立正安国論  文応元年(1260年)七月十六日 聖寿三十九歳御著作


 旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下
に満ち、広く地上に迸る。
 牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。
 死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。
 然る間、或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱へ、或は衆病悉除の願を恃み
て東方如来の経を誦し、或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は
七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調へ、有るは秘密真言の教に因って五瓶の
水を灑ぎ、有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書し
て千門に押し、若しくは五大力の形を図して万戸に懸け、若しくは天神地祇を拝して四角
四堺の祭祠を企て、若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行なふ。
 然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せ
る屍を観と為し、並べる尸を橋と作す。
 観れば夫二離璧を合はせ、五緯珠を連ぬ。
 三宝世に在し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。
 是何なる禍に依り、是何なる誤りに由るや。
 主人の曰く、独り此の事を愁ひて胸臆に憤ピす。客来たりて共に嘆く、屡談話を致さん。
 夫れ出家して道に入る者は法に依って仏を期するなり。而るに今神術も協はず、仏威も
験なし。
 具に当世の体を観るに、愚かにして後生の疑ひを発こす。然れば則ち、円覆を仰いで恨
みを呑み、方載に俯して慮りを深くす。
 倩微管を傾け聊経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて
相去り、聖人は所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。
 言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。
 客の曰く、天下の災・国中の難、余独り嘆くのみに非ず、衆皆悲しめり。
 今蘭室に入りて初めて芳詞を承るに、神聖去り辞し、災難並び起こるとは何れの経に出
でたるや。其の証拠を聞かん。
 主人の曰く、其の文繁多にして其の証弘博なり。
 金光明経に云はく「其の国土に於て此の経有りと雖も、未だ甞て流布せしめず、捨離の
心を生じて聴聞せん事を楽はず、亦供養し尊重し讃歎せず。
 四部の衆、持経の人を見るも、亦復尊重し乃至供養すること能はず。
 遂に我等及び余の眷属、無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ず、甘露の味
はひに背き正法の流れを失ひて、威光及以勢力有ること無からしむ。
 悪趣を増長し、人天を損減して、生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん。
 世尊、我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等、斯くの如き事を見て、其の国土を捨てて擁
護の心無けん。但我等のみ是の王を捨棄するに非ず、必ず無量の国土を守護する諸大善神
有らんも皆悉く捨去せん。
 既に捨離し已はりなば其の国当に種々の災禍有りて国位を喪失すべし。
 一切の人衆皆善心無く、唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有って、互ひに相讒諂して枉げて辜無
きに及ばん。
 疫病流行し、彗星数出で、両の日並び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表はし、
星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉に遭ひて苗実成らず、
多く他方の怨賊有りて国内を侵掠せば、人民諸の苦悩を受けて、土地として所楽の処有る
こと無けん」〈已上〉。
 大集経に云はく「仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。
 時に当たって虚空の中に大いなる声ありて地を震ひ、一切皆遍く動ぜんこと猶水上輪の
如くならん。城壁破れ落ち下り、屋宇悉くヒ拆し、樹林の根・枝・葉・華葉・菓・薬尽き
ん。
 唯浄居天を除きて欲界一切処の七味・三精氣損減して、余り有ること無けん。解脱の諸
の善論時に当たって一切尽きん。生ずる所の華菓の味はひ希少にして亦美からず。
 諸有の井泉池一切尽く枯涸し、土地悉く鹹鹵し、敵裂して丘澗と成らん。諸山皆ショウ
燃して天竜も雨を降さず。
 苗稼皆枯れ死し、生ずる者皆死れ尽くして、余草更に生ぜず。土を雨らし皆昏闇にし
て日月も明を現ぜず。
 四方皆亢旱し、数諸の悪瑞を現じ、十不善業道・貪瞋癡倍増して、衆生の父母に於ける、
之を観ることショウ鹿の如くならん。衆生及び寿命色力威楽減じ、人天の楽を遠離し、皆
悉く悪道に堕せん。
 是くの如き不善業の悪王・悪比丘、我が正法を毀壊し、天人の道を損減し、諸天善神・
王の衆生を悲愍する者、此の濁悪の国を棄てて、皆悉く余方に向かはん」〈已上〉。
 仁王経に云はく「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。
 賊来たりて国を劫かし、百姓亡喪し、臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。
 天地怪異し、二十八宿・星道・日月時を失ひ度を失ひ、多く賊起こること有らん」と。
 亦云はく「我今五眼をもって明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の
仏に侍へしに由って帝王の主と為ることを得たり。
 是を為て一切の聖人羅漢、而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん。
 若し王の福尽きん時は一切の聖人皆捨去為ん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こ
らん」〈已上〉。
 薬師経に云はく「若し刹帝利・灌頂王等の災難起こらん時、所謂人衆疾疫の難・他国侵
逼の難・自界叛逆の難・星宿変怪の難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難あら
ん」〈已上〉。
 仁王経に云はく「大王、吾が今化する所の百億の須弥、百億の日月、一々の須弥に四天
下有り、其の南閻浮堤に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り。
 其の国土の中に七つの畏るべき難有り、一切の国王是を難と為すが故に。云何なるを難
と為す。
 日月度を失ひ時節返逆し、或は赤日出で、黒日出で、二三四五の日出で、或は日蝕して
光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを、一の難と為すなり。
 二十八宿度を失ひ、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・チョウ星・南斗・北
斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星、是くの如き諸星各々変現するを二の難
と為すなり。
 大火国を焼き万姓焼尽せん、或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あら
ん。是くの如く変怪するを三の難と為すなり。
 大水百姓をヒョウ没し、時節返逆して冬雨ふり、夏雪ふり、冬時に雷電霹レキし、六月
に氷霜雹を雨らし、赤水・黒水・青水を雨らし、土山・石山を雨らし、沙・礫・石を雨ら
す。
 江河逆しまに流れ、山を浮かべ石を流す。是くの如く変ずる時を四の難と為すなり。
 大風万姓を吹き殺し、国土山河樹木一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天
風・地風・火風・水風あらん、是くの如く変ずるを五の難と為すなり。
 天地国土亢陽し、炎火洞燃として百草亢旱し、五穀登らず、土地赫燃と万姓滅尽せん。
是くの如く変ずる時を六の難と為すなり。
 四方の賊来たりて国を侵し、内外の賊起こり、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて百姓荒乱
し、刀兵劫起せん。是くの如く怪する時を七の難と為すなり」と。
 大集経に云はく「若し国王有りて、無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを
見て捨てて擁護せずんば、是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失して、其の国当に
三つの不祥の事有るべし。
 一には穀貴、二には兵革、三には疫病なり。
 一切の善神悉く之を捨離せば、其の王教令すとも人随従せず、常に隣国の侵ニョウせら
れん。
 暴火横に起こり、悪風雨多く、暴水増長して、人民を吹ヒョウせば、内外の親戚其れ共
に謀叛せん。
 其の王久しからずして当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄の中に生ずべし。乃至、王の如
く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡守・宰官も亦復た是くの如くならん」〈已上〉。
 夫れ四経の文朗らかなり、万人誰か疑はん。
 而るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説を信じて正教を弁へず。
 故に天下世上諸仏衆経に於て、捨離の心を生じて擁護の志無し。仍って善神聖人国を捨
て所を去る。是を以て悪鬼外道災を成し難を致すなり。
 客色を作して曰く、後漢の明帝は金人の夢を悟りて白馬の教を得、上宮太子は守屋の逆
を誅して寺塔の構へを成す。
 爾しより来、上一人より下万民に至るまで仏像を崇め経巻を専らにす。
 然れば則ち叡山・南都・園城・東寺・四海・一州・五畿・七道に、仏経は星の如く羅な
り、堂宇は雲の如く布けり。シュウ子の族は則ち鷲頭の月を観じ、鶴勒の流は亦鶏足の風
を伝ふ。
 誰か一代の教を褊し三宝の跡を廃すと謂はんや。若し其の証有らば委しく其の故を聞か
ん。
 主人喩して曰く、仏閣甍を連ね経蔵軒を並べ、僧は竹葦の如く侶は稲麻に似たり。崇重
年旧り尊貴日に新たなり。
 但し法師は諂曲にして人倫を迷惑し、王臣は不覚にして邪正を弁ふること無し。
 仁王経に云はく「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏
法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏
戒に依らず。是を破仏・破国の因縁と為す」〈已上〉。
 涅槃経に云はく「菩薩、悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ。悪知識に於ては怖畏
の心を生ぜよ。
 悪象の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」〈已上〉。
 法華経に云はく「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂
ひ、我慢の心充満せん。
 或は阿練若に納衣にして空閑に在り、自ら真の道を行ずと謂ひて、人間を軽賎する者有
らん。利養に貪著するが故に白衣の与めに法を説いて、世に恭敬せらるること六通の羅漢
の如くならん。
 乃至、常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士
及び余の比丘衆に向かって誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人外道の論議を説くと謂
はん。
 濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん。悪鬼其の身に入って我を罵詈し毀辱せん。濁世
の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず、悪口して顰蹙し数々擯出せられん」〈已上〉。
 涅槃経に云はく「我涅槃の後無量百歳に四道の聖人悉く復涅槃せん。
 正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像して少しく経を読誦し、飲
食を貪嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も、猶猟師の細視徐行するが如く、猫の鼠
を伺ふが如し。
 常に是の言を唱へん、我羅漢を得たりと。
 外には賢善を現じ内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。
 実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」〈已上〉。
 文に就いて世を見るに誠に以て然なり。悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや。
 客猶憤りて曰く、明王は天地に因って化を成し、聖人は理非を察らかにして世を治む。
 世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず。聖人に非ずんば賢
哲仰ぐべからず。今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざるを知んぬ。
 何ぞ妄言を吐きて強ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂ふや、委細に聞かんと欲す。
 主人の曰く、後鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。
 則ち一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷はす。
 其の選択に云はく「道綽禅師、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰
するの文、初めに聖道門とは之に就いて二有り、乃至之に準じて之を思ふに、応に密大及
以実大を存すべし。
 然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正
しく此に在るなり。
 曇鸞法師の往生論の註に云はく、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云はく、菩薩
阿毘跋致を求むるに二種の道有り。一には難行道、二には易行道なり。
 此の中の難行道とは即ち是聖道門なり、易行道とは則ち是浄土門なり。
 浄土宗の学者先づ須く此の旨を知るべし。設ひ先より聖道門を学ぶ人なりと雖も、若し
浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てて浄土に帰すべし」と。
 又云はく「善導和尚は正・雑の二行を立て、雑行を捨てて正行に帰するの文。
 第一に読誦雑行とは、上の観経等の往生浄土の経を除いて已外、大小乗・顕密の諸経に
於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。
 第三に礼拝雑行とは、上の弥陀を礼拝するを除いて已外、一切の諸仏菩薩等及び諸の世
天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく。
 私に云はく、此の文を見るに須く雑を捨てて専を修すべし。豈百即百生の専修正行を捨
てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之を思量せよ」と。
 又云はく「貞元入蔵録の中に、始め大般若経六百巻より法常住経に終はるまで、顕密の
大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻なり。皆須く読誦大乗の一句に摂すべし。」
 「当に知るべし、随他の前には暫く定散の門を開くと雖も、随自の後には還って定散の
門を閉づ。一たび開いて以後永く閉ぢざるは唯是念仏の一門なり」と。
 又云はく「念仏の行者必ず三心を具足すべきの文。観無量寿経に云はく、同経の疏に云
はく、問うて曰く、若し解行の不同邪雑の人等有りて外邪異見の難を防がん。
 或は行くこと一分二分にして群賊等喚び廻すとは、即ち別解・別行・悪見の人等に喩ふ。
 私に云はく、又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言ふは是聖道門を指すなり」
〈已上〉。
 又最後結句の文に云はく「夫速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖
道門を閣きて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の
雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし」〈已上〉。
 之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道浄土・難行易行の旨を建
て、法華・真言総じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻、一切の諸仏菩薩及び諸
の世天等を以て、皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て、或は閉ぢ、或は閣き、或は
抛つ。
 此の四字を以て多く一切を迷はし、剰へ三国の聖僧・十方の仏弟を以て皆群賊と号し、
併せて罵詈せしむ。
 近くは所依の浄土の三部経の「唯五逆と誹謗正法を除く」の誓文に背き、遠くは一代五
時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至、其の人命終し
て阿鼻獄に入らん」の誡文に迷ふ者なり。
 是に代末代に及び、人聖人に非ず。各冥衢に容りて並びに直道を忘る。
 悲しいかな、瞳朦をうたず。痛ましいかな、徒に邪信を催す。
 故に上国王より下土民に至るまで、皆経は浄土三部の外に経無く、仏は弥陀三尊の外に
仏無しと謂へり。
 仍って伝教・義真・慈覚・智証等、或は万里の波涛を渉りて渡せし所の聖教、或は一朝
の山川を廻りて崇むる所の仏像、若しくは高山の巓に華界を建てて以て安置し、若しくは
深谷の底に蓮宮を起てて以て崇重す。
 釈迦・薬師の光を並ぶるや、威を現当に施し、虚空・地蔵の化を成すや、益を生後に被
らしむ。
 故に国王は群郷を寄せて以て灯燭を明らかにし、地頭は田園を充てて以て供養に備ふ。
 而るを法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付嘱を抛ちて東方の
如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして、空しく一代五時の妙典を抛つ。
 是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐ひを
忘る。
 故に仏堂は零落して瓦松の煙老い、僧房は荒廃して庭草の露深し。然りと雖も各護惜の
心を捨てて、並びに建立の思ひを廃す。
 是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守護の善神去りて来たること無し。
 是偏に法然の選択に依るなり。悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩かされて多
く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒を成さざらんや。円を捨てて偏を好む、悪
鬼便りを得ざらんや。
 如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには。
 客殊に色を作して曰く、我が本師釈迦文、浄土の三部経を説きたまひてより以来、曇鸞
法師は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣きて偏に西方の
行を弘め、善導和尚は雑行を抛ちて専修を立て、恵心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一
行を宗とす。
 弥陀を貴重すること誠に以て然なり。又往生の人其れ幾ばくぞや。
 就中法然聖人は幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉り、並びに八宗を究め
具に大意を得たり。其の外一切の経論七遍反覆し、章疏伝記究め看ざることなく、智は日
月に斉しく徳は先師に越えたり。
 然りと雖も猶出離の趣に迷ひ涅槃の旨を弁へず。
 故に遍く覿、悉く鑑み、深く思ひ、遠く慮り、遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修す。
 其の上一夢の霊応を蒙り四裔の親疎に弘む。故に或は勢至の化身と号し、或は善導の再
誕と仰ぐ。
 然れば則ち十方の貴賎頭を低れ、一朝の男女歩みを運ぶ。爾しより来春秋推し移り、星
霜相積もれり。
 而るに忝くも釈尊の教へを疎かにして、恣に弥陀の文を譏る。
 何ぞ近年の災を以て聖代の時に課せ、強ちに先師を毀り、更に聖人を罵るや。
 毛を吹いて疵を求め、皮を剪りて血を出だす。
 昔より今に至るまで、此くの如き悪言未だ見ず、惶るべく慎むべし。罪業至って重し、
科条争か遁れん。
 対座猶以て恐れ有り、杖を携へて則ち帰らんと欲す。
 主人咲み止めて曰く、辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。
 善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷
ひ誠に深く、其の罪浅からず。
 事の起こりを聞かんとならば、委しく其の趣を談ぜん。
 釈尊説法の内、一代五時の間先後を立てて権実を弁ず。
 而るに曇鸞・道綽・善導既に権に就いて実を忘れ、先に依って後を捨つ。未だ仏教の淵
底を探らざる者なり。
 就中、法然其の流れを酌むと雖も其の源を知らず。所以は何。
 大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、
捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄す。
 是偏に私曲の詞を展べて全く仏経の説を見ず。妄語の至り、悪口の科、言ひても比無く、
責めても余り有り。
 人皆其の妄語を信じ、悉く彼の選択を貴ぶ。故に浄土の三経を崇めて衆経を抛ち、極楽
の一仏を仰いで諸仏を忘る。
 誠に是諸仏諸経の怨敵、聖僧衆人の讎敵なり。此の邪教広く八荒に弘まり周く十方に遍
す。
 抑近年の災を以て往代を難ずるの由強ちに之を恐る。聊か先例を引いて汝の迷ひを悟す
べし。
 止観の第二に史記を引いて云はく「周の末に被髪袒身礼度に依らざる者有り」と。
 弘決の第二に此の文を釈するに、左伝を引いて曰く「初め平王の東遷するや、伊川に被
髪の者の野に於て祭るを見る。識者の曰く、百年に及ばざらん。其の礼先づ亡びぬ」と。
 爰に知んぬ、徴は前に顕はれ、災は後に致ることを。
 「又阮藉逸才にして蓬頭散帯す。後に公卿の子孫皆之に教ひて、奴苟して相辱しむる者
を方に自然に達すと云ひ、ソン節兢持する者を呼て田舎と為す。司馬氏の滅する相と為す」
〈已上〉。
 又慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云はく「唐の武宗皇帝の会昌元年、勅して章敬寺の
鏡霜法師をして諸寺に於て弥陀念仏の教を伝へしむ。寺毎に三日巡輪すること絶えず。
 同二年回鶻国の軍兵等唐の堺を侵す。同三年河北の節度使忽ち乱を起こす。其の後大蕃
国更た命を拒み、回鶻国重ねて地を奪ふ。
 凡そ兵乱は秦項の代に同じく、災火邑里の際に起こる。
 何に況んや、武宗大いに仏法を破し多く寺塔を滅す。
 乱を撥むること能はずして遂に以て事有り」〈已上取意〉。
 此を以て之を惟ふに、法然は後鳥羽院の御宇、建仁年中の者なり。彼の院の御事既に眼
前に在り。
 然れば則ち、大唐に例を残し、吾が朝に証を顕はす。
 汝疑ふこと莫かれ、汝怪しむこと莫かれ。唯須く凶を捨てて善に帰し、源を塞ぎ根を截
るべし。
 客聊和らぎて曰く、未だ淵底を究めざれども数其の趣を知る。
 但し華洛より柳営に至るまで、釈門に枢ケン在り、仏家に棟梁在り。
 然るに未だ勘状を進らず、上奏に及ばず。
 汝賎しき身を以て、輙く莠言を吐く。其の義余り有り、其の理謂れ無し。
 主人の曰く、予少量たりと雖も忝くも大乗を学す。
 蒼蝿驥尾に附して万里を渡り、碧羅松頭に懸かりて千尋を延ぶ。
 弟子、一仏の子と生まれて諸経の王に事ふ。何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こさ
ざらんや。
 その上涅槃経に云はく「若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて、呵責し駈遣し挙処
せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、
是我が弟子、真の声聞なり」と。
 余、善比丘の身たらずと雖も「仏法中怨」の責めを遁れんが為に、唯大綱を撮って粗一
端を示す。
 其の上、去ぬる元仁年中に、延暦・興福の両寺より度々奏聞を経、勅宣御教書を申し下
して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしめ、
法然の墓所に於ては感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ。
 其の門弟隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流せられ、其の後未だ御勘氣を許されず。
 豈未だ勘状を進らせずと云はんや。
 客則ち和らぎて曰く、経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し。
 然れども大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並びに一切の諸仏菩薩・及び諸の世
天等を以て、捨閉閣抛の四字に載す。其の詞勿論なり、其の文顕然なり。
 此の瑕瑾を守りて其の誹謗を成せども、迷ふて言ふか、覚りて語るか。賢愚弁たず、是
非定め難し。
 但し災難の起こりは選択に因るの由、盛んに其の詞を増し、弥其の旨を談ず。
 所詮、天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所なり。
 夫れ国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法
を誰か信ずべきや。
 先づ国家を祈りて須く仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲
す。
 主人の曰く、余は是頑愚にして敢へて賢を存せず。唯経文に就いて聊か所存を述べん。
 抑も治術の旨、内外の間、其の文幾多ぞや。具に挙ぐべきこと難し。
 但し仏道に入りて数ば愚案を廻らすに、謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば、国中安
穏にして天下泰平ならん。
 即ち涅槃経に云はく「仏の言はく、唯一人を除きて余の一切に施さば皆讃歎すべし。純
陀問うて言はく、云何なるをか名づけて唯除一人と為す。仏の言はく、此の経の中に説く
所の如きは破戒なり。
 純陀復た言はく、我今未だ解せず、唯願くば之を説きたまへ。
 仏純陀に語りて言はく、破戒とは謂はく一闡提なり。其の余の在所一切に布施するは皆
讃歎すべし、大果報を獲ん。
 純陀復た問ひたてまつる。一闡提とは其の義云何。
 仏の言はく、純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて、麁悪の言を発し、正
法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。
 是くの如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。
 若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心
に初めより怖畏・懺悔無く、肯へて発露せず。
 彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰軽賎して言に禍咎多からん。
 是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向すと名づく。
 唯此くの如き一闡提の輩を除きて、其の余に施さば一切讃歎すべし」と。
 又云はく「我往昔を念ふに、閻浮提に於て大国の王と作れり。名を仙予と曰ひき。
 大乗経典を愛念し敬重し、其の心純善にして麁悪嫉リン有ること無し。
 善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已は
って即時に其の命根を断つ。
 善男子、是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と。
 又云はく「如来昔国王と為りて菩薩道を行ぜし時、爾所の婆羅門の命を断絶す」と。
 又云はく「殺に三つ有り、謂はく下中上なり。
 下とは蟻子乃至一切の畜生なり。唯菩薩の示現生の者を除く。下殺の因縁を以て地獄・
畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く。
 何を以ての故に。是の諸の畜生に微かの善根有り、是の故に殺す者は具に罪報を受く。
 中殺とは凡夫の人より阿那含に至るまで、是を名けて中と為す。是の業因を以て地獄・
畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受く。
 上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩なり。阿鼻大地獄の中に堕す。
 善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず。
 善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり」〈已上〉。
 仁王経に云はく「仏波斯匿王に告げたまはく、是の故に諸の国王に付嘱して、比丘・比
丘尼に付嘱せず。何を以ての故に。王のごとき威力無ければなり」 〈已上〉。
 涅槃経に云はく「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付嘱す。正法を
毀る者をば大臣四部の衆、当に苦治すべし」と。
 又云はく「仏の言はく、迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に、是の金剛身を成就
することを得たり。善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に
刀剣・弓箭・無槊を持すべし」と。
 又云はく「若し五戒を受持せん者有らば名づけて大乗の人と為すことを得ざるなり。五
戒を受けざれども正法を護るを為て、乃ち大乗と名づく。
 正法を護る者は、当に刀剣器仗を執持すべし。刀杖を持つと雖も、我是等を説きて、名
づけて持戒と曰はん」と。
 又云はく「善男子、過去の世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまふこと有りき。歓
喜増益如来と号したてまつる。仏涅槃の後、正法世に住すること無量億歳なり。余の四十
年仏法の末、爾の時に一の持戒の比丘有り、名を覚徳と曰ふ。
 爾の時に多く破戒の比丘有り。是の説を作すを聞き皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の
法師を逼む。是の時の国王の名を有徳と曰ふ。
 是の事を聞き已はって、護法の為の故に、即便説法者の所に往至して、是の破戒の諸の
悪比丘と極めて共に戦闘す。爾の時に説法者厄害を免るることを得たり。
 王爾の時に於て身に刀剣箭槊の瘡を被り、体に完き処は芥子の如き許りも無し。  
 爾の時に覚徳、尋いで王を讃めて言はく、善きかな善きかな、王今真に是正法を護る者
なり。当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし。
 王是の時に於て法を聞くことを得已はって心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿シュ
ク仏の国に生ず。而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。
 其の王の将従・人民・眷属の戦闘すること有りし者、歓喜すること有りし者、一切菩提
の心を退せず、命終して悉く阿シュク仏の国に生ず。
 覚徳比丘却って後寿終はりて亦阿シュク仏の国に往生することを得て、而も彼の仏の為
に声聞衆の中の第二の弟子と作る。
 若し正法尽きんと欲すること有らん時、当に是くの如く受持し擁護すべし。
 迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是なり。説法の比丘は迦葉仏是なり。
 迦葉、正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於
て種々の相を得て以て自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず。
 仏、迦葉菩薩に告げたまはく、是の故に法を護らん優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁
護する事是くの如くなるべし。
 善男子、我涅槃の後、濁悪の世に国土荒乱し、互ひに相抄掠し、人民飢餓せん。
 爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是くの如きの人を名づけて禿人
と為す。
 是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若くは殺し若くは害せん。
 是の故に我今持戒の人、諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以て伴侶と為すことを聴す。
 刀杖を持つと雖も、我是等を説きて名づけて持戒と曰はん。刀杖を持つと雖も、命を断
ずべからず」と。
法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。
乃至、其の人命終して阿鼻獄に入らん」〈已上〉。
 夫経文顕然なり。私の詞何ぞ加へん。凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無
量の五逆に勝れたり。故に阿鼻大城に堕して永く出づる期無けん。
 涅槃経の如くんば、設ひ五逆の供を許すとも謗法の施を許さず。蟻子を殺す者は必ず三
悪道に落つ。謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。
 所謂覚徳とは是迦葉仏なり、有徳とは則ち釈迦文なり。
 法華・涅槃の経教は一代五時の肝心なり。其の禁め実に重し、誰か帰仰せざらんや。
 而るに謗法の族、正道を忘るるの人、剰へ法然の選択に依って、弥愚癡の盲瞽を増す。
 是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露はし、或は其の妄説を信じて莠言を模に彫
り、之を海内に弘め之をカク外に翫ぶ。
 仰ぐ所は則ち其の家風、施す所は則ち其の門弟なり。
 然る間、或は釈迦の手の指を切りて弥陀の印相に結び、或は東方如来の鴈宇を改めて西
土教主の鵝王を居へ、或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し、或は天台
大師の講を停めて善導の講と為す。此くの如きの群類其れ誠に尽くし難し。
 是破仏に非ずや、是破法に非ずや、是破僧に非ずや。此の邪義は則ち選択に依るなり。
 嗟呼悲しいかな、如来誠諦の禁言に背くこと。哀れなるかな、愚侶迷惑の麁語に随ふこ
と。 
 早く天下の静謐を思はば、須く国中の謗法を断つべし。
 客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違を絶たんには、彼の経文の如く斬罪に行
なふべきか。若し然らば殺害相加へ罪業何が為んや。
 則ち大集経に云はく「頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし。
則ち為れ我を供養するなり。是我が子なり。若し彼をカ打すること有れば則ち為れ我が子
を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為れ我を毀辱するなり」と。
 料り知んぬ、善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶たらんに於ては供養を展ぶべし。
何ぞ其の子を打辱して忝くも其の父を悲哀せしめん。
 彼の竹杖の目連尊者を害せしや、永く無間の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せし
や、久しく阿鼻の焔に咽ぶ。
 先証斯明らかなり、後昆最も恐れあり。謗法を誡むるに似て既に禁言を破る。
 此の事信じ難し、如何が意得んや。
 主人の曰く、客明らかに経文を見て猶斯の言を成す。心の及ばざるか、理の通ぜざるか。
全く仏子を禁むるに非ず、唯偏に謗法を悪むなり。
 夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。
 然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、何なる難か並
び起こり何なる災か競ひ来たらん。 
 客則ち席を避け襟を刷ひて曰く、仏教斯れ区にして旨趣窮め難く、不審多端にして理非
明らかならず。
 但し法然上人の選択現在なり。諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等を以て捨閉閣抛と載す。其
の文顕然なり。茲に因って、聖人国を去り、善神所を捨て、天下飢渇し、世上疫病すと。
 今主人広く経文を引いて明らかに理非を示す。故に妄執既に飜り、耳目数朗らかなり。
 所詮、国土泰平天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり楽ふ所なり。
 早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、仏海の白浪を収め、法山の緑林を截ら
ば、世は義農の世と成り、国は唐虞の国と為らん。
 然して後、法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重せん。
 主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦ばしいかな、汝蘭室の友に
交はりて麻畝の性と成る。誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば、風和らぎ浪静かにし
て不日に豊年ならんのみ。
 但し人の心は時に随って移り、物の性は境に依って改まる。譬へば猶水中の月の波に動
き、陣前の軍の剣に靡くがごとし。汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん。
 若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加
へよ。
 所以は何。
 薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以、他国侵逼の難・自界叛逆の
難なり。
 大集経の三災の内、二災早く顕はれ一災未だ起こらず。所以、兵革の災なり。
 金光明経の内、種々の災過一々に起こると雖も、他方の怨賊国内を侵掠する、此の災未
だ露はれず、此の難未だ来たらず。
 仁王経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現ぜず。所以、四方の賊来たりて国を侵
すの難なり。
 加之、国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱ると。
 今此の文に就いて具に事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是明らかな
り、後災何ぞ疑はん。
 若し残る所の難、悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば、其の時何が為んや。
 帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。
 而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざら
んや、豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。
 汝須く一身の安堵を思はば、先ず四表の静謐を祈るべきものか。
 就中、人の世に在るや各後生を恐る。
 是を以て、或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。
 各是非に迷ふことを悪むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の
力を以て、妄りに邪義の詞を崇めんや。
 若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して、必ず無間の獄に堕ちなん。
 所以は何。
 大集経に云はく「若し国王有って無量世に於て、施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを
見て捨てて擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至、其の王
久しからずして、当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄に生ずべし、王の如く夫人・太子・大
臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならん。」と。
 仁王経に云はく「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫悪鬼
日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し
出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書くに火は滅すれども
字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。
 法華経第二に云はく「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、乃至、其の人命終して阿
鼻獄に入らん」と。
 又同第七巻不軽品に云はく「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と。
 涅槃経に云はく「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば、是の因縁の故に沈没して、
阿鼻地獄に在って、受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と。
 広く衆経を披きたるに、専ら謗法を重んず。
 悲しいかな、皆正法の門を出でて、深く邪法の獄に入る。愚かなるかな、各悪教の綱に
懸かりて、鎮に謗教の綱に纏はる。
 此の朦霧の迷ひ、彼の盛焔の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。
 汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。
 然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れ
んや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是安全にして、心は是禅定ならん。
 此の詞此の言信ずべく崇むべし。
 客の曰く、今生後生誰か慎まざらん、誰か和はざらん。
 此の経文を被きて具に仏語を承るに、誹謗の科至って重く毀謗の罪誠に深し。
 我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは、是私曲の思ひに非ず、則
ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。
 今世には性心を労し、来生には阿鼻に堕せんこと、文明らかに理詳らかなり疑ふべから
ず。
弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、
先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。
 唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。



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