大仏殿別当への御状(十一通御書) 文永五年(1268年)十月十一日 聖寿四十七歳御著作


 去る一月十八日に、西戎大蒙古国より、国書が到来しております。

 その書状には、「大蒙古国の皇帝は、日本の国王に、書を上呈する。蒙古国の大いなる
政道が行われる義は、明らかである。日本国は、蒙古国に信義を求めて、和睦を修するべ
きである。その道理は、全く異るものではない。(中略)至元三年丙寅(文永三年・1266年)
一月 日」と、記されていました。

 この書状によれば、日本国の返答次第で、蒙古国が来襲してくることは、分明でありま
す。
 兼ねてから、日蓮が考察して申し上げてきた、『立正安国論』における『他国侵逼難』
の予言は、少しも相違しておりません。

 速やかに、退治を加えるようにしてください。
 にもかかわらず、日蓮の主張を放置していては、蒙古国への調伏が叶うことはありませ
ん。
 一刻も早く、御自身の慢心を排して、日蓮に帰依するべきであります。
 今生を、空しく過ごしてしまったならば、どこまでも後悔をすることになるでしょう。

 これらの件につきましては、詳しく記すことが出来ません。

 この趣旨の諫状を、方々(十一箇所)へ申し上げております。
 各々方は、一所に集って、蒙古国を調伏するための御評議を行ってください。

 文永五年(1268年)十月十一日   日蓮 花押

 謹上 大仏殿別当御房



■あとがき

 上記の御書における“大仏殿”とは、あの“鎌倉の大仏”が安置されている、長谷の高
徳院になります。

 元々は、“大仏殿”という建物の中に、大仏が安置されていました。
 けれども、台風や大津波によって、“大仏殿”が倒壊したために、そのまま、大仏が屋
外に安置されることになったようです。
 
 また、別当とは、大きな寺院を統率する事務方の長官職のことです。
 しかし、「当時の“大仏殿別当”は、誰であったのか。」等につきましては、不明のま
まです。    了


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