大学三郎殿御書 建治元年(1274年)七月二日 聖寿五十四歳御著作


 外道(注、仏教以外の教え。この箇所では、インドのバラモンの教えを御説明な
されている。)においては、天界・人界・畜生界の『三善道』を明かして、鬼道(餓
鬼界)の有無を論じています。
 けれども、地獄道(地獄界)については、論究されていません。

 小乗経においては、六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界)の因
果を明かしています。
 ところが、四聖(声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界)の因果については、明確にな
っておりません。

 倶舎宗・成実宗・律宗の三宗は、小乗経に依憑(依存)して、ただ、六道(地獄
界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界)を明かしているだけです。

 三論宗は、天台宗よりも以前に、天竺(インド)から中国へ渡来しています。
 しかし、八界(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・菩薩界・仏界)
を立てているだけであって、十界(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界
・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界)を明かしていません。

 法相宗も、また、天竺(インド)から中国へ渡来してきた宗派です。
 天台宗が渡来した以後、唐(中国)の太宗の世(時代)に伝わってきました。
 法相宗も、三論宗と同様に、八界(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天
界・菩薩界・仏界)だけを立てています。

 法相宗は、大乗の教えであると雖も、『五性各別』(注、衆生の性質を、定性声
聞・定性縁覚・定性菩薩・三乗不定性・無性の『五性』に分けた上で、その『五性』
は、各々が全く別で、異なった性分であると主張していること。)の教理を立てて、
「無性有情(仏性のない人)は、永久に、成仏しない。」と、主張しています。

 このような教えは、ほとんど、外道の法に似ています。
 そのため、法相宗は、あらゆる仏教の宗派から、歎かれています。
           
 華厳宗・真言宗の両宗は、天台大師御在世以後に、興った宗派です。

 華厳宗は、唐(中国)の則天皇后の時代に立てられています。
 真言宗は、唐(中国)の玄宗皇帝の時代に、善無畏三蔵が天竺(インド)から中
国へ渡来させています。

 ただし、天竺(インド)には、『真言宗』という名の宗派がありません。
 大日経を以て、善無畏三蔵が宗旨を立てた故に、『天竺(インド)の宗』と、勝
手に称しているのでしょう。

 この二宗(華厳宗・真言宗)は、共に、十界(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界
・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界)を立てています。
 ただし、それは、天台宗が立宗された以後のことであります。

 華厳宗・真言宗の両宗は、智者大師(天台大師)の巧みなる智慧を窃盗しておき
ながら、「自らの才能・財産である。」と、称しているのでしょう。
           
 仏説の通りに、この事を勘えれば、法華経以外の華厳経・大集経・般若経・大日
経・深密経等の諸経は、単なる、小衍相対(小乗経と大乗経との相対)であります。
 
 ただ、法華経だけに限っては、『已今当の三説』(注、已に説かれた経典→爾前
経、今説かれた経典→無量義経、当に説かんとされる経典→涅槃経。因って、法華
経以外の全ての経典を意味する。)を以って、眷属の修多羅(従属した経典)と為し
ています。

 しかしながら、天台大師御出世以前の諸師は、小衍相対(小乗経と大乗経との相
対)を以って、法華経等の一切の大乗経を解釈していました。
 それは、あたかも、王と臣下との区別を無くして、上下関係を混同させているよ
うなものです。
 従って、仏法の真義は、未だに、顕われることなく、それらの諸師は、『愚痴』
の過失を犯していました。

 一方、天台大師御出世以後の諸宗においては、小衍相対(小乗経と大乗経との相
対)の経々(華厳経・大集経・般若経・大日経・深密経等の諸経)を以て、権実相
対(『権経・実経』→『仮の教え・真実の教え』→『爾前経・法華経』との相対)
を定めていました。
 これは、天台大師の智慧を盗んだものであります。
 あたかも、太陽や月に背いて、灯火に向かったり、小さな丘や塚を、華山(素晴
らしい山)に比べたりするような行為です。

 仏(釈尊)が『十八界』(注、六識→眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識、六根→
眼・耳・鼻・舌・身・意、六境→色・声・香・味・触・法、以上で十八界。)をお説
きになられると、修羅は、これに対抗して、『十九界』を唱え出しています。

 また、天台大師が『四智』(注、仏が具えられている四種の智慧のこと。大円鏡智
・平等性智・妙観察智・成所作智。)をお説きになられると、真言宗では、『五智』
を唱え始めました。

 そして、天台大師が『九識・十識』(注、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・
末那識・阿頼耶識・阿摩羅識の九識。十識は、九識に、一切一心識が加わっている。)
をお説きになられると、真言宗では、『十識・十一識』を唱え始めました。

 ところが、天台宗の学者は、これらの邪義に誑惑(誑かす・惑わす)されて、「そ
れらの法門は、悉く、実義である。」と、思ってしまいました。
 そして、「法華経は、釈尊の所説であるため、民の万言のようなものである。大
日経は、天子(大日如来)の鳳文(大切な文)であるため、王の一言のようなものであ
る。」等と、云っています。

 一方、善無畏三蔵は、事を天竺(インド)に寄せて、「法華経と大日経は、『理』
が同じである。しかし、『印』と『真言』があるため、大日経の方が『事』におい
て、勝っている。」という法義を立てた事が、第一の妄言であります。

 日蓮は、論師や人師の添言(付け加えた言葉)を捨てて、専ら経文だけを勘えてみ
ると、大日経一部六巻(三十一品)並びに供養念誦三昧耶法門一巻(五品)を見聞
すれば、『声聞乗・縁覚乗・大乗の菩薩乗・仏乗』の『四乗』が説かれています。

 その中の『大乗の菩薩乗』とは、三蔵教(小乗教)における、『三阿僧祇劫の期
間を修行する菩薩』のことであります。
 そして、『仏乗』とは、『実大乗』(注、実大乗とは、権大乗経→仮の教えの大
乗経のこと。)になります。

 それ故に、大日経は、法華経にも及ばない上に、華厳経・般若経にも劣り、ただ、
阿含部の小乗経や方等部の権大乗経と、同程度の教えであります。
 従って、大日経の極理(根本的な法理)は、未だに、天台宗で説かれる別教(華
厳経)・通教(般若経等の権大乗経)の極理(根本的な法理)にも及ばないのです。

 弘法大師は、延暦二十三年(804年)に入唐して(唐の時代の中国に渡って)、
大同二年(807年)に帰朝して(日本に戻って)います。

 唐(中国)に渡っていた三箇年の間、弘法大師は慧果和尚に会って、真言の秘教
を学習しています。
 その後、帰朝して(日本に戻って)から、『十住心論』『顕密二教論』を著して、
世間に流布させました。

 それらの著書の中で、釈迦牟尼仏(釈迦如来)と大日仏(大日如来)の『二仏』
が説かれた教えの勝劣を、弘法大師が定めています。
 弘法大師の主張の要旨は、「第一・大日経、第二・華厳経、第三・法華経。浅い
教えから、深い教えへ至るように、衆生を教化された。」ということです。

 しかし、「華厳経が法華経に勝っている。」という法義は、中国の南北朝時代に、
南三・北七の諸宗派の者どもが説いたものです。
 それを、弘法大師が援用しています。また、華厳宗の法義でもあります。

 結局、南三・北七の諸宗派の者ども、並びに、弘法大師は、無量義経・法華経・
涅槃経の三経の存在を見ていない故に、『愚人』であります。

 仏(釈尊)は、既に、明確に、華厳経と無量義経との勝劣を、お説きになられて
います。
 何故に、聖言(仏の御言葉)を捨てて、南三・北七の諸宗派の者どもの凡謬(凡
庸で間違った考え)に付こうとするのでしょうか。
 
 近き(時代的に近い、南三・北七の諸宗派の解釈)を以て、遠き(時代的に遠い、
仏の御言葉)を察するために、弘法大師は、華厳経と法華経との勝劣と同様に、大
日経と法華経との勝劣についても、無知なのであります。

 大日経には、「四十余年・未顕真実」(注、釈尊が法華経を説かれる以前の四十
余年間は、未だ、真実を顕されていないこと。)と、無量義経で仰せになっている
ような経文がありません。

 また、『已今当の三説』(注、已説→爾前経、今説→無量義経、当説→涅槃経。
法華経は、それらの全ての経典に超過していること。)に関する言及もありません。

 そして、『二乗作仏』(注、法華経迹門において、声聞・縁覚の二乗が成仏され
たこと。)の義もなければ、『久遠実成』(注、法華経本門において、釈尊が、五
百塵点劫の久遠の昔において、既に、仏であった事を説き顕されたこと。)の義も
ありません。

 法華経と大日経との勝劣を論ずるならば、あたかも、『民と王』や『石と珠』の
如く、勝劣や上下関係は、明確であります。

 しかも、安然和尚(注、日本天台宗の密教化を進めた学僧)が、ほぼ、上記と同
様の見解を顕しています。
 しかしながら、安然和尚は、華厳経と法華経との勝劣に関して、大体、明確にな
っていましたけれども、法華経と大日経との勝劣については暗かった(暗愚・無知
であった)ため、まるで、『闇と漆』のように、識別が付いていない状態でした。

 慈覚大師は、本来、伝教大師から、法門をお受けになっていた方です。
 ところが、慈覚大師は、『本』(法華経を説かれた、本師の伝教大師)を捨てて、
『末』(大日経を説いた、些末な真言師)に付いてしまいました。

 そして、慈覚大師が唐(中国)へ渡っている間、真言家の人々から誑惑(誑かす
・惑わす)されて、他の入唐者(唐への渡航者)と同様に、「大日経と法華経とは、
『理』が同じである。しかし、『事』において、大日経が勝っている。」と、云う
ようになりました。

 慈覚大師の見解は、一見、賢いようでありますが、単に、善無畏三蔵の僻見(誤
った考え)の域を出ていないだけであります。
  
 そこで、日蓮は、末代(末法の時代)に生まれて、大方、これらの義(弘法・安然
・慈覚等の見解)を疑っていました。

 私(日蓮大聖人)は、遠き(時代的に遠い、仏の御言葉)を尊んで、近き(時代的
に近い、真言師の見解)を賎しんでいます。
 また、亡くなった方々(天台大師・伝教大師等)の功績を上げて(賞賛して)、生
きている方々(日蓮大聖人御在世当時の諸宗の学者)の見解を下して(破折して)い
ます。
 故に、当世の学者(日蓮大聖人御在世当時の諸宗の学者)等は、私(日蓮大聖人)
の主張を用いないのです。

 たとえ、堅く、三帰(仏・法・僧の三宝への帰依)、五戒(不殺生戒・不偸盗戒・
不邪婬戒・不妄語戒・不飲酒戒)、十善戒(殺生・偸盗・邪婬・妄語・綺語・悪口・
両舌・貪欲・瞋恚・愚癡の十悪を禁じた戒)、二百五十戒(小乗教を修行する比丘→
男僧が受持すべき戒)、五百戒(小乗教を修行する比丘尼→女尼が受持すべき戒)、
十無尽戒(大乗教を修業する菩薩が受持すべき十重禁戒)等の諸の戒律を持っている
比丘(男僧)・比丘尼(女尼)等であっても、『愚痴』の過失に依って、小乗経を大
乗経と思ったり、権大乗経(仮の教えの大乗経→爾前経)を実大乗経(実の教えの大
乗経→法華経)として執着するような謬義(誤った法義)が出来しています。

 彼等は、大妄語・大殺生・大偸盜等の罪を犯した、『大逆罪の者』であります。
 ところが、愚人は、その実態を知らないため、彼等を、『智者』として、尊んでい
ます。

 たとえ、世間の諸の戒を破った者であったとしても、堅く、『大乗経と小乗経』や
『権経(爾前経)と実経(法華経)』等の勝劣を弁えていれば、「世間の破戒は、仏
法の持戒。」ということになります。

 涅槃経においては、「戒において、緩んでいる者を、名付けて、『緩』(怠け者)
とはしない。乗(仏の教え)において、緩んでいる者を、名付けて、『緩』(怠け者)
とする。」等と、仰せになられています。

 法華経見宝塔品第十一においては、「この経(法華経)を持つ者を、『持戒』と名
付ける。」等と、仰せになられています。

 長文である故に、この辺りで、止めておきます。
 詳細な事々は、霊山浄土(釈尊が法華経をお説きになられた、霊鷲山の仏国土)を
期して、お伝えしましょう。

 恐々謹言

 建治元年(1274年)七月二日                日蓮 花押 

 大学三郎殿 



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