庵室修復書 建治三年(1277年)冬 聖寿五十六歳御著作
去る文永十一年六月十七日に、この身延山の中で、木を打ち切りて、かりそめ
の庵室を作りました。
それから四年が経過すると、柱は朽ちて、土壁は崩れ落ちてしまいました。
けれども、修繕をすることが出来なかったので、夜には火を灯さなくても、月
の光で聖教を読ませていただきました。
そして、風が吹き込んでくるために、自分で経巻を巻かなくても、自然に経巻
を巻き戻してくれました。
遂に、今年は、十二本の柱が四方に傾き、四方の壁も同時に落ちてしまいまし
た。
凡夫の身を持ち難いために、月が澄んで、雨が降ることのないよう、祈りに励
んでいます。
そして、工事の人夫がいないため、弟子達を励まして修復しています。
しかし、食料もなくなったために、雪を食べながら命を繋いでいたところ、先日、
上野殿から頂いた二駄の芋と、今回贈って頂いた一駄の芋の価値は、珠にも超える
ものであります。
(後欠)
■あとがき
『庵室修復書』の御真筆は、明治時代の身延の大火によって焼失しています。
その時まで、上記の部分だけが断簡として保管されていました。
日蓮大聖人は、文永十一年五月十七日に、身延へ入山されています。
その直後に、波木井実長氏から、近隣の西谷の地に、堂宇を建立して寄進した
い旨の申し出がありました。
しかし、日蓮大聖人はその申し出を、お断りになられています。
そして、日蓮大聖人は、簡素な庵室を、文永十一年六月十七日にお建てになら
れます。
その四年後の建治三年に庵室が崩れて、お弟子さんと共に修復されている御様
子が、この御書から伺われます。
この身延の庵室を修復された四年後(弘安四年)に、日蓮大聖人が大坊をお建て
になられます。
その際の模様をお記しになられているのが『地引御書』になります。 了
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