忘持経事の「あとがき」


■あとがき

 『富木尼御前御書』に続きまして、『忘持経事』を連載させて頂きます。

 『忘持経事』の対告衆は、富木常忍殿。『忘持経事』の御真蹟は、中山法華経寺
に現存しています。

 『富木尼御前御書』の“あとがき”でも申し上げておりますが、富木常忍殿は、
お母様がお亡くなりになられた直後に御遺骨を携えて、下総(千葉県)から身延(山
梨県)の地まで、日蓮大聖人の御許を御訪問されて、追善供養を願い出られます。
 
 そして、富木常忍殿が下総(千葉県)へお帰りになる際に、常々、御所持されて
いた法華経を、そのまま、身延に置き忘れてしまったため、「修行中の弟子に、法
華経の経典を持たせて、下総(千葉県)に派遣させました。」という主旨の御書を、
日蓮大聖人がお書きになられています。
 それが、上記の『忘持経事』の御金言の背景となります。

 しかしながら、決して、富木常忍殿は、“真の忘れん坊”ではありません。
 現に、識字率の低かった鎌倉時代において、ほとんど読みこなす方のいなかった
漢文を、自在に読み書きされていたほどのインテリジェンスを有していた方です。
 あたかも、現代の日本社会において、“英語ペラペラ”の人が珍重されるような
ものでしょう。

 それ故に、富木常忍殿は、日蓮大聖人から、『観心本尊抄』等の教学的にも重要
な御書を、多数賜っています。
 一説には、「幕府関連の書記官のような仕事をしていたのではないか。」とも、
云われています。

 この『忘持経事』は、日蓮大聖人が韻をお踏みになられた上で、格調高い美文体
の漢文を以て、お書きになられています。

 富木常忍殿の奥様にお届けになられた、『富木尼御前御書』の仮名文字混じりの
優しい文体と対比してみるのも、一興でしょう。
 
 そして、富木常忍殿は、日蓮大聖人の立宗宣言から御入滅までの約30年間、一
貫して、外護を申し上げた方でいらっしゃいます。
 在家の方では、おそらく、唯一の人物になるでしょう。

 「日蓮大聖人が富木常忍殿に対して、それだけの信頼関係をお持ちになっていた
からこそ、ユーモアを交えられながら、上記の『忘持経事』の御金言をお認めにな
られたのではないか。」と、筆者は考えています。

 まるで、仲の良い恋人同士が、「もう、ホントに、“忘れん坊さん”なんだから
ぁ。」と、じゃれ合っているようなものかも知れません。   (笑)

 なお、富木常忍殿は、日蓮大聖人が平左衛門尉に対して、“三度目の国家暁諫”
をなされた直後に、身延へ向かう道中において、御支援を要請なされた方でもいら
っしゃいます。
 その詳細は、『富木殿御書』をお読みになってください。  了

http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/tokidono-1-genbun.html
http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/tokidono-1-yakubun.html



■あとがき

 今回連載分の御金言等を拝すると、日蓮大聖人が韻や対句をお用いになられて、御
書をお書きになられていることがわかります。
 そして、対告衆の富木常忍殿も、仏教と漢文の深い知識をお持ちであったことがわ
かります。

 ちなみに、韻や対句が多用されている美文体である『立正安国論』も、御真蹟の『正
本』が、富木常忍殿と御縁の深い中山法華経寺に現存しています。
 
 このような御金言を拝する度に、「どんなに逆立ちしても、どんなに工夫しながら
訳文を作成しても、原文の格調高さには、到底及ばない。」と、筆者は感じています。 了


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