檀越某御返事 弘安元年(1278年)四月十一日 聖寿五十七歳御著作
 

 御手紙を受領致しました。

 日蓮が流罪に処されて以来、行く先々で、多くの災いが重なって、発生しています。
 また、「これから、何事が起こるのであろうか。」と、思われています。
 
 けれども、以前には、何者かが、私(日蓮大聖人)に難を加えようとすると、不可思議
なことが起こりました。
 従って、この度も、流罪されるならば、その前兆があるはずです。

 もし、その義が正当であるとすれば、私(日蓮大聖人)に難を加えた者どもが、逆に、
私(日蓮大聖人)の教えを用いていたならば、百千億倍の幸せを得ることになっていたで
しょう。

 今度、流罪に処されるならば、三度目(注、過去二度の御流罪は、伊豆御流罪・佐渡御
流罪。)になります。
 そうなれば、法華経(御本尊)も、まさか、日蓮のことを、緩慢な行者とは思わないで
しょう。

 釈迦如来・多宝如来・十方の諸仏や、地涌千界の大菩薩の御利益を、今度は、見届ける
所存です。
 因って、そのような事(注、流罪等の大難)の到来を、心より待望しております。

 「自らの命を投げ出して、法を求められた雪山童子の跡を追いたい。刀杖瓦石の難に遇
われながらも、礼拝行を遂行した不軽菩薩と、同じ身の上になりたい。」と、存じます。

 徒(いたずら)に、疫病に犯されてしまったり、また、無為に歳月を過ごして、年老い
て死んでしまうようなことになれば、誠に、無念極まりないことです。

 願わくば、法華経(御本尊)の故に、国主から怨まれるのであれば、今度こそ、生死を
流転する苦しみから離れることが出来るでしょう。

 天照太神・正八幡大菩薩・大日天王・大月天王・帝釈天王・大梵天王等の諸天善神が、
仏前において、法華経の行者を守護する旨のお誓いを立てたことが、今度は、実行される
か否かを、試みてみたいものであります。

 さて、これらの事は、置いておきます。

 貴殿(四条金吾殿)の御身のことは、これから、私(日蓮大聖人)が御本尊に申し上げ
て、御計らいして頂けるように、御祈念を致します。

 これまで通りに修行していくことこそが、法華経(御本尊)を、十二時に(一日中)行ずる
ことになります。

 穴賢、穴賢。(誠に、誠に、尊いことであります。)

 御みやづかい(仕官・仕事)を、法華経(御本尊)と思うようにしなさい。

 法華経法師功徳品第十九の経文を注釈された、天台大師の『法華玄義』の御文に、「あ
らゆる世間の生活や産業は、皆、実相(仏のありのままの相、真如・不変の理)と相違す
るものではない。」と仰せになられているのは、このことであります。

 返す返す、この御文の心を、よく考えるようにしてください。

 恐々謹言

 弘安元年四月十一日                日蓮 花押




■参考文献

 『法華経法師功徳品第十九』

 諸の所説の法、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書、治世の語言、
資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん。

                       ◇◆◇◆◇◆

■あとがき
 
 『檀越某御返事』の本文に、“檀越某”の具体的なお名前は、明記されておられません。
 けれども、「“檀越の某”とは、四条金吾殿のことである。」と、伝えられています。

 『檀越某御返事』の内容から拝すると、弘安元年(1278年)の頃には、再々度、日
蓮大聖人を流罪しようとする謀略があったようです。     了



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