大学三郎殿御書の「あとがき」


■あとがき

 本日は、『大学三郎殿御書(大学殿事)』を配信します。 

 この御書の対告衆は、先日まで配信していた『月水御書』の対告衆→『大学三郎殿
御内』の御主人である、『大学三郎殿』です。(回りくどい言い方ですね。 笑)

 『大学三郎殿御書(大学殿事)』の御真蹟は、『断簡』として、石川県羽昨市の妙
成寺に現存しています。
 上記御書の前文と後文の所在は、不明です。

 『大学三郎殿御書(大学殿事)』の断簡には、『第十九』の丁付が付けられていま
す。
 そのため、相当、長い御書の一部が、上記御書として残っているものと拝察されま
す。

 筆者としては、こういう御書を訳すのが、最も難儀なんです。 (笑)

 御書の対告衆が置かれた状況や人物像がわからないと、『隔靴掻痒』みたいな訳文
になってしまうんですね。
 ましてや、『大学三郎殿御書(大学殿事)』のように、前文と後文が欠けた『断簡』
を訳すのは・・・。

 けれども、「大学三郎殿の知られざる一面を御紹介したい。」と考えたため、誤訳
を恐れずに、『背景と大意』を推察しながら、訳文を配信することにしました。

 さて、『月水御書』の『あとがき』でも申し上げておりますが、『大学三郎殿』の
正式なお名前は、『比企大学三郎能本』と云います。
 姓が『比企』・諱が『能本』となります。

 大学三郎殿は、京都で儒学を習学されてから、順徳天皇に仕えて、恩寵を受けられ
ます。
 一説によると、『大学三郎殿』は、流罪された順徳天皇の後を追って、佐渡に出向
かれたことが伝えられています。
 その後、儒官として、大学三郎殿は、鎌倉幕府に仕えられたようです。

 『比企大学三郎能本』殿には、『大学』という尊称が付いていることからも伺われ
るように、相当の学識者であり、能筆家であり、身分の高い方だったのでしょう。

 それを裏付けるように、日蓮大聖人は、『月水御書』においても、『大学三郎殿御
書(大学殿事)』においても、極めて、丁重なお言葉遣いをなされています。

 実際、日蓮大聖人が『立正安国論』を北条時頼殿へ御提出される際には、大学三郎
殿へ『立正安国論』をお見せになられて、事前に、“チェック”を受けられています。

 そういう経緯があるためか、日蓮大聖人は、大学三郎殿に対して、「師でもあり、
弟子でもあり、檀那でもある。(主意)」と、仰せになられています。

 『主・師・親の三徳』を具備なされた、末法の御本仏・日蓮大聖人から、如何に、
御謙遜とは雖も、『師』として仰がれていたんですね、大学三郎殿は。

 寡聞のため、筆者は、今回、訳文を作成する際に、初めて、この事実を知りました。

 その他にも、『龍口の法難』に際して、大学三郎殿が四条金吾殿等と一緒に、日蓮
大聖人の御難の御供をされたことが、この短い御書から伺われます。

 なお、上記御書の『城殿』『城介殿』とは、『安達泰盛殿』のことです。
 安達泰盛殿が『城殿』『城介殿』と呼ばれていたのは、『秋田城介』であったから
です。

 『秋田城介』とは、安達泰盛殿が『実際の秋田城主』だったからではなく、当時の
武士たちから、『秋田城介→武門の名誉称号』として用いられていた故に、そう呼ば
れていました。

 現代風に言うと、『秋田城介』の安達泰盛殿は、『武士の中の武士』と云ったとこ
ろでしょうか。
 その『武士の中の武士』の安達泰盛殿から、一目置かれていたことからも、大学三
郎殿が、単なる、脆弱なインテリではなかったことが伺われます。

 そして、安達泰盛殿と云えば、『聖人御難事』において、「一定として平等も城等
もいかりて、此の一門をさんざんとなす事も出来せば、眼をひさいで観念せよ。(原
文)→必ずや、平左衛門尉頼綱や安達泰盛の一味が怒って、私(日蓮大聖人)の一門
を、散々と迫害することも起こるでしょう。その時には、眼を閉じて、観念しなさい。
(訳文)」と仰せの御金言が残っています。

 そのため、不勉強な筆者は、安達泰盛殿のことを、てっきり、『完全な悪役』と思い
込んでいました。
 ところが、安達泰盛殿は、上記御書によると、日蓮大聖人に、『祈り(御祈念)』
を依頼されていたようです。
 日蓮大聖人は、その申し出を、お断りになられたようですが。

 「上記御書の前文と後文が、後年、発見されれば、安達泰盛殿からの『祈り(御祈
念)』の依頼内容だけでなく、『熱原法難』に関する、新たな真相が発見されるかも
知れない。」と、筆者は考えています。

 その他、日蓮大聖人と大学三郎殿との関係性が拝察される御書を、『参考文献』と
して、提示させて頂きました。

 『四条金吾殿御返事』(八風抄)においては、苦境に立たされていた四条金吾殿の
『陳状』の清書を、「大学三郎殿・滝の太郎殿・富木常忍殿のいずれかに、依頼する
ようにしなさい。(主意)」と、日蓮大聖人が御指示をお出しになられています。

 そして、『四条金吾殿御返事』(為法華経不可惜所領事)においては、日蓮大聖人
が御祈念をなされて、大学三郎殿や池上兄弟に訴訟を止めさせた結果、祈りが叶った
事がお述べになられています。

 やはり、何でもかんでも、裁判を起こせば、いいってもんじゃないんですね。 (笑)

 どっかの坊さんみたいに、「シアトルで売春婦を買った、買わない。」なんて、し
ょーもない理由で、マトモな証拠もないくせに、20億円以上もの法外な損害賠償の
訴訟を起こしてはいけないんです。

 それは、裁判提起のための印紙代(数百万円)と弁護士費用の無駄遣い以外の何物
でもありません。
 阿部日顕さんが赤っ恥をかいたのは、所詮、『自業自得』ですが、前記費用は、信
徒からの『御供養』に基づくものです・・・。 

 それは、さておき、『吾妻鏡』に記されている、『比企氏』一族の命運等々、まだ
まだ、申し上げたいことは、山ほどあるのですが、ここら辺で止めておきます。 (笑)

 英邁なる知性と強情なる信仰を兼ね揃えられた大学三郎殿のことを、筆者は、心よ
り、尊敬申し上げております。

 大学三郎殿の御功績を伝えたくて、長い駄文を綴ってしまいました。どうか、御寛
恕ください。  了




■あとがき

 本日からの“ウィークエンド・バージョン”は、『大学三郎殿御書』を配信しま
す。 

 この御書の対告衆は、『大学三郎殿』→『比企大学三郎能本殿』です。
 そして、『大学三郎殿御書』の御真蹟は、松戸市の本土寺に現存しています。

 なお、松戸市のホームページに、『大学三郎殿御書』の末文の御真蹟が掲載され
ています。 了
http://www.city.matsudo.chiba.jp/index/profile/sanpo/bunkazai-map/kuni2.html



 
■あとがき

 昨日は、大桃美代子さんのツィッター騒動を取り上げました。
 そこで、今日は、“sengoku38”の「YOUTUBE投稿事件」に関す
る『あとがき』を。

 もし、筆者が、“sengoku38”の立場だったら・・・。

 マンガ喫茶から、YOUTUBEに投稿するようなことはしません。
 そして、CNNの日本支社に、NSBメモリーを送りつけるようなこともしませ
ん。

 筆者なら、ウィキリークスに、データを送信していますね。
 そうした方が、ニュース・ソースも秘匿してくれますし、確実に、世界中へ映像
を配信してくれるでしょうから。
 アメリカ空軍の兵士がイラクの民間人を虐殺していた映像と、同様の扱いで。

 「“sengoku38”は、マンガ喫茶に監視カメラが備え付けられていたり、
YOUTUBEを運営するGOOGLEの日本支社が捜査に協力することまで、思
いが至らなかったのではないか。」と、筆者は考えています。

 そして、バレてしまった以上は、どっちみち、海上保安庁でのキャリアを失うこ
とになるのですから、“再就職”を有利に運ぶためにも、実名での記者会見を開い
て、堂々と、自らの所見を訴えるようにするでしょう。
 いつも、損得勘定を念頭に置いている筆者だったら、間違いなく、そうしていま
す。 (笑)

 無法者を丸腰に近い状態で取り締まっている海上保安庁の現場と、弱腰で無能な
菅・仙谷政権のダメさ加減と、逮捕権を有した国家権力の一員としての秩序の間で、
“sengoku38”は煩悶されたことでしょう。

 けれども、最終的には、『懲戒免職』にならずに、『停職→自主退職』(注、こ
れなら、“退職金”が出ます。過日、自主的に還俗されて、著書を出版された某元
僧侶も、このコースですね。 笑)になったのですから、“迷走”はあったものの、
“着地点”としては、妥当だったのではないでしょうか・・・。

 かつて、ニクソン大統領が失脚したウォーターゲート事件においては、ワシント
ンポスト誌の二名の記者に情報を提供していた、“ディープ・スロート”(ちょっ
と、Hなスラングです。 笑)がいました。

 この事件は、『大統領の陰謀』という題名で映画化されて、ワシントンポスト誌
の二名の記者の役を、ダスティン=ホフマンとロバート=レッドフォードが務めて
いました。

 感受性の強かった十代の頃、この映画を見た筆者は、「何だか、いけないモノを
見てしまった・・・。」という感想を持ったものです。 (笑)
 
 そして、そのワシントンポストの記者の一人が、後にコラムニストとして有名に
なった、ボブ=ウッドワードだったんですね。
 この方のコラムが、結構、好きだったので、何作か読んだのですが。

 そして、21世紀に入ってから、マーク=フェルトと云うFBIの副長官だった
方が、“ディープ・スロート”の内部告発者であったことを明かされた後に、ボブ
=ウッドワードは、『ディープ・スロート 大統領を葬った男』という著書を出版
されます・・・。

 先日の大桃美代子さんのツィッター騒動と同様に、ネットを通して、『秘密の暴
露』がお手軽に出来るようになった分だけ、“sengoku38”と“ディープ
・スロート”を比べると、若干、劇的な展開に欠けてしまうのは、致し方ないので
しょうか。 了




■あとがき

 本日配信分の御金言は、参考文献として提示させて頂いた、『佐渡御書』の末文
に似ています。

 昨日配信させて頂いた、「日月に背いて灯シュに向かひ、丘塚を華恒に比する是
なり。」と仰せの御金言と合わせて、御参考になさってください。

 『佐渡御書』の御真蹟や古写本が発見されていないこと等の理由によって、一部
の研究者からは、『偽書』の疑いが出ています。

 しかし、筆者は、「『佐渡御書』と『大学三郎殿御書』には、御表現の類似性が
見受けられる。また、『佐渡御書』全体の論旨から鑑みても、間違いなく、『真書』
であろう。」と、考えています。

 以前の『あとがき』でも申し上げておりますが、「御執筆時期から見ても、内容
的に見ても、人本尊開顕の書・『開目抄』のダイジェスト版が『佐渡御書』、法本
尊開顕の書・『観心本尊抄』のダイジェスト版が『諸法実相抄』に該当するのでは
ないか。」と、認識しています。

 明日からの平日は、『撰時抄』を配信します。 了




■あとがき

 新年明けまして、おめでとうございます。本年も、宜しく、お願い申し上げます。


     【 浜までは 海女も蓑着る 時雨かな 】 ― 滝瓢水 ―

 
 発熱していたため、昨晩は、ずっと寝ていました。そして、午後11時55分に、
目が覚めました。

 テレビを点けると、渋谷のオーチャード・ホールで開催されていた、ジルヴェス
ター・コンサートの生中継が映っていました。

 曲目は、マーラーの交響曲第二番、『復活』。
 指揮者は、“炎のコバケン”こと小林研一郎さんでした。

 午前0時の2分前になると、テレビ画面に、時計が表示されて、刻一刻と針が進
み始めました。

 そのため、筆者は、「今、『復活』の第5楽章のここら辺だと、もしかしたら、
エンディングが午前0時を過ぎるのではないか。」と、ハラハラしながら、テレビ
を見ていました。

 しかし、そこは、プロの指揮者である、“炎のコバケン”さん。
 午前0時ジャストに、演奏を終わらせた瞬間、テープと紙吹雪が舞いました・・・。

 年明けを迎えた、オーチャード・ホールの観衆は、総立ちでした。
 けれども、筆者は、何せ、終了4~5分前から聴いていたので、その拍手が、演
奏本来の素晴らしさによるものか、午前0時に演奏を終わらせた名人芸によるもの
か、今一つわからずに、微妙な新年を迎えました。 (笑)

 ちなみに、渋谷の東急百貨店本店に併設されているオーチャード・ホールは、阿
部日顕さんが推定総額20億円以上の巨費を投じた『松濤の大豪邸』と、目と鼻の
先にあります。

 『戒壇の大御本尊と不二の尊体』がお住まいになっている、松濤の超高級住宅街
の“向こう三軒両隣”には、某有名旅行会社の社長宅や東京都知事の公邸もござい
ます。

 『信徒からの御供養の私物化』を実体験されたい方は、渋谷でのウィンドーショ
ッピングのついでに、どうぞ、足をお運びください。

 現在は、『阿部』から『早瀬』に、『表札』が変わっているようですが。 (笑)


      【 松濤や 少欲知足に ぼけの花 】 - 筆者作 -


 果たして、金正日の顔によく似た“俗物坊主”は、いつまで、“吾が世の春”を
満喫することが出来るのでしょうか。 了




■あとがき

 昨日の元旦は、発熱していたため、午後2時頃、ニューイヤー駅伝のゴールシー
ンを見た後に、寝てしまいました。

 目が覚めると、もう、午後8時前。 (笑)
 ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの中継が始まっていました。

 今年のニューイヤー・コンサートの指揮者は、フランツ=ウェルザー=メストで
した。
 昨年、この方は、小澤征爾さんも務められていた、ウィーン国立歌劇場音楽監督
に就任されています。

 ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任されるということは、サッカーで譬えると、
ブラジルやスペイン等の超強豪国の代表監督になるか、もしくは、それ以上の名誉
なんですけど、やはり、残念ながら、日本では、あまり知られていません。 (笑)

 年末のテレビの再放送で、フランツ=ウェルザー=メストが10数年前にロンド
ン・フィルを率いて、ベートーヴェンの『田園』『運命』を指揮している番組を見
ました。

 おそらく、その頃、フランツ=ウェルザー=メストは三十代後半だったのでしょ
うが、見るからに、気難しそうな印象を受けました。

 ところが、昨日のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでは、朗らかで、
和やかな笑顔を見せていました。演奏からも、エレガントな印象を受けました。

 気難しそうなお兄さんから、シブいナイスミドルへ、変貌したってことですね。
 是非、筆者も、あやかりたいものです・・・。 (笑)

 毎年、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでは、“シメ”の二曲に、
「美しき碧きドナウ」「ラデツキー行進曲」が用いられます。

 そして、「美しき碧きドナウ」の曲に合わせて、バレエが踊られるのですが、昨
日のバレエダンサーは、男女四組のうち、男性1人と女性2人が東洋系の顔立ちを
していました。

 世界の二大オーケストラと云われる、ベルリン・フィルとウィーン・フィルを比
較すると、巷間、ベルリン・フィルが『多国籍編成で進歩的』、ウィーン・フィル
が『保守的な団員編成』と云われています。

 そういう状況下であっても、東洋人が活躍している姿を見ると、筆者は、とても
嬉しく思いました・・・。

 ところで、ウィーン国立歌劇場音楽監督と云えば、昨日の『あとがき』で御紹介
した、あのグスタフ=マーラーも、その任を務めていたことがあったんですね。

 若い頃、筆者は、おどろおどろしくて、マーラーの交響曲が好きになれなかった
のですが、今では、特に、交響曲第二番の『復活』(その次に、交響曲第五番)が
お気に入りです。
 それだけ、筆者が、おどろおどろしくなったのでしょうか。 (笑)

 マーラーの交響曲第二番『復活』をYOUTUBEで検索すると、大好きなサイ
モン=ラトル率いるベルリン・フィルの演奏や、小澤征爾さんが率いるサイトウ・
キネン・オーケストラの演奏が見つかりました。

 それぞれ、本当に素晴らしい演奏なのですが、更に、筆者が御紹介したいのは、
レナード=バーンスタインが指揮をしているロンドン・フィルの演奏です。
 曲目も、合唱の歌詞の内容も、深くて、魂が震えます。是非、御覧になってくだ
さい。
http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg

 マーラーの交響曲第二番『復活』は、たしか、1時間半ぐらいの長さ(記憶違い
なら、ゴメンナサイ。)があります。
 この映像の辺りから、ちょうど、クライマックスを迎えます。

 ソプラノとアルトの独唱も、合唱も、演奏も素晴らしい。
 そして、何より、指揮をするレナード=バーンスタインが燃えに燃えている。
 “炎のコバケン”よりも、燃えています。 (笑)

 『ウェストサイド・ストーリー』の映画音楽でも知られている、レナード=バー
ンスタイン(ホモ・セクシュアルでも知られています。 笑)は、ユダヤ人として
生まれています。

 同じユダヤ人として生まれて、差別と偏見を耐え抜いたグスタフ=マーラーに、
強い共感を抱いていたのでしょう。

 咆哮するレナード=バーンスタインの姿から、“Auferstehn!”=「復
活せよ!」のメッセージが伝わってきます・・・。

 何だか、新年の『あとがき』は、“復活祭り”になってしまいましたね。 (笑)

 『第二の法華経の行者』を詐称する池田大作さんと、『戒壇の大御本尊と不二の
尊体』を詐称する阿部日顕さんと、『斯人行世間』を詐称する浅井昭衛さんという、
“なんちゃって御本仏・三大勘違い男”によって、滅茶苦茶になってしまった『富
士門流』の「復活」を祈念するためにも、『あとがき』でマーラーの交響曲第二番
の『復活』を取り上げました。 

 “Auferstehn!”=「復活せよ!」 了




■あとがき

 本日の御書においても、本師・伝教大師の教えに背いて、『日本天台宗の真言化』
を促進した、比叡山第三代座主・慈覚に対する破折がお記しになられています。

 本師・日蓮大聖人の教えに背いて、『日蓮正宗の日顕化→法主(日顕)本仏論』
を促進した、総本山第六十七世貫首・阿部日顕さんに対する破折を、筆者が行って
いることに関して、「あなたの仰っていることは、正論です。だけど、僧侶の立場
で、それを言えば、即刻、クビになるんです。私には、あなたのような勇気がない
から、沈黙を守るしかないんです。」と、以前、宗門の某寺の現役御住職が語って
いました。 (笑)

 こういう“腰ぬけ坊主”が、間接的に、『戒壇の大御本尊と不二の尊体』を支え
ているかと思うと、誠に、情けない限りです・・・。

 本日、与謝野晶子さんの『君死にたまふことなかれ』を、再読する機会がありま
した。
 『七五調』の素晴らしい名文です。心に染みる内容でした。下記に、転載します。

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 『君死にたまふことなかれ』 - 旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて -
  
あゝをとうと(弟)よ、君を泣く、
 君死にたまふことなかれ、
 末に生れし君なれば
 親のなさけはまさりしも、
 親は刃をにぎらせて
 人を殺せとをしへしや、
 人を殺して死ねよとて
 二十四までをそだてしや。

 堺の街のあきびとの
 老舗をほこるあるじにて
 親の名を継ぐ君なれば、
 君死にたまふことなかれ、
 旅順の城はほろぶとも、
 ほろびずとても、何事ぞ、
 君は知らじな、あきびとの
 家のおきてに無かりけり。

 君死にたまふことなかれ、
 すめらみこと(皇尊)は、戦ひに
 おほみづからは出でまさね、
 かたみに人の血を流し、
 獣の道に死ねよとは、
 死ぬるを人のほまれとは、
 大みこゝろの深ければ
 もとよりいかで思されむ。

 あゝをとうと(弟)よ、戦ひに
 君死にたまふことなかれ、
 すぎにし秋を父ぎみに
 おくれたまへる母ぎみは、
 なげきの中に、いたましく
 わが子を召され、家を守り、
 安しと聞ける大御代も
 母のしら髮はまさりぬる。

 暖簾のかげに伏して泣く
 あえかにわかき新妻を、
 君わするるや、思へるや、
 十月も添はでわかれたる
 少女ごころを思ひみよ、
 この世ひとりの君ならで
 あゝまた誰をたのむべき、
 君死にたまふことなかれ。

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 与謝野晶子さんが『君死にたまふことなかれ』を発表されたのは、明治37年で
す。
 彼女の『抵抗の精神』に比べたら、筆者は、まだまだ、ひよっ子みたいなもので
す。 (笑)

 内心、阿部日顕さんの横暴さに憤りを憶えている御僧侶は、さぞかし、多いこと
でしょう。
 しかし、『沈黙』を守るだけで、『行動』に移せない御仁は、是非とも、与謝野
晶子さんの爪の垢を煎じて、飲んで頂きたい・・・。 

 生涯、五万首以上の歌を詠まれた与謝野晶子さんは、『源氏物語』の現代語訳も
完成・出版されています。
 その点においても、筆者は、まだまだ、ひよっ子ですね。 了 



■あとがき

 『大学三郎殿御書』は、今回をもちまして、終了しました。
 次回の“ウィークエンド・バージョン”は、『一谷入道女房殿御書』を連載します。

 本日から、大相撲初場所が始まりました。
 天皇・皇后両陛下の御来場を頂いて、新年の寿いだ雰囲気が伝わってきました・・・。

 筆者は、元々、こげ茶色が好きなので、尚更、こげ茶色のまわしを締めている、横
綱・白鵬関が好きです。 (笑)

 白鵬関が土俵入りで見せる“せり上がり”の迫力や、“足腰の割れ”がもたらす出
足の鋭さ。
 四股・摺り足等の『基本』を、日々、積み重ねている賜物でしょう。 了



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