立正安国論の「あとがき」


■あとがき

 本日から、『立正安国論』を連載致します。 

 『立正安国論』は、文応元年(1260年)七月十六日に、宿屋入道を介した上で、時
の実質的な最高権力者であった北条時頼に対して、御提出されています。
 そして、日蓮大聖人御直筆の『立正安国論』の写本は、中山法華経寺に現存してい
す。

 『立正安国論』の構成は、第一段問答から第九段問答と第十段によって、成り立ってい
ます。
 現代語訳に添付した各段の名称(注、第一段問答は“災難の来由”になります)は、日
寛上人の文段『立正安国論愚記』に依拠させていただきました。

 では、ここで、日蓮大聖人が宗旨建立をされた建長五年(1253年)から、立正安国
論を御提出された文応元年(1260年)までの七年間に発生した天変地妖等を、列挙致
します。

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 ・建長五年(1253年)六月十日   鎌倉大地震
 ・建長六年(1254年)一月十日   鎌倉大火
 ・建長六年(1254年)五月九日   鎌倉大風
 ・建長六年(1254年)五月十一日  京都大地震
 ・建長六年(1254年)七月一日   鎌倉大風雨
 ・建長七年(1255年)二月十二日  東大寺坊舎等焼失
 ・建長八年(1256年)八月六日   鎌倉大風・洪水の後に、疫病流行
 ・康元二年(1257年)二月十日   太政官庁焼失
 ・正嘉元年(1257年)八月一日   鎌倉大地震
 ・正嘉元年(1257年)八月二十三日 鎌倉大地震、鎌倉社寺一宇残らず倒壊
 ・正嘉元年(1257年)十一月八日  鎌倉大地震
 ・正嘉二年(1258年)一月十七日  鎌倉寿福寺等焼失
 ・正嘉二年(1258年)八月一日   諸国大風、田畑大被害
 ・正嘉二年(1258年)十月十六日  鎌倉大雨・洪水
 ・正元元年(1259年)春      大飢饉・大疫病発生
 ・文応元年(1260年)四月二十九日 鎌倉大火
 ・文応元年(1260年)六月一日   鎌倉大火・洪水
 ・文応元年(1260年)春~夏    大飢饉・大疫病発生 

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 現在、巷では、至る所で、“不景氣”が叫ばれています。

 しかし、日蓮大聖人が『立正安国論』を御提出された頃の日本国は、現在の“不景氣”
とは比較にならないほど、死と向かい合わせの悲惨な状況に、万人が直面していました。

 このことを念頭に置いて、『立正安国論』の連載をお読み下さい。   了



■あとがき

 上記の御書における、『正行と雑行』について、若干、補足説明を致します。
 勿論、この『正行と雑行』は、念仏の立場から解釈した教義であります。
 因って、日蓮大聖人の教えとは、似ても似つかぬ邪義であることを、予めお断りしてお
きます。

 善導(中国浄土宗の第三祖)は、観無量寿経を解釈した『観無量寿経疏』の中で、『五
種正行』を論じています。

 以下、『五種正行』を列挙します。

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 第一、読誦正行
 他の経典を全く読誦せずに、浄土三部経(観無量寿経・無量寿経・阿弥陀経)だけを読
誦すること。

 第二、観察正行
 阿弥陀仏と浄土だけを観察して、他の仏や菩薩を一切観じないこと。

 第三、礼拝正行
 阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩の弥陀三尊だけを、礼拝すること。

 第四、称名正行
 阿弥陀仏だけを、称名(唱題)すること。

 第五、讃嘆供養正行
 阿弥陀仏だけを、讃嘆・供養すること。

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 そして、法然(日本浄土宗の開祖)は、善導が唱えた『五種正行』を、更に推し進めて、
『五種雑行』の教義を示しています。

 以下、『五種雑行』を列挙します。

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 第一、読誦雑行
 浄土三部経以外の読誦は、すべて雑行(極楽浄土に往生できない修行)であること。

 第二、観察雑行
 阿弥陀仏と浄土以外の観察は、すべて雑行であること。

 第三、礼拝雑行
 弥陀三尊以外の礼拝は、すべて雑行であること。

 第四、称名雑行
 阿弥陀仏以外に、仏・菩薩への称名(唱題)をすることは、すべて雑行であること。

 第五、讃嘆供養雑行
 阿弥陀仏以外の讃嘆・供養は、すべて雑行であること。

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 法然が唱えた『五種雑行』の中で、第一の『読誦雑行』と第三の『礼拝雑行』の記述を、
日蓮大聖人が『立正安国論』に御引用された箇所が、本日連載分の御書になります。  了



■あとがき

 昨日の『正行と雑行』に引き続いて、本日は『定散の門』について、若干、補足説明を
致します。

 この『定散の門』も、『正行と雑行』と同様に、善導(中国浄土宗の第三祖)が説いた
教義であります。

 定まった心で修行する“定善”の法門→『定善門』。
 散乱した心で修行する“散善”の法門→『散善門』。

 善導は、『定善門』『散善門』の二つの修行法を合わせて、『定散の門(定散二善の法
門)』と呼んでいます。

 そして、念仏の他力救済による修行と対比させることによって、『定散の門』を、自力
による仏道修行の法門に位置づけています。

 一方、法然は、『選択集』等において、「衆生の機根が下った末法において、他力救済
による念仏の修行以外には、全く、自力による『定散の門』の修行は必要ない。」という
主旨の法門を説いています。

 勿論、『正行と雑行』も『定散の門』も、日蓮大聖人の教えとは、似ても似つかぬ念仏
の邪義であることを、御承知下さい。   了



■あとがき

 一昨日の『正行と雑行』、昨日の『定散の門』に引き続いて、本日は『三心』について、
若干、補足説明を致します。

 観無量寿経では、「往生を遂げるためには、『三心』を具足するべきである。」という
主旨の教えが、説かれています。

 以下、『三心』を列挙します。

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 第一、至誠心
 至誠(真摯・誠実)に、浄土を願う心。

 第二、深心
 阿弥陀仏の本願が愚悪の衆生を救済される、と、深く信ずる心。

 第三、回向発願心
 一切の善根を回向して、ただ、ひたすらに、浄土への往生を発願する心。

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 なお、本日連載分の御書の現代語訳では、善導の『観無量寿経疏』における、“二河白
道の譬え”を要約・咀嚼して、訳文に付け加えています。

 『立正安国論』では、法然の『選択集』や善導の『観無量寿経疏』を、日蓮大聖人が御
引用されていらっしゃいます。

 けれども、日蓮大聖人は、要点だけを抜き出されていらっしゃい
ますので、そのまま直訳
させていただくと、前後の脈略が繋がらなくなります。
 そのため、上記の配慮を致しました。

 此処まで来ると、「念仏のメルマガなのか、日蓮大聖人の御書のメルマガなのか、もう、
訳が分からなくなってきた!」と、お思いの方がいらっしゃるかも知れません。  (^v^)

 しかし、日蓮大聖人が『立正安国論』で、これらの念仏の教義の御引用をされていらっ
しゃることには、深い理由があります。

 つまり、第四段問答の結論である、「如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁
ぜんには。」と仰せの念仏破折を導くために、その前段階の傍証として、法然の『選択集』
や善導の『観無量寿経疏』を御引用されていらっしゃるのです。

 「如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには。」と仰せの有名な御金言
が、メルマガに登場するのは、たぶん今週の木曜日あたりになります。  (^v^)

 それまで、相応の読了の労力は必要になりますが、『立正安国論』の全貌を俯瞰される
ためにも、どうか、ご辛抱をお願いします。   了



■あとがき

 「如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには。」と仰せの御金言におけ
る、“彼の万祈”とは、客が第一段問答で提示した、祈祷の数々を示唆しています。 了



■あとがき

 またまた、ヘマをしてしまいました。  (^v^)

 一昨日・2月26日に配信した、『立正安国論』の連載“その30”において、上記の
日寛上人の文段の御文を御紹介させて頂くことを、すっかり失念しておりました。

 第四段問答の主人の『答』の中で、「悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩かさ
れて多く仏教に迷へり。」と、日蓮大聖人は仰せになられています。

 その“数十年の間”と仰せの御金言を、日寛上人が御解説された御文が、上記の『立正
安国論愚記』になります。

 その日寛上人の御解説に則って、筆者は、今回連載分の「爾しより来春秋推し移り、星
霜相積もれり。」と仰せの御金言に対する現代語訳を、「それ以来、現在に至るまで、年
が推移して、“数十年の間”が経過しました。」と、付けさせて頂きました。

 なお、皆さんもご存知の通り、「春秋」も「星霜」も、“年月の経過”を意味する単語
になります。   了



■あとがき

 今日のメルマガを読んだだけで、「そうか!『立正安国論』や『涅槃経』に書かれてい
るように、謗法の者を殺しても構わないんだ!」なんて、絶対に早とちりしないで下さい
ね。 (苦笑)

 実際に、この後の『立正安国論』の第八段問答では、「主人の曰く、客明らかに経文を
見て猶斯の言を成す。心の及ばざるか。理の通ぜざるか。全く仏子を禁むるに非ず。唯偏
に謗法を悪むなり。夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能忍の以後の経説は則ち
其の施を止む。」と、日蓮大聖人が仰せになられています。

 つまり、釈尊御在世以後の仏教に於いては、「謗法の者を殺めるのではなく、謗法の者
に布施をしないことが、謗法を断絶する行為に繋がる。」ということになります。
 それが、仏教本来の主旨であり、日蓮大聖人の御真意であります。

 この点を勘違いされている方が、現実にいらっしゃるようです。
 読者の皆様におかれましては、くれぐれも御留意下さるように、心よりお願いを申し上
げます。   了



■あとがき

 今回連載分の御書の冒頭に、“然る間”という御言葉がございます。

 この“然る間”という古語は、「間もなく・そうしているうちに」もしくは「それ故に・従って」
という2つの意味に大別されます。


 今回連載分の御書の場合では、前文との兼ね合いから判断して、「それ故に・従って」
という意味に解釈する方が、より適切になるでしょう。

 あまり勉強熱心ではなかった筆者でも、高校時代の古文の授業では、「この“然る間”と
いう古語を、“間(あいだ)があいた”と勘違いして、訳すことがないようにして下さい。
“間もなく・そうしているうちに”という本来の意味とは、正反対になってしまいますから。」
と、古文の先生から習ったことを記憶しています。


 ところが、日蓮正宗管長の日顕上人が、『建長五年三月二十八日・四月二十八日、宗旨
建立・初転法輪二回説』という己義を正当化するために、日道上人の『御伝土代』に出てくる

“然る間”という古語を、“間(あいだ)があいた”という意味に、解釈したことがあります。

 御伝土代に曰く、「建長五年三月二十八日、清澄寺道善房持仏堂の南面にて浄円房並び
に大衆等少々会合なして、念仏無間地獄南無妙法蓮華經と唱ひ始め給ひ畢んぬ。然る間そ
の日清澄寺を擯出せられ給ひ畢んぬ。」

 つまり、「日蓮大聖人が浄円房等の清澄寺の大衆に対して、南無妙法蓮華經と唱え始め
たのは、建長五年三月二十八日である。それから間があいた、建長五年四月二十八日に、
日蓮大聖人は清澄寺を擯出させられたのである。」という主旨の前代未聞の珍説を、阿部
日顕は、何度も力説しているのです。

 しかし、改めて申し上げるまでもなく、『御伝土代』の“然る間”の意味は、“間もなく・そうして
いるうちに”であります。


 『御伝土代』の訳の正解は、「然る間その日清澄寺を擯出せられ給ひ畢んぬ。」→「間もなく、
その日(三月二十八日)のうちに、清澄寺を擯出(追放)させられてしまいました。」ということ
になります。


 日顕上人が学生時代に習うはずであった、“然る間”という古語の意味を熟知していれば、
『建長五年三月二十八日・四月二十八日、宗旨建立・初転法輪二回説』という己義を、世間に
晒すこともなかったかも知れません。     了



■あとがき


 筆者は、『立正安国論』のメルマガの連載“その45”の「あとがき」で、「釈尊御在世以後の
仏教に
於いては、『謗法の者を殺めるのではなく、謗法の者に布施をしないことが、謗法を断
する行為に繋がる。』ということになります。それが、仏教本来の主旨であり、日蓮大聖人の
御真意であります。」と、申し上げました。


 今回連載分の御金言は、その根拠となる箇所であります。   了



■あとがき


 『立正安国論』に曰く、「夫れ四経の文朗らかなり、万人誰か疑はん。」と。

 日蓮大聖人が、『立正安国論』の第二段の主人の答において、金光明経・大集経・仁王
経・薬師経の四経の経文を御引用されたのは、上記の結論(今回連載分の御金言)を論証
されるためであります。    了



■あとがき


 上記の大集経の経文は、『立正安国論』の第二段においても、日蓮大聖人が御引用され
ています。

 日寛上人は、『立正安国論愚記(文段)』において、「第二段の大集経の経文の御引用は、
“現世の災難”の意を示されている。一方、第九段の大集経の経文の御引用は、“後生の
堕獄”の意を示されている。」という主旨のことを、御解説されています。  了



■あとがき


 今回をもちまして、『立正安国論』の連載は終了しました。

 俗に、「日蓮大聖人の御書は、『立正安国論』に始まり、『立正安国論』に終わる。」と、
云われています。

 『立正安国論』を完読された御感想は、如何でしょうか。
 ここで、読者の皆様に、お願いがあります。

 それは、「ぜひ、御書を開いて、皆様が御関心を持たれた箇所から、『立正安国論』を
音読してください。」ということです。

 なぜなら、『立正安国論』は、音韻や対句等をちりばめられた、格調高い美文(経文の
御引用を除く)で構成されているため、その格調高さは、筆者の現代語訳だけでは、とて
も再現できないからです。

 御自身が声に出されて、『立正安国論』の原文をお読みになられると、そのことが実感
出来るはずです。

 筆者の現代語訳の文章は、「出来る限り直訳を心掛けること、それに若干の補足を加える
こと、S(主語)・V(述語)・O(目的語)・C(補語)をはっきりさせること。」を、念頭に置いて、
作成しています。


 筆者は、「そういう文体の現代語訳に、最も馴染まない御書は、『立正安国論』かも知
れない。」とも、感じています。

 無論、筆者の未熟さを痛感させられた上での認識です。

 ところで、近日、斎藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」(草思社)や、川島隆太氏
の「脳を鍛える大人の音読ドリル」(くもん出版)がベストセラーになっています。
 これらのことからも、音読の重要性が再評価されているようです。

 思えば、江戸時代の寺子屋教育 では、小児には何も意味が分からなくとも、四書五経
(大
学・中庸・論語・孟子の四書、詩経・書経・礼記・易経・春秋の五経)等の古典を素読
せていました。

 その身体感覚を伴う行為が、成人後の思想・倫理のバックボーンとなっていくだけでな
く、音読による脳の活性化によって、潜在能力の開発にも繋がっていたようです。

 「江戸時代の寺子屋教育 が、明治維新後に、飛躍的発展を遂げる原動力になった。」と
指摘する識者も、少なくありません。

 そういう観点からも、ぜひ、『立正安国論』を始めとする御書の音読を、お薦めします。

 最後に、「『立正安国論』の“立正”には、三大秘法(本門の本尊・本門の戒壇・本門
の題目)の意が含まれている。」という主旨の日寛上人の御指南を、“参考文献”にて、
ご紹介させて頂きます。   了

                      ◇◆◇◆◇◆

■参考文献

 『立正安国論愚記(日寛上人文段)』

 今謂わく、立正の両字は三箇の秘法を含むなり。

 初めに本門の本尊に約せば、正とは妙なり、妙とは正なり。故に什師は妙法華経と名づ
け、法護は正法華経と名づくるなり。況や天台は三千を以て妙境と名づけ、妙楽は妙境を
以てまた正境と名づく。
 故に正は即ち妙なり。妙とは妙法蓮華経なり。妙法蓮華経とは即ち本門の本尊なり。
 故に顕仏未来記に云はく「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」等云云。

 立とはこの本尊を立つるなり。
 故に観心本尊抄に云はく「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提
第一の本尊此の国に立つ可し」文。
 妙法蓮華経の左右に釈迦・多宝・上行等を図顕す、故に「本門の釈尊を脇士と為す」と
云うなり。是れ則ち文底深秘の最要、妙中の妙、正中の正なり。故に閻浮第一と云うなり。
 此の本尊日本国に立つべしと云云。
 若し爾らば、立正の両字は即ち是れ本門の本尊なり。

 次に本門の題目に約せば、謂わく、題目に信行の二意を具す。
 行の始めは是れ信心なり、信心の終りは是れ行なり。既に正境に縁する故に信心即ち正
し。信心正なる故にその行即ち正なり。故に題目の修行を名づけて正と為すなり。
 天台云はく「行を進趣と名づく。智に非ざれば前まず、智行を導くと雖も、境に非ざれ
ば正しからず」等云云。この意、深く思え云云。
 立とは即ち行を立つるなり。妙楽云はく「一念信解とは即ち是れ本門立行の首」と云云。
天台云はく「今、妙解に依り以て正行を立つ」等云云。

 三に本門の戒壇に約せば、凡そ正とは一の止まる所なり、故に一止に従うなり。
 一は謂わく、本門の本尊なり。是れ則ち閻浮第一の本尊なるが故なり、本尊抄の文の如
し。亦是れ一大事の秘法なるが故なり。南条抄の文の如し。故に本尊を以て一と名づくる
者なり。
 止は是れ止住の義なり、既に是れ本尊止住の処なり、豈本門の戒壇に非ずや。
 立とは戒壇を立つるなり。御相承に云はく「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門
寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。」等云云。

 故に、但立正の両字に於て三箇の秘法を含むこと文義分明なり。


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