建長寺道隆への御状(十一通御書)  文永五年(1268年)十月十一日 聖寿四十七歳御著作


 仏教の寺院は軒を並べ、仏教の法門は世に広まっています。
 日本における仏法の繁栄は、インド・中国にも超過して、僧宝(注、仏・法・僧の三宝
の一つ)の姿や化儀(化導の儀式)は、あたかも、六通の羅漢(六つの神通力を得た阿羅
漢)のようであります。
 
 しかしながら、彼等は、釈尊御一代の諸経において、未だに、勝・劣と浅・深があるこ
とを知りません。
 彼等は、鳥や獣と同様の存在であります。

 その根拠は、彼等が主・師・親の三徳である釈迦如来を抛(なげう)って、他の国土の
仏・菩薩を信じているからであります。
 これこそ、まさしく、逆路伽耶陀の者(注、法華経安楽行品第十四に記載されている、
外道の一派の者どものこと。師が立てた教義に従うことなく、反逆の罪を犯す者の譬えに
用いられる。)に、他なりません。

 これまでに、私(日蓮大聖人)は、「念仏は無間地獄の業であり、禅宗は天魔の所為で
あり、真言は亡国の悪法であり、律宗は国賊の妄説である。」と、主張して参りました。

 特に、日蓮は、去る文応元年(1260年)の頃に考察した書を、『立正安国論』と名
付けた上で、宿屋入道を通して、故最明寺殿(執権・北条時頼)に奉上しています。

 この『立正安国論』の要点は、念仏・真言・禅・律等の悪法を信じるが故に、天下に災
難が頻繁に起こっていること、それに加えて、この国が他国から責められている原因を、
考察していることにあります。

 すると、「去る正月十八日(文永五年一月十八日)に、蒙古国からの国書が到来した。」
とのことです。
 日蓮が『立正安国論』で考察してきたことに、少しも違うことなく、『他国侵逼難』の
予言が符号しております。

 日本中の諸寺・諸山の祈祷の威力が、滅失している故なのでしょうか。
 はたまた、悪法の故なのでしょうか。

 にもかかわらず、鎌倉中の上下万人は、道隆聖人を仏の如く仰ぎ、良観聖人を阿羅漢の
如く尊んでいます。

 その他、寿福寺・多宝寺・浄光明寺・長楽寺・大仏殿等の長老等は、法華経勧持品第十
三において、「我慢の心が充満して、未だに覚りを得ていないにもかかわらず、『私は覚
りを得た。』と謂っている。」と仰せの経文通りに、彼等の正体は、増上慢の大悪人であ
ります。

 どのようにして、彼等が、蒙古国の大兵を調伏することが出来るのでしょうか。

 そればかりか、日本国中の上下万人は、皆、生け捕りとなり、今世には国を亡ぼし、後
世には、必ず無間地獄に堕ちることでしょう。
 日蓮が申している事を、御用いにならなければ、後悔することになります。

 この趣旨の書状を、鎌倉殿(執権北条時宗)・宿屋入道殿・平左衛門尉殿等へ、進呈さ
せていただいております。
 因って、各人が一所に寄り集まって、御評議を行ってください。

 これらの書状の内容は、全く、日蓮の私的な曲解の義ではありません。
 ただ、経論の文に、正邪を任せるのみであります。

 詳細は、紙面に、載せ難いものがあります。
 従って、公場における、対決の時を期しております。

 書は、言葉を尽くすことが出来ません。
 言葉は、心を尽くすことが出来ません。

 恐々謹言

 文永五年〈戊辰〉十月十一日    日蓮 花押

 進上 建長寺道隆聖人侍者 御中





■あとがき

 今回から、『建長寺道隆への御状』(十一通御書)を連載します。 

 執権・北条時頼は、宋(中国)から、禅宗の高僧・道隆を招き、日本で最初の本格的な
禅宗寺院として、建長五年(1253年)に、建長寺を創建しています。

 現在、建長寺は、臨済宗建長寺派の総本山になっています。    了


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