『法華経』に関する「あとがき」


■あとがき

 今から、三十年近く前のことです。

 ある創価学会員の女性の大学教授が、岩本裕氏の『法華経』のサンスクリット語
訳(岩波文庫)を、金科玉条の如く信奉する余り、「だから、鳩摩羅什訳の『妙法
蓮華経』はダメなの。竺法護訳の『正法華経』の方が、まだマシ。だけど、漢訳の
法華経は、全部ダメ。岩本先生のサンスクリット語の訳文に照らし合わせれば、わ
かるでしょ、アンタ!」と、かなりキレ気味に云われた経験(笑)があります。

 筆者は、その女性学者への反論として、「岩本裕氏のサンスクリット語訳では、
『サッダルマ・プンタリカ・スートラ(妙法蓮華経)』が『正しい教えの白蓮』の
訳になっています。ならば、釈尊の究極の教えである法華経の『正しい教え』は、
『白蓮』を形容するものでしかないのですか。それは、仏法の法義や歴史を矮小化
することにならないのですか。岩本氏のサンスクリット語の訳文、特に、法華経の
『題名』→『正しい教えの白蓮』に対しては、かなり、違和感を覚えています。」
と、伝えました。

 ところが、感情の波が大きいタイプの女性学者だった事もあって、筆者の質問に
対する返答が、無礼な言動を叫び散らすだけの個人攻撃に留まったため、「こうい
う人と関わっても、『百害あって、一利なし』だな。距離を置こう。」と思って、
それっきり、お会いしていません。 (笑)

 何分、筆者は、サンスクリット語の素養が全くないため(その女性学者も、全く
サンスクリット語が解らない方だったのですが)、その件に対する問題意識を、長
年、ぼんやりと持ち続けているしか、術がなかったのです。

 ところが、五年前に、在野の仏教学者・植木雅俊氏が、『梵漢和対照・現代語訳・
法華経』を岩波書店から出版された事によって、『長年のぼんやりとした問題意識』
は、『即座に納得』へ転換したんですね。 (笑)
 植木氏の緻密なサンスクリット語の訳文と詳細な解説のおかげです。

 なお、植木氏は、法華経の『題名』(サッダルマ・プンタリカ・スートラ→妙法
蓮華経)を、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」と訳されています・・・。

 そして、先日、植木氏が、岩波書店から『思想としての法華経』の新著を出版さ
れていた事(昨年の9月)を知りました。

 いゃあ、面白くて、楽しくて。
 400頁に達する大著ですが、一晩で読み切ってしまいました。勿論、『名著』
です。

 特に、筆者は、第二章の『白蓮華のシンボリズム』・第七章の『法華経による女
性の地位回復』・第八章の『寛容の思想とセクト主義の超越』のテーマを、興味深
く、読みました・・・。

 現在、“ウィークエンドバージョン”として配信させて頂いている、『四条金吾
殿女房御返事』の御金言を拝しても、日蓮大聖人の女性に対する細やかなお心遣い
や、法華経に基づく『女人作仏』が御理解頂けることでしょう。

 その件に関して、更に、興味をお持ちの方は、是非、植木雅俊氏の『思想として
の法華経』を、お読みください。

 植木氏は、「仏教におけるジェンダー平等の研究-『法華経』に至るインド仏教
からの考察」の論文によって、お茶の水女子大学の人文科学分野で初の男性博士号
を取得されています。

 筆者のように、『あとがき』で、適当な事を書き散らしているオッサンとは、訳
が違います・・・。 (笑)

 そして、植木氏は、元々、理系の学問をされていたせいか、論証が明瞭なんです
ね。

 『思想としての法華経』の第十章・『法華経に反映された科学思想』においては、
「三千塵点劫」「五百塵点劫」について、このような記述がありました。

 【 三千塵点劫={(千の国土の原子の数)×(一つの三千大千世界の原子の数)
+(一つの三千大千世界の原子の数) }〔劫〕 】

 【 五百塵点劫={(五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界の原子の数+1)×
(五百千万億那由他阿僧祇の国土の原子の数)〔劫〕 】

 【なんと、「五百塵点劫」は、「三千塵点劫」の約十の百七十乗倍であったのだ。】

 筆者は、目から、鱗が落ちました。
 「これほど、論理的で平明な、『三千塵点劫』と『五百塵点劫』の説明はない。」
と、思います。

 普段、御書の訳文を作る際に、筆者は、「五百塵点劫と云う、久遠の極めて遠い
過去から~」等と、簡便な説明で留めていますけど。 (笑)


■あとがきのおまけ

 『思想としての法華経』を読んでいた際に、ネットで検索をしていたら、松岡正
剛氏の『千夜一夜』において、植木雅俊氏の『梵漢和対照・現代語訳・法華経』を
取り上げていた事を知りました。

 本の内容が、よく纏まっています。さすがは、松岡正剛氏です。
 http://1000ya.isis.ne.jp/1300.html

 ちなみに、筆者は、高校生の頃、松岡正剛氏が編集されていた雑誌の『遊』を、
毎号、書店に注文していた、田舎のクソ生意気なガキでした。 (笑)

 上記の『千夜一夜』の記事には、「こうして中国法華経学が起爆した。ちなみに
ぼくは工作舎で『遊』を編集しているあいだじゅうずっと、親しいスタッフには、
『摩訶止観』を読むように勧めつづけたものだった。」と、書かれている件があり
ました。

 改めて、ビックリです・・・。 了



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