月水御書の「あとがき」


■あとがき

 4日ほど、連載を休ませて頂きました。ご了承ください。
 本日より、”ウィークエンド・バージョン”においては、『月水御書』の連載を
行います。

 『月水御書』の対告衆は、「大学三郎殿の奥様」になります。
 そして、『月水御書』の「月水」とは、「女性の生理」のことです。

 『月水御書』の「背景と大意」につきましては、後日の”あとがき”に記します。
 明日・月曜日からは、再び、『撰時抄』を配信致します。 了



■あとがき

 『月水御書』の対告衆は、『大学三郎殿の奥様』です。
 その御主人の『大学三郎殿』の正式なお名前は、『比企大学三郎能本』と云いま
す。姓が『比企』・諱が『能本』となります。

 『大学三郎殿』は、京都で儒学を習学されてから、順徳天皇に仕えて、恩寵を受
けられます。
 その後の詳しい経緯は不明ですが、『大学三郎殿』は、儒官として、鎌倉幕府に
登用されるようになります。

 文応元年(1260年)、日蓮大聖人が『立正安国論』を北条時頼殿へ御提出さ
れる際には、事前に、『大学三郎殿』へ『立正安国論』をお見せになられています。
 これが起縁となって、『大学三郎殿』は、奥様と共に、日蓮大聖人へ御帰依され
ます。

 『立正安国論』を御提出されたこと等によって、日蓮大聖人は、弘長元年(12
61年)から弘長三年(1263年)まで、伊豆へ御配流されています。
 そして、弘長三年(1263年)二月二十二日に、御赦免を受けられて、鎌倉へ
お戻りになられます。

 『月水御書』は、その翌年の文永元年(1264年)四月十七日に、鎌倉におい
て、お認めになられた御書です。

 そして、日蓮大聖人が『月水御書』をお認めになられる以前に、『大学三郎殿の
奥様』は、概略、下記の御質問の書状を出されています。

 「質問一、法華経一部(二十八品)読誦と、法華経一品(薬王品)読誦。何れを
用いるべきか。」

 「質問二、月水(月経)時における修行は、如何にあるべきか。」
 
 それに対して、日蓮大聖人は、概略、このような御返答をなされます。

 「返答一、法華経二十八品の中でも、『方便品』と『寿量品』が大事である。こ
の両品を読むならば、余品の功徳は、自然に具わる。」

 「返答二、日本においては、古来より、月水(月経)を嫌う風習がある。しかし、
月水(月経)を忌む経論は、何処にも存在しない。」

 その上で、日蓮大聖人は、『南無妙法蓮華経』と唱題されることの重要性を、『大
学三郎殿の奥様』へお伝えになられて、この御書を結ばれています。
 
 翻って、今日においても、富士門流の仏道修行(勤行)では、「正行」として、
『南無妙法蓮華経』の題目を唱え、「助行」として、法華経の方便品・寿量品を読
誦しています。
 そして、『月水御書』の御金言が、その形態を採っている根拠の一つとなってい
ます・・・。

 明日からの平日は、再び、『撰時抄』の配信を行います。  了




■あとがき

 昨日(10月8日)の『アルゼンチン対日本戦』のサッカーは、素晴らしかった
ですね。 

 つい、この間まで、日本が強豪国と対戦する際には、「徹底的に守りを固めて、
カウンターでワンチャンスをモノにする。」という戦術しか取れなかったのに・・・。

 昨日(10月8日)の日本代表は、ベストメンバーのアルゼンチンを相手にして
も、怯むことなく、堂々とした試合運びをしていました。
 勝ち負けも大切ですけど、長年、日本代表のサッカーを見続けてきた筆者は、そ
の事を、より嬉しく思いました。

 「少しずつであっても、時代は、確実に、変わっていくんだなぁ。」と、実感し
ています。 了




■あとがき

 日本列島の近海を、本日、大型台風が通過しています。大きな被害が発生しないこ
とを祈念致します。

 さて、富士門流においては、古来より、法華経方便品・寿量品の読経を『助行』、
南無妙法蓮華経の唱題を『正行』としています。
 その根拠の一つとして、上記の『月水御書』の御聖訓が挙げられています。 了



■あとがき

 都合により、二日間、連載を休ませて頂きました。ご了承ください。

 『月水御書』の結文には、「又南無一乗妙典と唱へさせ給ふ事、是同じ事には侍れ
ども、天親菩薩・天台大師等の唱へさせ給ひ候しが如く、只南無妙法蓮華経と唱へさ
せ給ふべきか。」と、仰せになられています。

 読者の皆様におかれましては、くれぐれも、『南無一乗妙典』と唱える事のないよ
うに、御留意ください。ただ、『南無妙法蓮華経』と、お唱えください。 (笑)

 明日からの平日は、『撰時抄』を配信します。 了




■あとがき

 上記御金言の訳文を作成する際に、「アレ?五辛って、ニラとネギとニンニクと、
後は、何だっけ?」と思い当たって、下調べをしました。

 その結果・・・。

 『生臭坊主』ならぬ『生臭信者』の筆者は、五辛(ニラ・ラッキョウ・ネギ・ニン
ニク・ハジカミ)のすべてが大好きです。 (笑)

 アツアツのレバニラ炒めも、カレーに添えたラッキョウも、うどんに多めのネギも、
ニンニクの効いた餃子も、根つき生姜のハジカミも・・・。

 ちなみに、「ハジカミは、サンショウの古来名でもある。」という文献もありまし
た。ならば、鰻に、山椒も。 (笑)

 御仏前に端座する直前は、五辛を控えた方がいいかも知れません。
 しかし、日々の生活においては、五辛の摂取を、あまり、気にすることはないでし
ょう。

 「かえって、適量の五辛を食しながら、仕事や勉強等に対して、元気に活動してい
く方が、御本仏・日蓮大聖人の御心に適うのではないか。」と、『生臭信者』は考え
ています。 了



■あとがき

 志村けんさんの『バカ殿』のコントで、優香さん扮する御姫様に対して、「苦しゅう
ない。苦しゅうない~ぞ。近こぅ、寄れ。」という、『御約束』のシーンがあるじゃな
いですか。 (笑)

 上記御金言の『但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か。』を訳する際に、
筆者は、そのシーンを思い出しました・・・。

 『但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か。』の文章を、直訳に近い形で
訳すと、「ただし、女人の(生理の)日々の所作(仏道修行)は、苦しいものではない、
と、お考えになっているのでしょうか。」ということになります。

 しかし、日本の古文においては、複数の文章に、同一の『主語』が跨る形態がありま
す。

 そのため、筆者は、「上記御金言の文章においても、『主語』は、『女人の日の所作』
ではなく、その二行前の文章の『此の国の明神』であろう。」
と、考えました。

 そう考えると、『但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か。』→「ただし、
女人の(生理の)日々の所作(仏道修行)は、苦しいものではない、と、お考えになっ
ているのでしょうか。」と、大学三郎殿の奥様のお気持ちを忖度されているのではなく、
「女人の(生理の)日々の所作(仏道修行)は、苦しいものではない。(結構なことで
ある。)」と、この国(日本国)の明神のお立場を、日蓮大聖人が御推測なされている
ように拝しました。


 そして、「それ故に、『但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か。』の文
末において、『質問・推量』の助詞である、『か』が付いているのではないか。そして、
日蓮大聖人の『質問・推量』の対象は、『此の国の明神』ではないか。」
と、筆者は判
断しました。

 ならば、『此の国の明神』のお立場(志村けんさんの『バカ殿』のお立場? 笑)に
立つと、『苦しゅうない。苦しゅうない。(結構なことである。結構なことである。)』
とイメージしながら、「女人の(生理の)日々の所作(仏道修行)は、苦しいものでは
ない。(結構なことである。)」と意訳した方が、このパラグラフの整合性が取れるの
では・・・。

 所詮、上記の見解は、筆者の仮説であります。

 けれども、「その御書全体の大意を把握して、パラグラフごとの意味を押さえる事に
意義がある。細かい一語一語の訳に拘泥することは、かえって、『木を見て森を見ない』
ことにも繋がって、御本仏日蓮大聖人の御真意から遠ざかる結果を生みかねない。勿論、
可能な限り、御書の直訳を心掛ける事が、大前提ではあるが。」と、考えています。 

 明日は、『撰時抄』を配信します。
 そして、明後日の勤労感謝の日は、『月水御書』の最終回を配信します。 了



■あとがき

 『月水御書』の連載は、今回を以って、終了しました。

 筆者は、「大学三郎殿が、相当、身分の高い方であったため、言葉遣いにおいても、
信仰に対する御指南においても、日蓮大聖人が大学三郎殿の奥様に対して、かなりの御
配慮をなさっている。」と、感じました。

 そして、「我々も、こういう細かい御配慮が出来るようになれば、女性から支持を受
ける→女性からモテるようになるかも?」と、思いました。 (笑)

 ところで・・・。

 本日・11月23日は、総本山59世日亨上人の祥月命日忌であります。

 今日は、日亨上人の『告白』のURLを再掲させて頂きます。
 日亨上人の偉大なる御業績に関しましては、後日、『あとがき』に記します。

 http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/kokuhaku-genbun.html
 http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/kokuhaku-kaisetsu.html

 明日からの平日は、『撰時抄』を配信します。
 そして、今週の土・日曜日から、『大学三郎殿御書』を連載します。 了


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