みが発覚して、糾明されるに及ぶと、大盗賊は、上記の如く、語っ
た。
 それによって、その一国は、皆、天を捨てて、仏法に帰依した。」と。

 この事例によって、「たとえ、罪科の有る者であったとしても、仏・法・僧の三
宝を信じれば、大難を免れるであろう。」と、推察することが出来ます。

 ところで、今回、貴殿(富木常忍殿)が御提示された、『託宣』(注、ある事物や人
物に託して、仏や神が宣べ知らせること。上記の御金言においては、富木常忍殿が
日蓮大聖人に銭五貫文の御供養をされた事を指すものと思われる。)の書状の内容
は、兼ねてから、承知しておりました。

 その内容を勘案すると、まさしく、「難が去って、福が到来する先兆である。」と
いうことです。

 (注記、富木常忍殿が日蓮大聖人に銭五貫文の御供養を送られた際に、御自身の
近況を報告された書状を、添付したものと推察される。)

 『妙法蓮華経』の“妙”の一字を、竜樹菩薩が『大智度論』において、「よく、
毒を変じて、薬と為す。」と、御解釈されています。

 天台大師は、「今経(法華経)において、記別(注、仏が未来世における弟子の
成仏を明らかにすること。)を得られたのは、即ち、毒を変じて、薬と為すからで
ある。」と、仰せになられています。

 たとえ、災いが来たとしても、それを変じて、幸いと為すことが出来るでしょう。
 ましてや、法華経の守護神である十羅刹女が、貴殿(富木常忍殿)の守護も兼ね
られているのです。

 それを譬えると、「薪が火を盛んにする。そして、風が迦羅求羅の身を増す。」
(注、迦羅求羅は、想像上の虫。その身は微細であるが、風を得ると非常に大きく
なり、一切を呑み込むと云われている。)ということになります。

 言葉は、紙上に尽くし難いものがあります。
 貴殿(富木常忍殿)の心を以て、御推量ください。

 恐々謹言

 建治二年(1276年)十二月十三日   日蓮 花押 

 御返事 



■あとがき

 今回から、『道場神守護事』を連載致します。

 前々回・前回に連載させて頂いた、『富木尼御前御書』・『忘持経事』と同様に、
『道場神守護事』の御真蹟は、中山法華経寺に現存しています。

 そして、『道場神守護事』の対告衆は、富木常忍殿になります。   了



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