安国論別状 (安国論送状) 文永九年(1272年)五月二十六日 聖寿五十一歳御著作

 
 『立正安国論』の正本は、富木常忍殿がお持ちのことと存じます。

 富木常忍殿、または、他の方が『立正安国論』を書写された上で、送って頂きたいと存じます。
 
 文永九年五月二十六日   日蓮 花押



■あとがき

 1.鎌倉時代は、紙が高級品であったため、佐渡では、たいへん紙が欠乏していたであ
ろうこと。

 2.極めて短い文面であっても、用件が通じていることから拝察すると、日蓮大聖人と
富木常忍殿との間には、相当強い信頼関係が存在していたであろうこと。

 『安国論別状(安国論送状)』の御書からは、これらの2つのことが伺えます。

 ところで、今回取り上げさせていただいた御書の題名は、大石寺版の『新編御書』では
『安国論送状』、学会版の『御書全集』では『安国論別状』になっています。

 その2つの題名のうち、今回のメルマガでは、『安国論別状』を採用させていただきま
した。

 その理由は、「『安国論送状』という題名では、明らかに、本文の内容にそぐわなくな
るから。」であります。

 日蓮大聖人が、この御書をお書きになられたのは、文永九年五月二十六日のことです。
 その頃、日蓮大聖人は、佐渡に御流罪されていらっしゃいました。

 『立正安国論』の正本(日蓮大聖人御直筆の写本)を所持されていた富木常忍殿に対し
て、「富木常忍殿、または、他の方が『立正安国論』を書写された上で、佐渡の地まで送
ってください。」と、日蓮大聖人が要請されたように、拝察することが出来ます。

 おそらく、龍口法難→依智の本間邸への移送→佐渡御流罪の間は慌しかったために、日
蓮大聖人は『立正安国論』を、佐渡まで御所持されることが出来なかったのでしょう。

 であるならば、この御書の態様は、ある種の『要請書』になります。
 決して、『送り状』には、なりません。
 あえて付言するならば、『送ってくれ状(?)』になることでしょう。   (^v^)

 そのことを論証するために、現代社会における、『送り状』の代表的な文例を紹介しま
す。
 ある会社が、お得意先の会社に、『見積書』を送付する場合の『送り状』です。

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 拝啓 陽春の候、貴社におかれましては、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
 平素、格別のご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、この度、ご用命いただきました見積書を、ご送付させていただきます。
 宜しく、御指示・御下命のほどを、心よりお願い申し上げます。  敬具

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 よく、『直子の代筆』等に見受けられる、典型的な『送り状』の文例ですね。  (^v^)

 ここで、改めて、皆様に着目していただきたいことがあります。
 それは、「あくまでも、【 『物』+『送り状』→『送付』 】という関係が成り立たなければ、
『送り状』にはならない。」ということです。

 この文例の場合には、『見積書』に添付する文書だからこそ、『送り状』になるのであ
ります。
 『送り状』単独では、何の用途も為しません。

 『送り状』だけを送ってしまった場合には、「オーイ!封筒には、『送り状』しか入っ
てなかったぞ。早く、『見積書』本体を送ってくれ!」と、お得意先の会社から、クレー
ムをつけられるのがオチでしょう。    (^v^)

 ここでもう一度、佐渡にいらっしゃった日蓮大聖人の御状況に、話を戻します。

 文永九年五月二十六日に、日蓮大聖人は、富木常忍殿に対して、【 『立正安国論』+
『送り状』→『送付』 】をされているわけではありません。

 あくまでも、日蓮大聖人は、富木常忍殿に対して、【 『要請書』→『立正安国論(正本)
の書写』→『立正安国論の書写本(副本)の送付』 】を依頼されているのです。

 おそらく、宗門の御書編纂の担当者は、この点を捉え違いしてしまったために、この御
書の題名を、『安国論送状』と付けてしまったのでしょう。

 実は、『立正安国論』の『送り状』と、呼ぶに相応しい御書が、他にございます。

 【 『立正安国論』+『送り状』→『送付』 】の関係が成立している、『立正安国論』の『送り状』
の御書を、次回の配信でご紹介致します。    了


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